第6巻【近世・近代・現代編】- 第6章:くらし
嵐山町の伝説(嵐山町教育委員会編)
十四、手白様(てじろさま)
手白神社というよりも、手白様といった方が、何か懐かしみを感じるのでこの題にいたしました。
『嵐山町の伝説』嵐山町教育委員会編 (1998年再版, 2000年改訂)
緑の若葉が、お天道様(てんとうさま)に照らされてとてもきれいな朝でした。吉田の村のおじいさんは、よいおじいさんでした。皆の困らないように、いろいろ心配してくれます。道が悪ければ直し、お米がなければ、お家のを持っていってくれます。困った時、おじいさんに頼めば、何でも親切にしてくれます。
ある朝早く、おじいさんは大きな沼の土手へ行きました。すると沼の中から白い手が出て、『おいでおいで』をしています。おじいさんがその方へ行くと、水の中からよいかおりがして静かな音楽がきこえてきます。だんだん近付くと水の中から美しい女の神様が、『サアッ』と立ちあがりました。
「お前は、毎日毎日皆のためによく親切をつくしてよい人だ。私は、手白香姫(たしらがひめ)の命、手の病(やまい)や、手の業(わざ)(裁縫、手芸、料理等)で困ったら私を信心しなさい。必ずよいように計ろう。」と言われた。おじいさんは、ありがとうございますと頭をさげて拝(おが)んだ。やがて頭をあげた時、手白香姫の姿は消えてきれいにすんだ沼の水に朝日がさしていました。
おじいさんは、大急ぎで家に帰り大工さんをたのんでお宮を建てた。これが手白神社で、おじいさんが手白香姫命を拝んだところを『弁天』といいます。
以上は、古い手白神社の縁起であるが、今は次のように語られています。略記してみます。
人皇(じんのう)二十四代、仁賢天皇は政治に熱心で日夜、その事に専念していた。皇女手白香姫は国民に困る人ができはしないかと心配し都(みやこ)を出て全国を調べる旅に出た。偶々(たまたま)吉田の地においでになり、沼の土手で休まれた。その時、大事な鏡を出して身なりを整(ととの)えようとして誤って鏡を沼の中へ落としてしまった。いくら探しても見つからなかった。そこへ通りかかった村人が、皆を呼び集めて沼の中を探したが、ついに発見出来なかった。その時、手白香姫は、皆のご苦労を謝し、重ねて
「私は仁賢天皇の皇女、手白香姫、鏡は女の魂である。今ここに落ち、見つける事の出来ないのは、私の魂がこの地に住みつきたいのであろう。然(しか)し私は今、全国をまわり国民の生活を見て歩かねばならぬ。この鏡を私として守ってください」
と言い残してお出かけになられた。手白香姫は、第二十六代継体天皇の皇后となられたお方で、吉田の人々は、沼のほとりに宮居を建て、手白香姫命の御徳をたたえている、と記されている。