第6巻【近世・近代・現代編】- 第6章:くらし
嵐山町の伝説(嵐山町教育委員会編)
一、将軍沢のけつあぶり
今から一千年も前の話です。
『嵐山町の伝説』嵐山町教育委員会編 (1998年再版, 2000年改訂)
天皇から「東国には悪い者がいて、住民が苦しんでいるそうだから助けてやりなさい」と、坂上田村麻呂に命令がありました。
坂上田村麻呂は、征夷大将軍という役目でたくさんの侍を引き連れて、京都を出発し関東地方へ来ました。
その時、「岩殿山に龍が住んでいて、悪いことばかりして困っている。」という話を聞きました。さあその龍を退治しようと、嵐山町へ、入って来ました。将軍沢へ軍を進めて、岩殿山の龍の調査をしました。けれども、なかなか龍がみつかりません。観音様をたのんで「どうぞお願いします。」と申しあげると、観音様は、「岩殿山は九十九谷ある。その中で雪の日に雪の積もらぬ谷がある。そこに龍が住んでいるから探しなさい。」と教えて下さいました。
昔の暦で五月の末。「雪の降るのは冬。困ったなあ。」と、田村将軍は考えたが、広い広い山の中のこと仕方あるまいと待つことにした。ところが不思議。夜になると雪が降って来た。十センチ、二十センチ、夜の明ける頃は、三十センチにもなりました。将軍は侍を連れて雪のない谷を探しました。あちらこちらを歩くうち、「あった、あった。」と一人が叫びました。「それっ」と、将軍と侍たちはその谷へ飛び込みました。龍は大きな口をあけて、みんなを呑みこもうとするが、こちらは鍛えに鍛えた腕、刀であちらこちらを切られた龍はとてもかなわぬと逃げ出しました。侍たちは追いに追い、とうとう山の途中の坂道で切り殺してしまいました。そこを『蛇坂』といいます。
龍を退治した将軍と侍たちは、将軍沢の陣地へ帰ります。途中、山中の一軒の家から、おばあさんが出て来て、「さあお寒いでしょう。ひと休みしてください。」と庭へ麦わらを積んで火をつけました。「将軍様も、どうぞあたってください。」と頭を下げた。雪で、着物がビショビショ、寒さもひどい、みんな喜んで火を囲んだ。そのうちおばあさんは、おうちからまんじゅうを持って来てみなさんにあげた。前の方が乾くと、今度はお尻の方を乾かした。尻あぶりだ、この朝が六月一日でした。
嵐山町では、六月一日になるとどこの家でも庭か、かいどで麦わらを炊き、みんながお尻をあぶりました。これを『けつあぶり』といい、その時お母さんがおまんじゅうを持って来てくれます。『けつあぶり』をし、まんじゅうを食べると、身体は健康で、体力もつくといわれます。この習慣は、埼玉県中どこでも行われていたようだが、昭和の初め頃から次第に行われないようになりました。
龍を退治した将軍は、侍を引き連れて東の方へ出かけ、東北地方まで行ったそうです。