第6巻【近世・近代・現代編】- 第7章:文芸・学術・スポーツ
毎年2月19日は東松山市上岡と滑川町下福田の馬頭観音の縁日で、馬の健康祈願に参拝した農家や運送ひき(運送屋)でにぎわい、絵馬が売られていた。下福田の馬頭観音とは曹洞宗成安寺(滑川町福田1205)の境内にある馬頭観音堂。成安寺境内一帯は、旗本酒井重勝一族の陣屋跡と推定されている。
1865年(元治2)、福田村の小林三徳が成安寺の馬頭観音堂に奉納した算額は、1977年(昭和52)滑川町有形文化財に指定されている。『滑川村史調査報告書 民俗資料 第2集』(滑川村、1980年発行)22頁には、田中義一氏が次のように書いている。
三徳をたたえる
成安寺にある「算額」は元治2年(1865年)小林三徳が60歳のとき同寺の馬頭観音堂に奉納したもので、目的は自分が解いた問題と答を書いて、神仏の加護を感謝しあわせて算学の発展を願ったものである。
内容は立体図形を扱ったもので円・立方体・三角錐の問題と答を出している。
この算額には願主三徳をたたえる序文がつけられ以下当所門人12名、同志など多数の和算家が名を連ねている。範囲は遠く江戸、近くは菅谷・広野・越畑・万吉・野本・野田等の人たちに及び村内だけで25名を数え盛況のほどが知れる。
当時も数学(数術といった)は六芸の一つとされ、大は日月の運行をはかり、小は金銭の出納を扱い、一日として欠かすことができないという考えが普及したことから、数学を学ぶ者は都市、農村を問わず漸く多くなった。文化年間頃(19世紀の初め)にはこの比企地方からも三徳のほか多数の和算家が輩出した。特に三徳は門人が多くその数をあげることができないとまで云われた。算学の序文に、「福田村ノ小林氏ハ幼キヨリコノ道ヲ研精シソノ奥秘ヲ造詣ス。ソノ教ヲ郷党ノ子弟ニ広ク布キ、ソノ誘掖ヲ受クル者数フルニ勝フベカラザル也」と三徳をたたえている。
小林三徳の算額はおそらくこうした弟子や友人先輩にかこまれ、三徳60歳の還暦を祝って郷土福田の成安寺観音堂に奉納されたものと思われる。
同書35頁〜36頁には算額の読み下し文と門人・談友・談柄(だんぺい)の名前が掲げられいる。その中に、嵐山町域の門人として菅谷・根岸謙吉正季、吉田・藤野庄左衛門惟泰、ヒロノ・永島栄造正賢、栗原安司宣誉の名前がある。吉田・藤野庄左衛門惟泰に続いて、「〃 栗原源治郎明儀、〃 栗原利八智規、〃 小林富五郎喜正、〃 栗原政五郎重正、〃 小林七五郎正道」とあるが、この5人も吉田の人たちなのだろうか。算額を実際に見ていないのでなんともいえない。
談柄(だんぺい)として、越畑村の名主をつとめた船戸悟平氏任の名前もある。船戸悟平氏任の算額は越畑の宝薬寺の薬師堂に奉納されている。
奉献
夫(そ)れ数術は六芸(りくげい)の一にして人生の急務、一日も無くして済むべからざる者なり。大は之れ則ち日月(にちげつ)の会食、小は則ち金穀の出納、これに因らずして其の詳を取らざるなり。猶方円を為すには必ず規矩(きく)に於てするごごとし。伝に曰く孔子かつて委吏と為て曰く「会計は当るのみ」孔子の大聖と雖(いえど)も尚この術を講究す以て知るべし。福田邨(むら)小林氏幼きより此の技能を研精し、其の奥秘を造詣し、広く教を郷党の子弟に布(し)く、其の誘掖(ゆうえき)を受くる者数うるに勝(た)うべからず。今ここに孟春(もうしゅん)扁額(へんがく)を製し以て之を同邨の大悲閣に掲げんと欲し、予の一言を題する事を謂(い)う。固辞すれども命を得ず。因って数語を弁じ其の概(しる)を識して云う【読み下し文】
藤蔓 撰 夫淵堀渠書
木鐸 克明斎 印印
関流悉統 小林三徳翁 藤正義【花押】
【問、術、図形は略す】
元治二年【1865】峩在乙丑 蒼天日 印印
【同書35頁】
門人
江戸 小泉右平政好 当所 小林金悟良治
山田良輔延親 〃 栗原市右衛門正興
栗原浪三郎慶行 〃 栗原亀之輔正斉
唐子 荒井滝之輔光茂 〃 栗原重右衛門高明
菅谷 根岸謙吉正季 〃 小林桂太郎慶福
当所 岩附佐一惟明 吉田 藤野庄左衛門惟泰
〃 栗原万吉智愛 〃 栗原源治郎明儀
〃 権田梅太郎一布 〃 栗原利八智規
〃 長島靄治郎昌訓 〃 小林富五郎喜正
〃 高柳住司正寿 〃 栗原政五郎重正
〃 小林七五郎正道
【同書36頁】
ハ子ヲ 飯塚兵衛左衛門茂寿 当所 小林彦左衛門信行
月ノワ 大塚惣兵衛泰義 〃 小高左五右衛門徳寧
ヒロノ 永島栄造正賢 〃 長島藤左衛門光郷
〃 栗原安司宣誉 〃 権田仁兵衛重信
ヤマタ 贄田喜兵衛信親 〃 井上紋兵衛長栄
ノダ 長谷部卯兵衛高義 談柄
イヅミ 藤野源治郎良知 野本 屋代重右衛門敬定
〃 田幡孫八好文 越畑 船戸悟平氏任
当所 栗原久平総斉 万吉 中島半六郎義游
〃 高柳幾太郎義広 伊古 大久保亘直
談友 男 小林勝吾正愛
当所 小久保市良右衛門勝信 志主 同信雅司正泰
〃 小久保弥左衛門和義