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第6巻【近世・近代・現代編】- 第8章:女性の活動

第1節:婦人会

菅谷地区婦人会『つどい』創刊号1958

地しばりのように

               根岸 根岸喜

 ・役員を酷使しない
 ・一人の百歩より 百人の一歩を
 ・婦人各自の自主性を
 ・五見主義とは

 婦人会が生れて八年、自分のこしらへたものが日に増し隆盛になる。感慨無量である。
 この喜びを前にしてふと後をふりかえると私は私なりに黒い悔のようなものが残る。先づ初めに私の事志と違って、変なものになったのに、「役員の酷使」がある。役員と云うものになったら最後、アレも役員、コレも役員、婦人会の重荷はこの何人かの肩に全部のしかかる。殊(こと)に支部長に於いて一層ひどい。会議は元より講習も講演会も、見学も、懇談会も、座談会も、話合も、売店も接待も一切合切この人の手で成され、出かける事の一切がこの人達だけの仕事になる。肝心要の会員はと言えば、任せ切ってどこ吹く風の涼しい顔、そ知らぬ顔で通る。その故か無事一年役員をすませた役員達は、今度は婦人会など見るのもいやという態度で誠にさりげない。丁度これでは役員の婦人会というもので、目的はガラリと外れる。一体こんな会を私が始めたのだろうかと反省させられる。
 婦人会は社交ではないのだから、役員何人かが代表に出てお義理をすませるというわけ合いのものではない。一人一人が学んで向上する為に出来たのであるから、皆さん各自が、身を以って参加し、実践するのでなければ意味を成さない。婦人会は一人の百歩は決して望まない。百人の一歩こそが貴いのである。役員たるものは、ただ会員を動かす世話人であるだけで、役員自身出て歩くものではない。この点を誤らないようにして欲しいと思う。
 私は、試案して根岸支部にその「役員」を置かない。否全部が役員とも言える。会員二十人、必要に応じて全部が家順に一人づつ其の日だけ出て次へ廻してゆく、恨め悔いのない順番役員、一日役員である。これで一年に一、二回回ってくる程度ですむ。皆平均して出るので文句もない。事あれば観音堂に二十人が集まって相談する。自分等で廻すという気持から自然、自主的になって行く。「人まねしないで何事も自分の良識に従って自主的に行動しよう」という約束を今年はスローガンとした。ここには一人の置去りもいない。役員の酷使もない。一人の百歩もない。百人の一歩を目ざして二十人が手をとってゆく。
 こうしてじわじわと地道に、あの畑の地しばりのように全体に根をくりひろげ、生食【生殖、繁殖?】を固めて行く根強い婦人の向上を私は待つつもりでゐる。
 何事も自分自身の身を直接打つけて、一人一人がじっくりと、考えて見る事、見て見る事、聞いて見る事、話して見る事、書いて見る事、この五見主義を皆様におすすめし、それらを婦人会を足場にして盛に利用して下さる事を重ねておすすめしたいと思う。

菅谷地区婦人会『つどい』創刊号 1958年(昭和33)11月
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