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第6巻【近世・近代・現代編】- 第9章:戦争

第1節:戦争体験記

君の名は

                越畑 福島和

「忘却とは、忘れ去ることなり。忘れ得ずして忘却を誓う心の悲しさよ」
 懐かしい連続ドラマ「君の名は」の冒頭のナレーションである。
 敗戦色濃厚の昭和20年(1945)6月頃、私が勤務して間もない軍需工場、東京製綱(株)熊谷工場の試験部(現在の熊谷商業高校や広瀬住宅団地)にも、学徒勤労動員された熊谷桜雲女学校の生徒さんがワイヤーロープなどの試験業務に従事されていた。ある日、空襲警報と同時に、アメリカの小型戦闘機P51により突然機銃掃射を受けたことがあった。ダダダーンと耳をつんざくような激しい銃声に防空壕に逃げ込む間もなく、皆、工場の片隅に防空頭巾で耳をふさぎ、互に身を寄せ合い恐怖におののいていた。
 しばらくして銃声が止み爆音が遠のくと、ほっとして我にかえり、生徒をかばっていた手をはなした。ほんのりとほほを紅(あか)らめ、そしてにこっと微笑(ほほえ)んだその清純な顔、今も忘れられない。激動の青春時代を過ごさざるを得なかったあの生徒さん達は、その後、幸せな人生を送っているのだろうか。
 なんだか、「君の名は」のストーリーがだぶっているような我が人生。忘れ得ないでこれからも有意義な日々を送っていこうと心がけている毎日である。
(参考)右の工場は軍事秘密保持のために「皇國四五九三工場」とされていた。


熊谷商業卒業写真(1945年3月28日)

『朝日新聞』声欄に投稿(平成16年11月24日)した原稿を平成17年(2005)7月24日に改稿。筆者は1928年生まれ。当時、熊谷市鎌倉町四丁目在住。1945年(昭和20)3月、埼玉県熊谷商業学校第23回卒業(甲種第6回4年制)。東京製綱(株)熊谷工場の試験部に勤務していた。

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