ページの先頭

第6巻【近世・近代・現代編】- 第8章:女性の活動

第1節:婦人会

菅谷婦人会『しらうめ』第16号1996

雑感

            嵐山町教育長 飯島留一

 紅葉の便りも聞かれるようになった十月二十日、二十一日と、全国木曽義仲ゆかりの会の総会で、長野県信州新町を訪れる機会がありました。
 長野県下でも、信州と名の付く町はこの信州新町だけだそうです。信州新町は長野市から国道十九号で犀川に沿って、車で四、五十分、大町方向に行った所で、山深い、山紫水明の地でありました。
 西に鹿島槍、その北に白馬連峰の姿を眺望できる素晴らしい景勝の地でもありました。
 総会も終わり、その翌日の二十一日、義仲公の法要を行うために、山深い山岳の上にある玉泉寺を訪れた時の話であります。
 到着した二十日から、わたしたちをお世話してくださった方の話によりますと、私達を案内するために、玉泉寺に通じる五メートル程の山間いの道路を、そう、車で十分以上あったでしょうか、その間の道路の痛んだ所は補修をして迎えてくださったということ、又、工事中のどうろについては、水を打って埃のたたないように配慮をしてくださったということ、そんな話を伺い非常な感銘を受け、頭の下がる思いでした。お寺に着くと、檀家の方々でしょうか、温かいお茶を煎れ、お茶菓子を用意し温かく迎えてくださいました。重ねての配慮に感銘しました。紅葉も一段と美しさを増しているように見えました。
 信州新町に育った人情というのでしょうか、人を迎える時の温かい配慮、心をひしひしと感じました。町づくりは人づくりだとよく聞きます。温かい心、豊かな人情、こういったものは一朝一夕にして育つものではありません。長い歴史や伝統、地域の方々の努力によって育つものだと思います。

菅谷婦人会『しらうめ』第16号 1996年(平成8)3月
このページの先頭へ ▲