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第6巻【近世・近代・現代編】- 第1章:地誌

第7節:七郷村郷土研究(抄)

第二編 郷土研究

第一章 郷土の陸界

第二節 平野の觀察

觀察要項

1 平野の山地と違ふ處 即ち表面の凹凸が少なくて平坦であること。(平野は高さによって低原と高原に分れて居る)
2 平野と人生との関係 交通が便利で農業其の他の經營に都合よく、人間の生活には最も重要の物である。故に村落も都會も多く平地にある。
3 平野の利用 平面から傾斜十五度以内が農業に適した所で耕作に利用されてゐる。二十八度は大砲の車の漸く上り得る處である。十五度以上は牧畜の出来得る處である。
4 最も生産力に富んだ所は平野なること。土質の觀察も加ふ。

郷土の平野

 吾が郷土は日本第一の関東平野の一部分を占めて居るのかも知れないが、何分山のみ多くてこれが平野といふて觀察せしむるに適するものもないが、児童が觀察し得る手近のものを決さす。

加須川平野

 本村より流れ出て本村で其の名を終る川であるが、本村南部山脈と中部山脈との間を流れて居る加須川の流域の平野で、學校の敷地からは其の大部分を望み得るのである。

滑川の平野

 本村北部と中部山脈との間より起る平野で、福田村、宮前村に亘(わた)る頃は其幅最も廣く七、八町に及ぶのである。

市の川の平野

 本村南部山脈の南に添へる平野なれど、あまりに廣からず狭からずの平野である。

荒川の平野

 熊谷町は実にこの平野中にあるもので、吾が校から北へ二里進んで御正村大坂に至る時は、其の目前に大平野を見る事が出来る。これが荒川の平野なのだ。即ち関東平野の一部分なのだ。わが郷土の山、殊に笠山に登りて望むときは関東平野は一目に入るのである。

 わが郷土の土質は一言ならば洪積土にて成れるものだ。重に台地をなしてゐる。更に之をわが村の各字別の土質を記さば

 越畑 其の色赤黄なる埴土を混じ悪し。
 杉山 其の色青色で間に埴土を交えてゐる。俗にヘナ土と云ひ居って、稲梁には適さない。
 廣野 其の色赤黒。壚土、粘土が相混じてゐる。
 吉田 赤色或は黄埴土を交へ稲梁、麦桑に適して居る。
 古里 其の色赤黒にして埴土少ない。
 太郎丸 其の色赤黒で、壚土、粘土が交ってゐる。過半埴土を混じて居る。
 勝田 赤黒色なる土に小岩を混じて居るが、稲梁麦桑にはかなってゐる。
 この土質は明治十七年頃の調べだけれど*1、ここに載す。

七郷尋常高等小学校(板倉禎吉編)『郷土研究』(嵐山町立七郷小学校蔵)

*1:『七郷村誌原稿』の各村を参照。

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