第6巻【近世・近代・現代編】- 第6章:くらし
嵐山町の伝説(嵐山町教育委員会編)
十二、大きな人(ダイダラボッチ)
昔、大きな人がいました。背が高く、足などとても大きくて十軒や二十軒の家を踏み潰すのは何とも思わぬというほどです。この大きな人が嵐山町へ来ました。
『嵐山町の伝説』嵐山町教育委員会編 (1998年再版, 2000年改訂)
広野(ひろの)にダイダン坊というところがあります。羽尾(はねお)に片足があって、広野へ片足をつきました。籠を背負っていたのですが、間違って籠のメドからどろを一つ落としてしまいました。そのどろは、今の太郎丸の御堂山(みどうやま)ですが、昔は籠のメドから落ちたからと『メド山』と言いました。
広野では『ダイダン坊堰(せき)』と言っていますが、この付近が中心で、その区域は約三ヘクタールといわれます。
この大きな人は、広野の次は小川町の高見の四つ山の下を踏んで、玉淀の水で手を洗ったという話ですが、高見ではその足あとを『あしっこ沼』と言っています。
この巨人の話は、各地にあります。普通『ダイダラボッチ(だいだら法師)』と言われていますが、簡単に二、三書いてみます。
天びん棒で山をかついで来たダイダラボッチが、どこへ置こうかなと眺めているうち、足を滑らして山を落してしまいました。その足をついたところが、『あしがくぼ』で、その落ちた山が『二子山』だということです。(秩父の方にあります。)
ダイダラボッチが、ひと休みして笠をとって置いたのが『笠山(かさやま)』で、みのを脱いで置いたのが『美の山』、おなかがすいたので粥(かゆ)を煮たのが『粥煮(かゆに)峠』、荒川で釜(かま)を洗って伏せたのが『釜伏(かまふせ)峠』という話を聞いたら、どんなに大きな人か考えられそうですね。