ページの先頭

第6巻【近世・近代・現代編】- 第7章:文芸・学術・スポーツ

第3節:スポーツ

武道

大塚奓恵八の左右社

明治ノ初メ、月輪小学校ニ校長タリシ、大塚奓恵八氏、宮前村ノ呱々(ここ)ノ声ヲ揚ゲタル、市町村制発布ノ当時推サレテ村長トナリ、未だ全ク五大字【羽尾・月輪・水房・中尾・伊古】混一セラレザリシ、人情風俗ノ異レルヲ統御シ次イデ縣会議員トナリテ県政ニ参与セシ経歴ヲ有スル士ナルガ、氏ガ趣味ハ如何ニモ多方面ニシテ史学、文章詩歌俳諧、絵画ニ及ビ、加フニ武技ニ達シ、甲源一刀流ノ流ヲ汲ム。左右ハ氏ガ人格ノ発露セシ者ニシテ文ヲ右ニシ武ヲ左ニスルヲ意味ス。明治初年ノ創立ニして毎年夏冬ノ稽古を催ス。已に二十有余年、郷党子弟、此ノ風ニ化セラレ、本村ノ中、少年ニシテ嘗テ竹刀ヲ手ニセザルモノ稀(まれ)ナリ。中ニハ武技ヲ以テ、独立自営、自ラノ進路ヲ開拓セシ者少ナシトセズ。而シテ氏ニ最モ多トスルハ是等自立ノ士ヲ出セシ事ニ非ラズシテ一郷ヲ挙ゲテ、尚武ノ気風ヲ養成セラレシ事是ナリ。門弟已ニ五、六百名、氏ハ目下松山町ニ居住セシガ、老イテ益々盛ナリ。令息大塚誉田(ほもた)氏アリ。父君ノ業ヲ次キテ、左右社ノ前途、春海ノ如キモノアリ。

『宮前村郷土誌』(大正拾五年)第二章教化第七節社会的教化ノ機関
このページの先頭へ ▲