第6巻【近世・近代・現代編】- 第1章:地誌
『わたくしたちの村 すがや』昭和40年(1965)
八、のびゆく菅谷村
わたくしたちの菅谷村は、十年前(1955)、旧菅谷村と七郷村がいっしょになって、大きな、菅谷村になりました。この十年間の菅谷村はずいぶんかわってきました。
いままでの菅谷村では米作りや麦作りやようさんなどが、のうぎょうの中心でした。しかしこのごろは米や麦を作るだけでなく、いろいろなやさいやくだものを作るようになりました。また、かいこをかうだけでなく、うしやにわとりやぶたをかったりすることが、さかんになってきました。
これからは、米麦、やさいくだものをつくったり、かいこ、にわとり、うしぶたなどをかうしごとにも、新しいぎじゅつをとり入れて、よいものがたくさんとれるようにしなければなりません。このためには、村人がみんなで力をあわせたり、いろいろ、くふうもしていかなければなりません。役場やのうきょうでも、このことをいっしょうけんめい考えています。
菅谷村では、役場、体育かん、各学校の給食室など、まわりの村や町にまけないほどりっぱなものができました。また、みょうじょうしょくひんがいしゃなど、工場もどんどんふえているし、菅谷、平沢、川島、広野部落などに、じゅうたくだんちも、たくさんできました。でも、もっとすみよい村、りっぱな村になるよう、つぎのようなことも考えられているようです。1.小学校のふるくなった校舎をたてなおすこと
2.学校のせつびをよくして、わたくしたちがべんきょうしやすいようにすること
3.水どうのせつびを村中にひろげること
4.どうろをひろげたり、ほそうしたりすること
5.七郷地区にも体育かんをつくることこのほかでも、村をよくするため、いろいろなけいかくがたてられ、いろいろなしごとがすすめられています。
菅谷村立七郷小学校『わたくしたちの村 すがや』(1965年)
わたくしたちが、おとなになって、いろいろしごとをするころは、いまの菅谷村も、ずいぶんかわって、すばらしい菅谷町ができていることでしょう。