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第6巻【近世・近代・現代編】- 第9章:戦争

第2節:戦争の記録

比企郡七郷村青年団『青年団報』第2号 (1939)

郷土の便り(杉山)

               内田哲郎

 青く高く清浄なる大空、黄色を帯びし実もたわわな稲穂又、その上を吹き渡る風、又、終日しとしとと降る雨、辺り一面に聲える虫の音、全く今は中秋である。秋の風情は万物に宿り、天地間の物皆果を結ばんとして居ります。誠に秋は広壮であります。人間世界は今東、又西に正邪の区を別ち邪を滅せんと尊き人命を無にして奮戦して居ります。宗教的立場から見れば誠に哀れな事に思ひる事でもあらう。将来の事、又、その為に立たんとせん国より見れば大いに意義のある事も思ひます。
 鴨長明の方丈記、うたかたに、ゆく川の水は絶えずして、しかも元の水にあらぢ。よどみに浮ぶうたかた(泡)は、かつ消え、かつ結びて、久しく止る事なし。世の中にある人と住家かとはまた此の如しと。之は、人生のいかにはかなきかを嘆いた文句に過ぎない。何故短い一生の中に人間は何んの為に血を流して闘はねばならぬのか。
 戦ひは人間ばかりではない。ありとあらゆる生物には常に闘争がある。ましてや万物の長たる人間に於ておや。それがなからう筈はない。祖国を思ふは我を思ひば、日支事変も最早二ヶ年余、聖戦の成果も益々上って居ります。吾が杉山よりも武勲を輝かせつつ大陸の山野に広駆して居ります。勇士は多数居ります。之ら勇士の方々に銃後の青年として何を以って報えたならよいであらうか。その一端として団報を通じて、字の大様の偶筆を以って御報告させて戴きます。顧りみれば事変始って実りの秋最早三度、勇士の皆様も農家の出身故、敵を前に銃剣いだきて漸しの間まどろむ夢に、又一時の休みに、思ひは故郷に走り、本年の稲の出来は、蚕はと色々と御想像の御事と推察致します。
 第一線の皆様喜んで下さい。未曽有な大事変に会ひ無くてはならぬ農作物は多幸な事に、本年は非常に豊作です。今、田圃は実もたわわな稲穂は秋風にないで居ります。土用より今日まで天候実に良く、稲順調に過ぎ、最早多収は間違はないだらう。
 夏作も大豆、小豆と云ひ稀にみる上出来です。これ皆神の加護です。第一線の兵隊さんの御陰です。養蚕もこの晩秋蚕は十円以上だろうと云ふ非常な高値の由で、銃後も前線の皆様に負けはせぬと皆張切って居ります。春蚕も初秋蚕も好成績を得ました。掃立数量からも、又収繭量より見ても労力不足の今日に於いても決して以前に劣ってはおりません。
 弾丸の飛び来る炎熱の中を呑まず、喰はず、昼と云はず、夜と云はず御国の為に戦って下さる沢山の勇士の方々を思ひばと、銃後も全く真剣です。
 吾が杉山にも一大文化の一端が現はれました。百何十尺とかの鉄道省、送電大鉄塔は越畑より来る広野大橋付近より薬師堂前に入り、杉山を斜めに走り、志賀観音堂の南に通って居ります。山頂に巍然(ぎぜん)とそびえる様は文化の対象物のなき吾が村にとっては実に一偉観です。工事は当地に本年早春に始められ、八月に完成した様です。最早全完成も間もなく発送電される由です。この暁は東海道本線は電化され、又工場は今の電気不足も吹き飛ばし、工場のモーターの物凄い唸りは多数の生産品を山と積むことでありませう。
 未だ特筆すべきは数ありますが、杉山支部の様子を御伝へ致しませう。
 事変が始まりますと、出征、入営、又や都会の工場にと、国防の第一線に又産業戦士として活躍なされて居ります故、支部員は全く少人数となり、或は時などは七人となり心細さを感じた事もありました。然し人数など問題ではない。前線の兵士は何十倍もの敵と戦って居るではないかと。協力一致の実を上げ支部員毅然たる態度で活動して下さいました。
 新鋭青年、早川長助君は名誉ある興亜青年、報国隊埼玉中隊の一員として、一月より満洲に参り、智識を博めて間近に帰還致す事でありませう。
 我々のよき指導を待って居ります。
 本団役員も本年早春代り、更に強力な七郷青年団が組織され、若人としての任務を遂行しつつあります。吾が杉山より阿部新団長の就任を見、支部の誇りとすると共に、支部員一同の心身共に強固に、事業遂行に、且っては比企郡連合青年団より表彰されし栄誉を更に光輝あらしめんと努力致しつつあります。前線の諸兄よ、中秋十五夜の月も間もありません。弾丸飛び来る広野の果に、枯草枕に眺むる異郷の月、故郷の月と異はねど自らその趣情は異なる事でせう。月見る度に故郷を思はぬ者はない事でせう。
 雲なき夜空を昇る月に、又、雲間に浮ぶあの月に、過ぎし数々の戦闘に、厳寒、酷暑をものともせず、全くの苦難と戦って、只祖国日本の為、東洋永遠平和の為にと働き下さる勇士を思ふ時、何を以って、之に報えんや。吾等若人はこの位の労力不足は「何のその」の意気で勤労倍加、生産拡充に一人で二人分も三人前も働くことこそ銃後青年の大きな努めである。与へられたる義務でなくてはならぬ。
 そして戦場の勇士に先づ安心して戴くことが大きな感謝の一つである。
 今攻め立てられて居るあの悲惨なポーランド民衆、又敗戦に敗戦を重ねて居る蒋政権下の支那民衆のいかにみじめであるかを考へた時、吾々は皇恩の又国体のいかに有難いかを一時も忘れてはならぬ。
 前線の兵士も銃後の吾等もお互ひに励まし合ひ更に振るえ立ちて新東亜建設の一大事業に邁進すると共に東洋永遠平和の礎と進んでならうではありませんか。国防第一線の諸兄よ益々奮励致すと共に御自愛の程御祈り申上ます。(終)

比企郡七郷村青年団『青年団報』第2号 1939年(昭和14)12月
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