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第6巻【近世・近代・現代編】- 第6章:くらし

第4節:今昔話・伝説

郷土の今昔[安藤専一]

十四、古里の古墳を探る

 古墳は大きく前期(4世紀−5世紀半)と後期(5世紀半−6、7世紀)とに分けられている。前期では竪穴を多くの石で囲み、その天井は板状の石で竪穴式石室を作って、その中に死体を安置し封土を盛り上げる竪穴式古墳が行われていた。後期なると、大陸伝来の横穴式石室を壮麗に営むようになった。
 副葬品は始めは鏡、剣、玉程度であったが、後期は装身具、馬具、武具等実用品が次第に増して来たようである。
 かつて七郷中学校に保管された特殊の冠を有する埴輪(庶民埴輪)や七郷小学校にあった武人埴輪は、古里駒込の円墳より出土したもので、その外直刀・勾玉・管玉・円筒埴輪等も出土している。
 字内には神山・藤塚・二塚・清水・岩根沢・土橋・駒込等各地区に円墳が見られ、町内屈指の古墳散在地域である。
 当地は町の北隅にあり、丘陵地は東西に走りその北斜面は荒川の扇状地に属し、南斜面は滑川上流に面し、古墳時代の人々の求める生活の場として、絶好の土地であったと推測される。
 かつて七郷中学校保管の「特殊の冠を有する埴輪」は、昭和六年(1931)三月、駒込共同墓地の北側にあった円墳を、同字飯島一介氏が山林を共に開墾した際、発掘したもので、七小の武人埴輪とその他埴輪・勾玉・管玉(青玉)等も同所より同時に出土している。
 嵐山町文化財関係で当字円墳は数回調査したことがあり、各円墳の高さ、東西南北の横巾等は既に調査済であるので、ここでは省略する。とに角往時には多数の円墳があり、盗掘もなかったのですべて完全なものばかりであったが、大正以降山林開拓が盛んに行われ、そのため多数の円墳が消滅された。また残るものも一時盗掘が横行したため、無傷のものが皆無となったことはまことに残念なことである。

古里古墳分布略図

古里古墳分布略図

安藤専一『郷土の今昔』 1979年(昭和54)1月
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