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第6巻【近世・近代・現代編】- 第8章:女性の活動

第3節:法人組織

菅谷地区・七郷地区母子愛育班合同体験発表会(1965年)

双生児発育の一例

            古里支部 安藤あさ

 私は菅谷村の北端古里(ふるさと)に住んでいる一班員ですが近所のある家の双生児の発育の一例をとりあげてみました。
 この家を初めて訪問したのは3月25日のことでした。その時の妊婦の状況は妊娠8ヶ月でした。少し風邪気味で足はむくみ、手がしびれ、顔色も悪く、水ばかり飲みたく、どことなく気分が悪そうでした。分娩の準備も完全にはできておりませんでしたが、それから5日後の30日の夜、むくみがひどくなり、熱が出て歯をくいしばり、非常に苦しがり、見ているのもこわいくらいだそうでした。
 早速、藤野助産婦さんに来ていただき、この様子では子癇*1という病気らしいので直ぐ菅谷の水野先生に往診を依頼しました。先生もすぐ来て下さり、入院しないと親子共生命にかかわるとのことで、その夜のうちに入院しました。予定日より40日も早く、4月2日無事に2人の男の赤ちゃんが生まれました。定めし苦しかった事でしょう。私がもっと母子愛育班員として任務を果たしていたなら、こんな子癇という病気にかからずにすんだのではないかと、只申訳なく思っております。
 生れた時の赤ちゃんは、体重1.9kgと1.8kgの双生児でありました。母乳はお母さんの体力をつけるため、ごく少ししか赤ちゃんにはあげず、ミルクで育てました。初めはミルク7〜8回、母乳1回あげたそうです。2ヶ月程たったら母乳は殆んど出ず、ミルクを1日7〜8回やり、6ヶ月後には、ミルク5〜6回の外にトマトジュースを1回やり、かゆ子供ちゃわんに半分くらいというふうに離乳食を与え始め、8ヶ月には体重8.8kgで男の子の標準以上の発育ぶりになりました。年若で初めてのお母さんになられ、2人の赤ちゃんが同じ割合に、実に上手に育てられました。子守を専門としている人ではありますが、なかなか大変のことだと思います。私は何時もこの母子をみるたびに、ただただ感心するばかりです。これからもますます努力して、この2人のまるまる太った赤ちゃんを、より健康に御立派に育てあげて下さいとお願いせずにはいられません。1人の赤ちゃんでさえもなかなか大変ですのに2人を1度に育てあげるなど本当に、本当に御苦労様とお察しいたします。私達も、もっと母子の健康を守るために研究し、努力してゆきたいと考えております。

*1:子癇(しかん)…妊娠中毒症の一種。妊産婦が突然、全身の痙攣、失神などの発作を繰り返す状態。発作に先立つむくみ(浮腫(ふしゅ))、タンパク尿、高血圧の徴候を子癇前症という。

菅谷地区・七郷地区『母子愛育班合同体験発表会』資料 1965年2月15日
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