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第6巻【近世・近代・現代編】- 第1章:地誌

第7節:七郷村郷土研究(抄)

第二編 郷土研究

第一章 郷土の陸界

第一節 山地の觀察

觀察要項

1 山の特色 即ち陸地の著しく隆起したるもので孤立したものがあり連続して山脈と名付られて居るもののあること。
2 山には其の部分に應じて特種の名稱のあること。即ち麓と頂上、半腹、山脈にては最低の部分が利用されて道路となり、通常峠と呼ばれて居ること。
3 山の高さ これは其の山の麓が何米の高さになって居るかを知らせて置く必要である。麓が海面ならば好都合である。現在の我が郷土にはそれがない。また高い山で軍事上必要な處には三角標などがある。
4 人間との関係 村境、郡境、縣境、大きくは国境となって居って、地方民族等の割據に都合のよいこと。山地には戦場や、関所などの古蹟に富んでゐる。また賣り出す品物は安く、買って来る品物は高騰である。即ち売買に不便なること。郷土の山よりの生産物が其の郷土の人に如何に利益を與へて居るか。生産物及び植林つけたり樹木の年齢等。
5 美的関係 遠近により、朝夕、四季或は晴雨、晴曇等により其の色彩を異にすること。剣ヶ峰、鎗ヶ嶽、駒ヶ嶽等の美的名稱の起り。美的要素の重要なのは山にあること。
6 山の成因(火成岩、水成岩の別) 火山(活山火、休火山、死火山)

郷土の山嶽及び山脈

(學校又は學校の裏山にて望み得る山は郷土の山嶽及び山脈ならずとも之れを記入す)

七郷南部山脈

 浅間山(センゲンヤマ)(一一五米)
 城山(ジョウヤマ)(一二二米)
 尼ヶ峠(アマガトウゲ)(一〇七・四米) △
 城山(シロヤマ)(一〇五米)
 南部山脈は平均凡そ九十五米の高さにて、七郷東方に於て終る。

七郷中部山脈

 高津堂山(タカツダウサン)(一三九・六米) △
 草加山(サウカヤマ)(一〇一米)
 ポンポン山(一〇二米)(吉田)
 高山(タカヤマ)(一〇八米)
 火事山(カヂヤマ)(一〇二米)
 金更山(カナサラヤマ)(一一三米)
 御堂山(ミダウヤマ)(一〇四米)
 二宮山(ニノミヤヤマ)(一三一・八米)(伊古)
 中部山脈は平均凡て九十四米の高さにて、七郷中部を貫通し、数條の支脈(七郷小學校の如きは其の支脈中にある)を南北に出し、丁度の背骨のやうだ。比企郡吉見領まで達して居る。

七郷北部山脈

 神山(カミヤマ)(九五米)
 北部山脈は高きもの少し。平均九十米に上らず。されど比企郡の東部まで走ってゐる。

右に記したのは重(おも)に七郷村管内の山なれど、總て百米以上にて、名あるもの十有三ある。觀察に一日程を費やすものも少なくない。

 大立山(オホダテヤマ)(一三米)宮前村 學校(七郷學校を指す以下同じ)の東方。
 高根山(一〇五・一米)小原村 學校の東北に見ゆ。
 雷電山(九四米)大岡村 學校よりの方角、前と略(おおよそ)同じである。
 千手堂山(一八三米)菅谷村 學校より南方にあたる。
 岩殿山(一三五・六米)岩殿村 學校の南東。 △
 四津山(二〇五枚)八和田村 學校の西南にあたる。
 笠山(   )比企郡の西境。學校の西南。

次に記すのは一日程ではないが學校の裏山(一〇〇米)の高地に望み得るもので、殊(こと)に地理教授上には必要だから茲(ここ)に明記するのである。

 三國山(一九六七米) 長野・群馬・埼玉との境
 雁坂嶺(二〇三一米) 埼玉・山梨との境 三國の南
 大洞山(二〇四八米) 仝         〃
 雲取山(二〇〇一米) 山梨・東京との境  〃
 武甲山(一三三六米)
 城峯山(一〇三八米) 共に埼玉縣内の高峰
 浅間山(二四五八米) 度々鳴動して吾が郷土へ地震を起すので有名な活火山である。常に煙をはいてそれが雲の如く見えて居る。
 赤城山(一九四九米) 冬期北方より吹きすさぶ身を切る如く風を赤城おろしといってゐる。
 榛名富士(四五七米) 郷土の人が行く榛名神社も、伊加保温泉もこの山の麓にある。
 三国峠(一二八八米) 群馬、新潟の境。
 白根山(二一四二米)
 庚申山(二二八六米)
 日光山(二四八四米) 形富士山に似て美である。梵東照宮廟はその麓にある。有名な瀧もこの山の中腹にある。
 筑波山(八七五米) 当方に見ゆる山。
 富士山(三七八八米) 日本一の名山。これは熊ヶ谷堤又は松山城趾等にて望み得るもの。

 學校の敷地の高さ(八四米)
 學校の前の耕地(八〇米)
 學校の裏山(一〇〇米)
 児童に常はこの高さに居る事を忘れてはならぬ。但し△印あるものは三角標あるもの。

七郷尋常高等小学校(板倉禎吉編)『郷土研究』(嵐山町立七郷小学校蔵)
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