第6巻【近世・近代・現代編】- 第1章:地誌
第一編 緒論
二、教材を地方化すべきこと
文部省編纂の現今の教科書は云ふ迠もなく一地方を主として作られたものでなく全國に適すべく方針を取られたのである。其の教科書の教材が郷土に於ける現象に左程にpの遠いものかと云ふに、見る人の目からするならば決してさうとのみとは限りません。中には山間地方の児童に海洋の現象の様なものもないでもないが之れも郷土の範圍を擴張してそして児童に直觀せしめたならば可能の事で其他に人文現象の如き最も困難とする所のものも一として皆之れを郷土によく連絡しえるもので郷土の現象に連絡すべからざるものは殆どないと云ふて支障ないのです。
七郷尋常高等小学校(板倉禎吉編)『郷土研究』(嵐山町立七郷小学校蔵)
府縣の地誌が編纂せられて各小學校に教授せしめしは、法令の上に郷土の名が載せられし時代の事で、其の後郷土なる語が法令から取り去られた。余は之を惜むものだ。勿論郷土の意義も其の教科として必要なる理由もしかと理解せざりし為め、郷土誌の教授が無意義に終わりしならんも、一度法令から削除せらるると、恰も火の消えた如くに其の研究は止められた。而し時勢の進運は之が研究を促し来って今や其の聲漸く高くなった。
抽象的なる地圖によって未經験な土地の事項を想像に訴へて教授せんとする所謂架空樓閣の地理教授に於て無意義無勢力に其の結果が終らうとする歴史科教授に於て児童の生活に没交渉なる終身科教授に於て、直觀の基礎なき名数の計算をなさんとする算術科に於ても其の想像の基礎となるべき觀念の教授は最も重大なる第一歩の仕事である。郷土直觀による基礎智識のなくては、単二地理歴史修身算術の各科のみならず、卑近なる活用方面を逸したる國語科の教授に於ても亦標本模型にとらはれたる理科の教授に於ても農村開發に直接関係ある農業科教授に於ても之れを完全に施すことは出来ないのである。そこで郷土材料を重視せよと云ふ思潮も當然起るべきのであります。茲に於て郷土に関係ある材料に留意すべきは勿論其の教材を出来得る限り地方的に化さなければならぬ。この研究の起ったのも全くそこに因るのである。