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第6巻【近世・近代・現代編】- 第9章:戦争

第2節:戦争の記録

比企郡七郷村青年団『青年団報』第2号 (1939)

支那事変と我等の覚悟

               田幡寛吉

 支那事変勃発以来国民一層の緊張勤労せるうちに満二ヶ年余を矢の如く過ぎ去り、しかも連戦連勝、敵地を奥へ奥へ進み行く間に、年月を夢の様に迎へられたのでございました。
  天に代わりて 不義を討つ
      忠勇無双の 我が兵は*1
 当時、おお昨日も出征、今日も動員と、手に手に旗を振り、勇ましき軍歌と万歳、万歳とで駅頭に勇士を送りて後、農夫は我れも我もと鋤鍬をふり、熱汗をしぼって働きつつ、反面には遠いみ空の将兵を偲び、手を合せて感謝すると共に、物資節約に、勤倹貯蓄に進んで勤労奉仕に、或は千社詣りに国民挙って武運長久をお祈りいたしました。やがて国民の歓喜は南京陥落、徐洲武漢三鎭等支那の重要地は悉く占領され、旗行列、提灯(ちょうちん)行列に国民の喜びは天地に漲(みなぎ)り溢(あふ)れました。
 又新聞やニュース映画等で月さへ凍る厳寒の下に敵を睨んで剣をとる兵、鉄をもこがす炎熱も厭はず荒れ果てた山河を幾千里と進み行く情況を見る度に、知らず、知らず目頭があつくなり、胸にこみあげて来るものが御座います。私達が今からして安らかに不自由なく生活出来得るも、皆々家を故郷を其の身を忘れて一身を君国の為に捧げて働へて下さってた、将兵様のおかげで御座います。事変も愈々長期戦となってまゐりました。今時局の重大さをしかりと認識して一層堅忍持久(けんにんじきゅう)、物資節約に勤倹貯蓄に進んで、銃後戦線に活躍せねばなりませんですから、私達は如何なる苦難にも打勝って増産業戦線に精進すると共に、日々の修養を怠らず、立派な日本男子となって御恩を報ひなければなりません。戦線を思ひますれば『七転八起』たとへ倒れても亦起き上り向上の道に国民一致団結して強く、正しく生きて、ゆかなければなりません。何も忠実に勤勉であれば、後に成功するものであるの確信を以って明るい生活をして行きませう。
 同時に姿こそ見へねど遠へ彼方の皇軍将兵様の武運長久をお祈りすると共に、深い感謝を献(ささ)げつつ、毎日緊張して作業に従事いたしませう。

比企郡七郷村青年団『青年団報』第2号 1939年(昭和14)12月

*1:軍歌『日本陸軍』(作詞・大和田建樹、作曲・深澤登代吉)
一番(出陣)
 天に代わりて不義を討つ 忠勇無双のわが兵は
 歓呼の声に送られて 今ぞ出で立つ父母の国
 勝たずば生きて還らじと 誓う心の勇ましさ
二番(斥候)
 或いは草に伏し隠れ 或いは水に飛び入りて
 万死恐れず敵情を 視察し帰る斥候兵
 肩にかかれる一軍の 安危はいかに重からん
三番(工兵)
 道なき方に道をつけ 敵の鉄道打ち毀(こぼ)ち
 雨と散り来る弾丸を 身に浴びながら橋架けて
 わが軍渡す工兵の 功労何にか 譬(たと)うべき
四番(砲兵)
 鎚取る工兵助けつつ 銃取る歩兵助けつつ
 敵を沈黙せしめたる わが軍隊の砲弾は
 放つに当らぬ方もなく その声天地に轟けり
五番(歩兵)
 一斉射撃の銃先に 敵の気力をひるませて
 鉄条網も物かわと 踊り越えたる塁上に
 立てし誉の日章旗 皆わが歩兵の働きぞ
六番(騎兵)
 撃たれて逃げ行く八方の 敵を追い伏せ追い散らし
 全軍残らず打ちやぶる 騎兵の任の重ければ
 わが乗る馬を子の如く 労る人もあるぞかし
七番(輜重兵)
 砲工兵騎の兵強く 連戦連捷せしことは
 百難冒して輸送する 兵糧(ひょうろう)輜重のたまものぞ
 忘るな一日遅れなば 一日たゆとう兵力を
八番(衛生兵)
 戦地に名誉の負傷して 収容せらるる将卒の
 命と頼むは衛生隊 ひとり味方の兵のみか
 敵をも隔てぬ同仁の 情けよ思えば君の恩
九番(凱旋)
 内には至仁の君いまし 外には忠武の兵ありて
 我が手に握りし戦捷の 誉れは正義のかちどきぞ
 謝せよ国民大呼して 我が陸軍の勲功を
十番(平和)
 戦雲東におさまりて 昇る朝日ともろともに
 輝く仁義の名も高く 知らるる亜細亜の日の出国
 光めでたく仰がるる 時こそ来ぬれいざ励め

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