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第6巻【近世・近代・現代編】- 第1章:地誌

第11節:社会科副読本

『わたくしたちの村 すがや』昭和40年(1965)

七、すみよい村

(1)安全のくらし

 村には、人びとがあんしんしてくらせるように、いろいろなしくみがあります。

1.しょうぼうだん

 村では、火事をふせぐために、しょうぼうだんをつくっています。しょうぼうだんいんは、火事がおこると、すぐ火事場へ出かけます。また、空気がかわいて、火事のおきやすいころになると、わたしたちの家をまわり、「火の用心」と書いてある紙を、家中の者の見やすいところにはり、時々見まわりに来ます。そして、十二月になると、てんけんがあります。てんけんは、火事がおこった時にそなえて、ポンプのぐあいや、しょうぼうだんいんのはたらきのようすをしらべます。このように、大切なしょうぼうだんも、このごろでは、よそへはたらきに出かける者が多くなったので、火事がおきた時に、人びとが集まりにくいこともあります。

消防ポンプ

自動車ポンプ   4台
可搬動力ポンプ  15台
合計       19台

火事のおこったかいすう|グラフ
火事のおこったかいすう

火事によるそんがい|グラフ
火事によるそんがい

消防団

団長
 副団長
  第一分団長
   第一部(菅谷)  15人
   第二部(川島)  13人
   第三部(志賀)  15人
  第二分団長
   第一部(平沢)  13人
   第二部(遠山)  13人
   第三部(千手堂) 13人
  第三分団長
   第一部(鎌形)  15人
   第二部(大根将) 13人
  第四分団長
   第一部(古里)  13人
   第二部(吉田)  13人
  第五分団長
   第一部(越畑)  15人
   第二部(勝田)  13人
  大六分団長
   第一部(広野)  13人
   第二部(杉山)  13人
   第三部(太郎丸) 13人

2.えいせい

 役場のえいせいがかりや、部落のえいせいの役員は、村の人びとのけんこうをまもるしごとをしています。
 これは、部落ごとにいる、区長やえいせいの役員が役場のえいせいがかりの人たちとそうだんをして、しょうどくや、村の人びとのえいせいけんさをしたり、よぼうちゅうしゃや、けんべんなどのしごとをしています。
 また、役場には、ほけんふさんがいて、とくに、赤ちゃんや、こどもたちのえいせいけんさをしています。このしごとには、わたしたちのおかあさんがたが愛育会という会をつくって、ほけんふさんにきょうりょくをしています。

根岸いいん
水野いいん
石川しんりょうじょ
田幡はいしゃ
根岸はいしゃ
大谷接骨いいん
島本薬局

でんせん病とその発生のようす|一覧表
でんせん病とその発生のようす

3.村の水道

 村の人びとが、よい水をあんしんして使えるように、きょ年、菅谷水道がつくられました。このしごとは、役場の水道がかりのかたがたです。
 水道の水は、よくしょうどくしてあるので、でんせん病のしんぱいはありません。
 また、水道の水は、わたしたちののみ水だけでなく、火事の時には、消火栓から水をとって、火をけすのにも、使われます。
 このように、べんりな水道も、まだ村の一部だけですが、近いうちに村全体にひろめるそうです。

水道のようす|図
水道のようす

4.ちゅうざいしょ

 村には、三つのちゅうざいしょがあり、そこには、おまわりさんがいます。おまわりさんは、わるいことがおこらないように、また、こうつうじこがおこらないように、村中を見まわっています。小川町のけいさつしょへ行って、夜もねむらないでしごとをしています。また、わたしたちには、安全に、つうがくできるように、正しいこうつうのきまりをおしえてくれるこうつうきょうしつをひらいてくれます。

(2)学校とこうみんかん

1.学校

 村には、三つの小学校と二つの中学校があります。なかでも、三つの小学校は、それぞれふるいれきしがあり、世の中の役にたつりっぱな人びとがそつぎょうしています。

・七郷小学校のれきしを年表で調べましょう。

七郷小学校のうつりかわり
明治 6年(1873) 8月 1日杉山学校ができた
9年(1876) 4月 5日杉山学校を新しくつくった
12年(1879) 3月25日吉田学校ができた
19年(1886) 4月 1日昇進学校ができた(杉山・吉田学校がっぺい)
22年(1889)11月  七郷尋常小学校となった
27年(1894) 4月10日第一、第二七郷尋常小学校とわかれた
42年(1909) 4月 1日第一、第二小学校をやめて七郷尋常小学校をつくった(裏校舎のところ)
43年(1910)12月 1日七郷尋常高等小学校となった
44年(1911) 4月23日開校式をあげ開校記念日とした
大正 8年(1919) 4月 1日石の正門をたてた
8年(1919) 5月 5日裏西校舎をつくった
15年(1926) 4月  校歌ができた
昭和 3年(1928) 2月11日校旗ができた
5年(1930) 3月22日二階校舎をたてた 古い校舎を講堂にした
16年(1941) 4月 1日七郷国民学校となった
22年(1947) 4月 1日七郷小学校となった
22年(1947)11月13日校章ができた
27年(1952) 9月10日水道がしかれた
30年(1955) 4月15日菅谷村立七郷小学校となった
30年(1955)11月 4日電話がはいった
34年(1959) 9月11日テレビがはいった
35年(1960)    有線放送がはいった
36年(1961)    新しい水道がはいった
38年(1963)    給食室完成
教育委員会

 教育委員会は、五人の教育委員でつくられています。その中の一人が教育長で、いつも役場にいて、わたしたちの勉強がやりやすいようにと、しごとをしています。
 また、婦人会やPTAの人々のためのしごともしています。

 教育長
  教育委員長
   教育委員長代理
   教育委員
   教育委員

2.こうみんかん

 村には、こうみんかんが二か所にあります。ここでは、婦人会や青年団の人びとが、よりいっそうゆたかなくらしをするにはどうしたらよいかと話し合いをしたり、こうえん会や映画会をひらいたりします。
 また、村の人びとが読みたい本をいつでも読めるように図書のかし出しもしています。

菅谷村立七郷小学校『わたくしたちの村 すがや』(1965年)
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