ページの先頭

第6巻【近世・近代・現代編】- 第8章:女性の活動

第3節:法人組織

日本赤十字奉仕団

嵐山町赤十字奉仕団の発足

 昭和47年(1972)4月13日の発番にて、日本赤十字社埼玉県支部より嵐山町に奉仕団の結成促進についての依頼文がまいこみました。
 内容は、地域において赤十字事業の推進にあたる日本赤十字社の第一線機関として、あらゆる地域に普遍的に組織されることが理想とされている奉仕団を育成してほしいというものでした。
 その当時の、埼玉県における赤十字奉仕団の発足状況は、県下92市町村の内の54市町村—78団(23市—30団、31町村—48団)で団員は8247人であって、まだまだ全市町村にはほど遠いものがありました。
 しかし、比企郡市においては、
 東松山市 1団 122人
 滑川町  1団  74人
 小川町  2団  68人
 都幾川村 4団 620人
 鳩山町  2団  81人
 玉川村  1団 225人
 東秩父村 1団  60人
 川島町  4団 762人
 吉見町  1団 350人
で、団員数で埼玉県の29%を占め、唯一比企郡において、奉仕団が存在しないのが嵐山町だけとなっていました。
 そこで、嵐山町でも中島立男住民課長を中心に早急に赤十字奉仕団の結成を図るべく模索が続きましたが、奉仕団結成への動きにはなかなか繋がりませんでした。
 でも、昭和50年(1975)7月11日の日本赤十字社埼玉県支部の担当による説明会を切っ掛けとして、修養団で活躍していた佐久間正光氏、飯島信子氏を中心とした18名の会員にて、昭和50年7月24日を総会とする赤十字奉仕団の結成が計画されました。
 しかし、総会を直前にして、地域性をともなわない既存団体の延長的な色彩をもつ有志による奉仕団の結成は、育成主旨になじまないとの指摘もあり、赤十字奉仕団の結成が断念されました。
 それ以後、嵐山町において、赤十字奉仕団の結成が宿願となり模索が続きましたが、昭和53年(1978)度に入ると、民生委員が主体となって関係地区を啓蒙し、団員を募って嵐山町の全域を網羅した赤十字奉仕団の結成を図ろうとの案が浮上してきました。
 そこで昭和53年(1978)9月12日、午後1時30分からの中央公民館における初めての打合せとなりました。
 その結果、民生委員などの活躍もあって288名の団員希望者が集まり、昭和54年2月13日に中央公民館大会議室において、日本赤十字社埼玉県支部関係者、奉仕団埼玉県支部長、比企福祉事務所長などを来賓に迎えて総会が開催されました。長いあいだ嵐山町の課題となってきた赤十字奉仕団が結成されました。
 そしてその奉仕団は、いざと言うときのための災害研修、寝たきり高齢者等への慰問品の作成、社会福祉協議会の実施する社会福祉事業への協力参加、河川清掃、愛情弁当作り等のボランティア活動等々、活発な活動を展開してきました。
 そしてまた、平成14年からは、高齢化社会をむかえて問題となってきた老人の家庭ひきこもり防止のため、ふれあいサロンを嵐山町の9地区において実施するようにもなりました。

嵐山町社会福祉協議会『嵐山町社協のあゆみ』2004年(平成16)8月 62頁〜63頁

 埼玉県内初の奉仕団結成は、1949年(昭和24)4月14日の蕨市奉仕団。比企郡内の結成年月日と1985年(昭和60)度の団員数は、次のとおりである(日本赤十字社埼玉県支部『赤十字埼玉百年史』1988年3月 510頁)。
東松山市    1957年(昭和32)4月19日 207人
滑川町     1957年(昭和32)4月6日  63人
嵐山町     1979年(昭和54)2月13日 288人
小川町     1957年(昭和32)3月20日 100人
小川町大河   1957年(昭和32)3月20日  27人
都幾川村平   1956年(昭和31)9月20日  31人
都幾川村大野  1956年(昭和31)10月1日 132人
都幾川村明覚  1956年(昭和31)10月1日 334人
都幾川村椚平  1957年(昭和32)4月17日  46人
玉川村     1951年(昭和26)7月3日  36人
川島町伊草   1951年(昭和26)9月10日  35人
川島町中山   1957年(昭和32)3月20日  94人
川島町三保谷  1969年(昭和44)12月5日 119人
川島町出丸   1971年(昭和46)9月13日  24人
吉見町北    1957年(昭和32)3月20日  40人
鳩山町亀井   1957年(昭和32)3月20日  50人
鳩山町今宿   1957年(昭和32)3月20日  58人

このページの先頭へ ▲