第6巻【近世・近代・現代編】- 第8章:女性の活動
菅谷婦人会『白梅』第1号1980
追憶
山岸乃婦子
弱い力も集りや強い
もとは利根さへ一しづく
昭和二十三(1948)、四年(1949)頃、戦時中の重圧感から解放され、元菅谷村全体の菅谷村婦人会が発足した。婦人の教養を高め、会員相互の親睦をはかるを目的とした非常に多忙な婦人会活動であったが反面楽しい婦人会でもあった。
四十一年(1966)純農家の主婦が中央に集まるのが大変との理由で支部が解散になり、本部が休会した。今のように各家庭に電話あり車ありの時と違い、事あるごとに遠路砂利道を自転車連絡で、それに留守が多く無理もない事と思った。
休会したものゝ、凧の糸が切れたようで、郡連合婦人会やら県婦連との関係で責任を感じ、前会長、副会長と協力し、各方面に呼びかけ、四十三年(1968)再発足した。
月日は流れて嫁から姑になり孫に恵まれた今日、振り返ると皇居見学、船橋の汐干狩、又春の一日青年の家でのテーブルマナー等、思い出はつきない。かけ橋に鶯鳴けり峡の駅
連絡の帰り道、川島の土手から取って来た月見草が今年も芽生えた。毎年夏の夕ぐれ誰も見てくれないのに優しい大きな花をつける。そっと私はそれを見に行く。私の大好きな想い出の花。
菅谷婦人会『白梅』第1号 1980年(昭和55)
良い環境に恵まれ、若き良き会員と共に菅谷婦人会のますます発展される事を祈ります。