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第6巻【近世・近代・現代編】- 第9章:戦争

第1節:戦争体験記

戦時下の半地下工場建設と朝鮮人労働者

戦時下の半地下工場建設と朝鮮人労働者4

私は墨田の鐘紡工場から派遣されてきた

 私は昭和12年(1937)に結婚しましたが、その頃は炭屋と氷屋をやっていました。そのとき徴用で墨田にある鐘紡の工場に入ることになりました。工場に行ってみると道の右側は紡績工場で女工さんばかり、左側は男ばかりでエンジン工場でした。当時、鐘淵ディゼルという言葉は使っていました。
 当時、川口に本社にある鐘淵ディゼルは船のディゼルエンジンをつくる工場でした。東京の墨田にある鐘淵の工場でも川の淵にエンジン生産の工場をつくって生産を始めたので、私はそこに徴用されたのです。私がその墨田にある鐘淵の工場からこちらに来たのは、昭和20年(1945)3月10日の東京大空襲の前ですね。3月7日か8日頃です。嵐山に、川口からは偉い人がずいぶん来ていました。墨田から来たのは私の他は小林さんだけでした。
 小川町に現地本部の事務所がありました。その小川町には宿舎があって、朝鮮人は小川駅の前などにもかなりいました。私は資材を配る仕事で嵐山の方が中心でした。この辺では朝鮮人は山の木を伐り、工場の基礎造りをしていました。

【1996年9月11日、話者:嵐山町平沢S・K氏(1909年生まれ・87歳)、聞き手:石田貞】

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