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第6巻【近世・近代・現代編】- 第8章:女性の活動

第3節:法人組織

菅谷地区・七郷地区母子愛育班合同体験発表会(1965年)

二児の母として育児の体験から感じたこと

            遠山支部 山下好子

 私が愛育会遠山支部の役員としてその任を命ぜられて早や1年が経とうとしております。愛育会についての知識を何一つ持たぬまま、自分の子供二人がお世話になったその御恩返しのつもりでお引受けした様な次第でございました。御承知のとうり遠山は菅谷村の僻地(へきち)と云われる程の不便なところですので、農繁期最中(さなか)或いは夏のうだる様な暑さの中を、私のミルクを受けるため役場まで一里余りの坂道をテクテクと歩いて行って下さった前の役員さんのことを考えますと、どうしてもイヤとは云えませんでした。四月に行なわれた第一回支部長会議、続いて訪問についての教習、と会を重ねるたびにだんだんと愛育会のはたらきというものがわかってまいりました。そしてこの会が子を持つ母親にとって如何に大切であるか、少しづつわかってきた様に思いました。そんなわけで最初は婦人会の一部位にしか思っていなかった私には会の大切さを知り、その責任は大であることを痛感して、今年は一人であった役員を来年度には是非とも二名位つくっていただきたいと思いました。部落の戸数が少ない為、役員ばかりたくさんつくると翌年、適任者がいなくなってしまうという心配から一人きり決めなかったのでしたが、一つの会を運営してゆくには会員一人一人から盛りあがる強い意志がなければならぬと思います。その様な態勢にもってゆくのが役員のつとめと思いますが、多忙な私生活に追われている主婦には、やはり強力な側面からの働きかけがなければなかなか動きません。以上の様なわけで篠崎保健婦さんの熱心な御指導にもかかわらず何一つ支部の皆様のために成果のなかったことをここに深くおわび致します。そして「研究発表会」というこの会の主旨に当るべき事業が出来ませんでしたのでご恐縮とは思いますが、私の子供に関して感じたことを述べ、発表に変えさせていただきます。
 私は現在二人の子供の母親です。長男はこの三月満五才になります。この子は生まれた時の体重が3500グラム、身長51センチで標準よりやや大きかったせいか発育もどこも順調でした。母乳が少なかったのでミルクと半々の混合栄養でしたが、お腹もめったにこわすことなくすくすくと育ち、誕生日には幾足か歩める様になりました。そして満三才の時、村及び愛育会の方々のお骨折で3才児検診が行われましたが、この時も身長132センチ、体重16.5キログラムと標準をはるかに上まわる体格でおほめの言葉をいただきましたが、名前と年令を質問された時、まわりに大勢の人がいたためか、家では何なく言えるのにとうとう言葉が出て来ませんでした。これには私も困ってしまいました。体ばかり大きくても精神の発育が伴なわなければ何にもなりません。精神年令ということを良く言いますが精神の発育にも、やはり一つの標準があると思います。満三才でその人の頭脳の型は決すると言いますから、この頃迄の育児がどんなに大切であったか、この時深く反省致しました。体重が増えているからうちの子は大丈夫と安心していたのではいけないのです。それからはつとめて子供の言動に気を付けておりますが、なかなか思うようにはまいりません。続いて次男が生まれましたが、この子も体格は長男と同じでした。母乳が今度は全然出ませんでしたので早めに離乳をはじめました。三ヶ月から穀物を入れ、おも湯、果汁とだんだん種類と量を増やして六ヶ月からは型のあるものを与えました。四ヶ月の時頃にカサブタのおできが出来、なかなか治りませんでした。乳児健診の時、保健婦さんからホウ酸軟膏が良いと教えていただいたので早速つけてみましたところ、だんだんと良くなりました。このカサブタのおできが治りに向いた頃、今度は手足からモモにかけて豆つぶくらいの湿疹が出来ました。「小児ストロフィルス」という病気だったが、これは大したこともなく数日で治りました。肌がアレルギー性で非常にデリケートだから、いつも清潔にして、果実等でビタミンCを多くとるようにと保健婦さんから教えていただきました。こうして春から夏いっぱい皮膚病になやませながらも体重は順調に増えて、いつも男子平均を上まわっていましたので毎月の測定がとても楽しみでした。言葉も割合早くからわかり、一年半の頃になりますと、やさしい歌もうたえる程になりました。二才のお誕生前ごろからだったか風邪を引いた上に、カンをおこしたと見え「どもる」様になってしまいました。気をいら立たせないよう落ちついて話すように言ってもはじめの言葉が口ごもって出てきません。こうしてもう三ヶ月近くなりますが、現在まだ変りないのです。大人になれば治りますよと云う近所の人の意見もなぐさめとしか思えず、全国には言語障害になやむ人の多い事を知り、何とかなおしてあげたいと思うのですが、どうしたら良いか迷っております。先生方及び愛育会の皆様方の御意見、御指導をお願いして発表を終らせていただきます。

菅谷地区・七郷地区『母子愛育班合同体験発表会』資料 1965年2月15日
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