第6巻【近世・近代・現代編】- 第6章:くらし
川島の今昔[権田重良]
権田重良
現在、嵐山町大字川島地内の南東部から滑川町境には、明星食品を始め多数の工場が立ち並んでいる。また、西耕地(にしごうち)【川島地内の小字西耕地だけでなく、現在地産団地がある場所を川島の人たちは西耕地とよんでいた。川島では、上(かみ)の一部の人たち(三軒位)が耕作していた。】と呼ばれた薬師様裏の田園地帯は地産団地として開発されて住宅街となった。点在する農家周辺の土地も宅地化されて一戸建ての住宅やアパートが立ち並び、大きく変貌を見せている。夏には螢が飛び交い、秋には黄金色の田畑が続いた西耕地の風景、蛇行して流れていた市野川。わずかに残る農家の裏の屋敷林と薬師堂周辺の墓地、そして川北の御堂山の景色が思い出を残している。川島は、町内の大字の中では特に発展した地域と言われているが、昭和20年代まで川島の戸数は二十六、七軒【元禄の頃の絵図から筆者の子供の頃まで】、大字根岸、遠山とともに菅谷村内の小さな部落だった。市野川南側の台地に散在していた風景は、今や当時を知る人々の話に語られるのみである。