第6巻【近世・近代・現代編】- 第1章:地誌
『わたくしたちの村 すがや』昭和40年(1965)
五、ほかの地いきとのむすびつき
(1)道ろやてつ道、バス
1.道ろ 菅谷村とまわりの町や村をむすぶおもな道ろは、東松山市と小川町をむすぶ国道があります。
熊谷市と小川町をむすぶ県道と、川本村と滑川村月輪をむすぶ県道、東松山市と槻川村をむすぶ県道の四つがあります。
2.鉄道 菅谷村菅谷には武蔵嵐山駅があって、東武東上線がとおっています。池袋までは、やく一時間二十分でつきます。朝や夕方のほかのうんてんは、だいたい一時間ごとに発車しています。
3.バス 熊谷市をでて小川町をへて皆谷へいく路線があります。また東松山市を出て嵐山駅や嵐山へいくろ線と東松山から出て西平をむすぶろ線と、熊谷市を出て、古里、武蔵嵐山駅をむすぶ四つのろ線があってとくに古里と嵐山駅をむすぶろ線は七郷地区の人たちの大切な足となっています。
(2)人びとのいきき
毎朝、武蔵嵐山駅はたいへんこんざつします。
つとめに出かける人、学校にかよう学生でいっぱいです。えき長さんにきいてみますと、毎日電車にのりおりする人は八百人もいるそうです。
さいきん駅の近くにラーメン工場や嵐山ゴルフ場ができてからは、東松山市や小川町のちかくの人たちや、東京の人たちも電車にのってきます。
つとめに通う人たちや学校に通う学生は、おもに東松山、川越、東京方面にいきます。
そのため電車は朝の六時前から八時ごろまではまんいんだそうです。これはこうとう学校へいく人が多くなったことと、農家の人びとが便利なきかいや道具をつかって仕事をするようになり人手があまるので、町へはたらきに出かけるようになったからだそうです。(六百人位)駅にとおい人たちは朝早くバイクや自転車、バスで駅まで行って電車にのります。
そのため駅の近くには、のりものをあずかる家もたくさんあります。
また電車にのって、東京のデパートなどに買物にいく人もずいぶんたくさんいます。
休みの日には、どうぶつえんやゆうえんちなどにあそびにいく人もいます。・わたしたちも人びとのいききするわけをかんがえてみましょう。
・菅谷村の人たちは東京方めんのほか、どんなところへはたらきにいっているか、しらべてみましょう。(3)品物のいきき
1.わたしたちの村からは、どんな物が、どこへ送りだされているかしらべてみましょう。
2.わたしたちの村には、どんな物が、どこから送られてくるかしらべてみましょう。菅谷村からは、米は、おもに小川の酒造会社に送られ、麦は、川ごえ市(埼玉県)、兵庫県、神奈川県に送られます。また、まゆは、熊谷市、東松山市のせい糸工場に売り出しています。明星ラーメンは、神奈川県、東京都に送りだされています。うり、たまご、しいたけなども、はんばい先でよろこばれるように、大きさやひんしつをそろえてきょうどうで東京へしゅっかします。
また、菅谷村には、かく地から、自どうこううんき、のうやく、ひりょうなど、いろいろなしな物が送られてきます。
しな物は、トラックで多くはこばれますが、鉄道でとおくの地方から送られ、えきからトラックで工場や店にはこばれます。ふねで東京につき、東京からトラックではこばれるものもあります。
このように、菅谷村の人たちは、近くの(村)ばかりでなく、とおい地方ともつながりをもちながらくらしています。(4)ゆうびんとでんわ
1.菅谷村から、かく地に手がみやはがきは何日ぐらいでとどくかしらべてみましょう。
菅谷村立七郷小学校『わたくしたちの村 すがや』(1965年)
とおくはなれているところとむすんでいるのが、ゆうびんやでんわです。
菅谷村には、やく百七十本のふつうでんわと十四本のこうしゅうでんわがあり、わたしたちのくらしをべんりにしているだけではなく、しごとのことやしな物のうりかいのことでも、大せつなやく目をしています。