第6巻【近世・近代・現代編】- 第7章:文芸・学術・スポーツ
川越市立博物館が2003年(平成15)秋に開催した第22回企画展「川越の算額と和算家」の展示図録に「埼玉の算額一覧表」がある(72頁〜74頁)。現在算額の多い県は、福島・岩手・埼玉・群馬の各県で、埼玉県内では80面以上が確認されているそうだ。
「埼玉の算額一覧表」には、既に失われた算額や頌徳碑も含めて163点があげられている。表中の掲額者氏欄から嵐山町杉山出身の内田往延にかわわるものをひろうと、次の4点である。
92 1878年(明治11) 正法寺 東松山市岩殿 内田祐五郎往延 市文化財指定 『埼玉の算額』83
146 文珠寺 野原 内田祐五郎住延? 『埼玉の算額』外5
147 鬼神社 広野村川島 内田祐五郎往延 『埼玉の算額』外6
162 1933年(昭和8) 根岸氏宅 比企郡滑川村月輪 内田往延先生之碑 『埼玉の算額』参考2
川越の和算家・大野旭山輝範が1871年(明治4)12月に谷中村(現・川越市谷中)の鎮守社に奉納し、現在は、川越市石田783の藤宮神社にある算額(縦87センチ、横287センチ)には、埼玉県内はもとより遠く新潟県まで世話人・門人538名の氏名が列挙されている(同書40頁〜41頁)。その中に嵐山町内の菅谷村と大蔵村?の7名の名前があった。
仝国郡【武州比企郡】菅谷村 関根武治
仝国郡[ ]【大蔵村カ】 金井元治、大沢寺造、大沢喜三郎、大沢廣吉、大沢準次郎、大沢し□女
各地に現存する算額をていねいに調べれば、嵐山町内の村々で和算を学んだ人たちの名前がさらに明らかになっていくだろう。初級者から門人のいる大家まで、習熟程度は様々だろうが、和算を楽しんだ人たちが,ここ、そこにいたということは驚きだ。