第6巻【近世・近代・現代編】- 第7章:文芸・学術・スポーツ
武道
埼玉県県道連盟小川支部
小川地方の剣道は。その歴史は古く、それぞれの時代に活躍された先輩の記録も多く残されている。
群馬県馬庭【現・多胡郡吉井町馬庭】の、樋口十郎右衛門定蒿の流れをくむ念流と、両神村【現・埼玉県秩父郡小鹿野町】小沢口の逸見太四郎義年(へんみたしろうよしとし)の流れをくむ甲源一刀流、および、秩父郡の高野佐三郎(たかのささぶろう)【1862-1950】の流れをくみ小野派一刀流の三派が中心をなしていた。他流派との交流もあったようである。当支部の古流には、次のものがある。
年代 演武場 流派 指導者 住所 寛政 養気館 念流 (免)小久保勘右衛門 小川町上古寺 天保12 講武館 甲源一刀流 (師)内田周三 ときがわ町西平 寛永2 士関演武場 甲源一刀流 (師)水野清吾年賀 嵐山町志賀 嘉永5 講武館 甲源一刀流 (師)新井荘司 小川町上横田 明治初期 講武館 甲源一刀流 (師)野口愛之助 小川町青山 明治初期 千手院庫裡 甲源一刀流 (師)沢田俊明 嵐山町千手堂 明治初期 千手院庫裡 念流 (師)田中友治 ときがわ町玉川 明治2 長養館 甲源一刀流 (5)中村清介 嵐山町古里 明治4 養気館分館 念流 (5)宮崎定次郎 小川町錦町 昭和6 甲源一刀流 (皆)瀬山鉄五郎 嵐山町千手堂 右【上】のほか、故人の主な指導者は、小川町の(免許皆伝師範段位)小久保満尊、(6段)小久保麟、(師範)新井仲助、(師範)新井正吉、(奥儀)山口助太郎、(奥儀)山口佐武郎、(教士7段)落合洪太郎、(教士6段)千野寿助。東秩父村の(5段)真下寅三。都幾川村【現・ときがわ町】の(錬士5段)小池宇一。玉川村【現・ときがわ町】の(免許皆伝)岡野玉造、嵐山町の(5段)島粼(崎)里次郎などである。
戦後、昭和27年(1952)4月29日(天皇誕生日)に小川町大塚の陣屋台に於て、県下の剣道大会がはじめて開催された。
当日、81組の試合が行われ、招いた先生方は、小沢丘、奥田芳太郎、鈴木祐之丞、梅沢照佳、星野五郎、間中鹿太郎、清水茂一郎、諸貫五三郎、北村博学であった。【別記の県下剣道大会番組によれば、菅谷村からの参加者は、(2段)細谷信一、粟生田儀一、関根浄二、野口千代平、(3段)細谷信一郎、小沢宗一、星野金作、(4段)恒木美浪であった。】小川部会剣道連盟の結成は、昭和25年(1950)で、初代会長には、結成に尽力された宮崎星麿が就任した。二代目には落合洪太郎、そして三代目の黒沢利輔に至っている。
現在、当支部では、各町村ごとに行っている稽古日のほか、寒稽古、暑中稽古及び昇級審査会、毎年9月15日の県下剣道大会、他支部等で行われる大会、県の大会、スポーツ少年団の大会、各地の研修会、稽古会へ積極的に参加している。主な稽古場と指導者
嵐山町は、菅谷小、中学校及び大妻女子高校等で約六十名。指導者は(3段)内田弘二、(3段)中島秀雄、(4段)木村嘉有、(3段)権田茂、(2段)中島雄二。居合道では、(4段)高橋明夫、(4段)佐久間正光である。【小川町、都幾川村、玉川村、東秩父村等略】
『埼玉県剣道連盟三十年史』(1984年11月)149頁〜151頁
※嵐山町にかかわる部分を抜萃し誤植などは訂正した。