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第6巻【近世・近代・現代編】- 第6章:くらし

第4節:今昔話・伝説

川島の今昔[権田重良]

川島の今昔(その5)鬼鎮神社界隈の屋号

                   権田重良

鬼神様西側の屋号

 神社の坂下の十字路に辻の家【権田みつ子。大工】。移築して道の南側にんり旧場所は現在住宅地となっている。道の相向かいに森田屋【森田輝義】がある。業は不明だが小川方面より神社門前を通り松山に至る東西の道と南北の土地より神社の下で交わる辻にある場所の家は食商いか参詣客開いての商売と思われる。辻に至る南側に前の家【権田峰吉】。北側にある農家の並びに対する場所の呼び名であり、現在は住宅地の中となり昔をとどめていない。

鬼鎮様門前の屋号

 神社門前に西より小川さん【小川昌志。食堂】。鍛冶屋「善さん」【権田昭次】。川田屋【権田一郎。料理・宿泊】。鍛冶屋「藤さん」【権田しずえ】。岡島屋【権田昌之。菓子屋】。仲次さんの店【遠藤一男。土産茶店】。いずれの家も鬼神様周辺にあり、屋号で呼ぶ家は神社の繁栄に伴い上・下の川島からの移転か、他の地より移住し、商売により繁盛し、行年になり中組(なかぐみ)の集落ができたのである。
 鍛冶屋の二軒は上・下の川島より移り、神社奉納の金棒の製造。菓子屋の権田家は新井屋の分家であり、嵐山町の銘菓で知られる岡松屋の先祖が修業したとの話が残っている。川田屋の権田家は新井屋の前に居住していたが屋敷替えをして門前に移り木挽(製材)業として建築に携わり、栄えて後に料理屋を開いたといわる。小川家は屋号でなく、小川さんの家、先生の家と呼び、墓石に「大宣教」とあり、明治の始めに神道を広める為にこの土地に移り住んだ神官で神社の繁栄に尽くしている。
 戦後、1950年を迎えた頃を境に鬼鎮神社参詣者が減少し、各店は廃業、転職して営業を続けた店は一軒もなくなっている。

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