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第6巻【近世・近代・現代編】- 第8章:女性の活動

第1節:婦人会

菅谷地区婦人会『つどい』創刊号1958

感想「裲襠」を読んで

             菅谷 石根ゆき子

 忘れた頃になって返してもらったこの本を秋の夜長を利用して暫くぶりで又読み返す機会を得、ちょうど何か書くように頼まれて居りましたので感じたままを綴って見ました。彼女【壷井栄】の作品特有の平易さ、郷土色、豊かな風俗習慣を効果的に扱った文章は、文章自体の一節一節にも興味を引くものがあるが、作品の世界にも又何かをうったえ、何かを考えさせる余韻を残している。
 これは、小豆島(瀬戸内海の小島。作者の郷里)のある旧家の女性の物語で最初の嫁(すず)が着て着た松竹梅を縫いとった朱珍(しゅちん)の「裲襠(うちかけ)」を代々当家の婚礼に着用する。家につながって裲襠は誇りでもあり、どっしりと重く肩にかかる。そこに生きつづけた女達の運命が明治・大正・昭和の社会変化を背景にして描かれている。どの時代も夫が早死にして女主が跡取娘を育てる。それが単なる運命話におちいっていないのは、明治以後急激に変化した社会状態を裏づけとしている為と思う。そして最後は五代目の女性(戦後成人した娘さやか)の手によってこの裲襠は破られてしまう。「風化したのね、しょうがないわね。自然現象よ。でもごめんなさいね。悪かったわ。」とこの家代々の女達にわびねばならぬ内省心を待ちながら反抗するアプレ娘の手によって……いやこれは単なるアプレゲールの仕業ではない。移り行く時代の波によって根強い封建性がやっと破られようとしている一場面である。
 新しい教育や法律的には地勢に基き理論的には解決した問題、又都会に住む人達の間ではすでに解決のついているような問題も現実の日々の問題としてはそれが大きな重石(おもし)となっていることが多い。戦後多くの女性が高校、更に大学へと知性の発展を目指して進んで来たが果してその人達が学校を卒え、社会に又家庭に入った時、新しい時代を改良していくためにどの位の力を発揮しているかということを考え、又自分自身を省みるとき、此の作品がその実状をうったえ、又何物かを呼びかけているような気がする。単なる筋の面白さを追うだけでなく、私達の人生と比べて見ると今更ながら人間の前進のおそさとむづかしさ、複雑さが痛感させられる。私達の目に見えない「裲襠」がすりきれるのはいつのことか?
 しかし、私の一、二歩後を歩いている人(勿論生活年令で)は私の前を何歩も前進して行かれることは羨ましくもあり、又大変に喜ばしいことである。なにはともあれ広い目で将来に幸多かれと祈らざるを得ない。又自分自身も悔のない時間をつみ重ねて行く為に今の今をより美しく、正しく、おおらかに、生き抜きたい。

菅谷地区婦人会『つどい』創刊号 1958年(昭和33)11月
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