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第6巻【近世・近代・現代編】- 第8章:女性の活動

第3節:法人組織

国立女性教育会館 (NWEC)

国立婦人教育会館初代館長
         縫田曄子さん退任
             後任に志熊さん

 国立婦人教育会館(比企郡嵐山町)の初代館長を務めた縫田曄子(ぬいた・ようこ)さんが九日付で退任する。後任は文部省婦人教育課長の志熊敦子(しくま・あつこ)さん。
 同会館は婦人教育の振興を図るため、指導者を養成したり婦人教育に関する専門的な調査研究などを行う社会教育施設。日本では唯一の機関だが、外国でもあまり例がない。縫田さんは五十二年(1977)七月の就任以来、婦人教育活動の充実を図るため各種研修活動、国内交流はもとより、ユネスコ国際交流など海外婦人との交流を成功させるなど幅広く活動してきた。退任後は婦選会館理事の仕事に専念するという。
 縫田さんは四十六年(1971)六月、NHK解説委員を辞め、第二期美濃部都政の初の女性局長として民生局長(現在は福祉局)に就任、四年間美濃部都政に貢献した。その後、再び嘱託解説委員としてNHKに復帰したが、文部省の強い要請で初代館長に。
 就任後は毎日、東京の自宅から通勤、遅くなると泊まり込むという生活が続いたという。在任中の大きな仕事の一つに挙げたのは、同会館に婦人問題に関する情報センターの機能を果たさせたこと。いま情報図書室には内外の婦人教育、家庭教育に関する情報資料が収集され、広く活用されている。
 縫田さんは「一つの地位に長くいることは…」と昨年から辞意を表明していた。

『埼玉新聞』1982年(昭和57)7月9日
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