第6巻【近世・近代・現代編】- 第8章:女性の活動
嵐山町(町制施行後)
菅谷婦人会の今昔
現在活躍している菅谷婦人会は昭和二十六年(1951)二月に設立されました。
戦後の男女同権のもとで、婦人の地位向上が叫ばれ組織的活動の機運は高まりつつあったが、当時村の教育委員の助力もあって、村内各字からの代表四・五名ずつと青年団女子部や小中学校の女教師に呼びかけて設立準備委員会をつくり、村内を一団にまとめたようです。
当時の活動は戦後の子どもの教育に関心が強く、母親と教師の話し合いや、栄養料理の講習、冠婚葬祭の簡素化などの生活改善にも力を入れ、新しい時代への脱皮を計りました。また資金づくりの為、運動会に売店を開いたり、会員から七、八kgのさつま藷の寄付を集めて農協へ売り、その代金は婦人会の基金として現在に引き継がれております。婦人教育会館オープンを機に再出発
三十四年(1959)には愛育会活動も始まり意欲的に取り組んだが、忙しい農業の合間を縫っての活動、加えて各字からの交替制による役員の選出等々、なかなか思うにまかせぬ状況もあってその後休会となりましたが、三年後の四十五年(1970)には、また各方面に呼びかけ新会員を募りました。地元に国立婦人教育会館設立をきっかけに再出発し、現在の婦人会の基礎を作りました。
菅谷婦人会は、設立間もない頃より、全国地域婦人連合会に加入し、現在比企地区の連合会長も兼ねて活躍しておられる現会長に、菅谷婦人会の現在についておききいたしました。
「地域的には、菅谷9区、平沢上原地区、川島の十一支部で、会員数二四五名の特徴は、農家・商家・勤め人、新旧の住民と、環境的にも、年齢的にも(二〇代〜七〇代まで)幅広い層が含まれているということでしょうか。バザー・議会傍聴も
活動は本部三役・文化部・レク部・体育部の正副部長、十一支部の各正副部長が、会員の希望を入れた自主的な年間計画を立て、月一・二回の行事を行います。最近は講演会、議会傍聴等の希望も高まっております。定着した行事の一部に<チャリティバザー>ボランティア活動として、毎年一回開催、収益の全額を、町の福祉協議会へ寄付。<水泳教室>婦人教育会館の温水プールを利用し五年間続けてまいりました。今後は自主グループとして独立しますが、婦人の健康のため永く続くよう祈っております。
『嵐山町報道』315号 1983年(昭和58)7月30日
地域ぐるみの問題として、子供の健全育成が切望されております。今年は文化活動の一つとして、吉岡たすく著『親のつとめって何だろう』を全員で回読し、助言者をお招きして、話し合いの集いを計画しております。住みよい地域づくりの為にも会員一人一人の自覚を高めてゆきたいと思います」
—編集委員 伊東・加藤 記—