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第6巻【近世・近代・現代編】- 第9章:戦争

第2節:戦争の記録

比企郡七郷村青年団『青年団報』第2号 (1939)

戦線の勇士を想ひて

               早川正吉

聖戦下三年目の実りの秋を迎へて、只管(ひたすら)北中南支の第一線にて興亜建設の礎石として活躍する皇軍勇士の面影を思って銃後国民の感謝に堪へ難きものです。顧みれば過去の昔二年或は三年の実りの秋、垂穂も風になびいて金波銀波を瞳に映しつつ、日の丸と歓呼の声に送られて元気一ぱい銃後をしっかりと頼むぜと車窓より日の丸を打ち振り打ち振り出征したあの郷土先輩勇士を黄金の波を目にして、心中より強く思ひ出されます。
この勇士こそ、支那の荒野での活躍は一方ならぬものでしたらうと思ひます。
暑い暑い酷暑も寒い寒い厳寒も只、頼みの銃剣を手に執り、東洋平和のため砲煙弾雨の中をくぐり、或はトーチカで又クリークで、雨に降られた事もあるでせう。寒風積雪に悩まされた事も多々あったでせう。其の苦戦は筆舌にも語り得ないでせう。
又過日来は北支方面は八十年来の雨とて、戦友より便りを頂いております。河川は大泥濫道往く人も昔の大井川を渡る如き、雲助の話の様とて承はるが、其の辛苦は一方ならぬものだたらう。
そうした自然に苦しめられつつも第一線で鉄砲玉の中で、敗残兵の掃蕩に、鉄道警乗勤務に、また宣撫工作に、日夜軍務に精励する兵士を思ふ時、我々は何と感謝して良いか解りません。
職場の勇士を思へば、我々の日頃の暑さはなんでもない。暑いからとて自由に休めるのですから。勇士を思って少し位の暑さは克服して、労力不足の今日勤労倍加、一人で二人分も働く様にして、農産の拡充を計らねばなりません。
我々は銃後に有りて青年として、こお新東亜建設にあらゆる難局を打解して進まねばなりません。
荒波が襲って来るとも先づ戦線の勇士を思って、乗り超へ乗り超へ如何なる艱難も突き飛ばして進まう。
そうして日頃の勇士の有難さを一日も忘れることなく、日常職場で働き乍ら、暇あれば慰問文なり、慰問袋を奮って送りませう。
彼地に南船北馬する勇士こそ、故郷の様子が知りたいのだ。便りこそ銃後国民の及ばぬ嬉しさだそうです。お互いに励まし合ひ振ひ起ちて戦線の勇士を安んじ、一日も早く此の大難局を突破して、挙国一致堅忍持久の心構ひを層一層深め、新東亜建設に邁進しようではありませんか。

比企郡七郷村青年団『青年団報』第2号 1939年(昭和14)12月
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