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第6巻【近世・近代・現代編】- 第6章:くらし

第3節:日記

冨岡寅吉日記

昭和22年(1947)11月


十一月十一日 火 晴
さつまのふたをする。畠山の博労、銭を持って来る、一〇〇〇円。新田のいね刈り。今年のいね、かりおわり。大田の畝作り。馬も元気がでた。


十一月十二日 水
稲の脱こく、午前中。午后、新田*1のいね上げ。朝から夕方まで大風だった。二五束上げる。初手(しょて)オカマ様だ。

*1:談)岩沢弥一所有の六畝、四畝、七畝、三畝の四枚の田があった。合わせて二反。曽利町は二枚で金井柳作五畝と山下伝次郎八畝、大田が金井柳作一反。田は四反三畝借りていた。


十一月十三日 木 晴
新田七畝の麦蒔き、午前終る。午后、新田のいね上げ、旭一二〇束。苗代の農林三十七束。神社に小田劇団の芝居あり。大ぜい見に来た。以上


十一月十四日 金 晴
新田の四畝と三畝の麦蒔き。午前早くおわった。今年の麦蒔きすっかり終了せり。馬運動。西原の麦へ下肥かけ。


十一月十五日 土 晴
朝作くりより、いねの脱穀。農林、午后休みにおわる。旭も脱穀を始めた。岡本七五三氏、夜、あそびにきた。以上


十一月十六日 日 晴
農林の藁をたなぎへ上げる。将軍沢山へカヤを刈りに四人で行った。十三束位刈る。馬運動。夜は神社の芝居見に行く。以上


十一月十七日 月 半晴
四時より、いねの脱穀。午前、くまでけづり。麦肥料の配給、父受けに行く。一日中脱穀。農業会で粉できる。夜、くまで曲げ十六本。以上


十一月十八日 火 くもり
朝からくもってゐる。くまでの柄つけ。一ト市の染物屋で品物を持って来る、四五〇円。くまで二十二本仕上げる。野口臣吉、柴田藤五郎各々三本づつ。


十一月十九日 水 晴
稲の脱穀終る。糯と農林の籾摺り。祖父、大沢久三氏の竹切り。まき、伊三郎宅へ手伝い。一日中もみすり、もち四俵、農林八俵。暗くなるまでかかった。金精三、富元三、野磯二、鯨儀五*1、くまで出る。以上

*1:談)金井精一郎方三、富岡元治方三、野村磯七方二、鯨井儀重(ぎじゅう)方五。


十一月二十日 木 雨
夜明けより雨で早おき会中止す。くまでの柄つけ。雨で寒い。十一本仕上げ、富周*1二本、根岸むめ二本。根岸で石川校長先生に逢う。大沢久三氏へ竹代六〇〇円、七束分。以上

*1:富岡周次郎。


十一月二十一日 金 晴
良く晴れた。理昌方の精米一俵一斗。丸かご作くり。大沢久三宅より竹七束持って来る。父、まき、田の作切り。家のもち米約二斗つく。ニューム鍋(尺二寸)、米二升五合で交換す。富岡周次郎方へ丸かご三ツ、五四〇円也。今晩、えのこ様だ。以上


十一月二十二日 土 晴
早おき会でキケン物片づけ。丸かご作くり三ツと少し小さいの一ツ。父、まき、午前山仕、午後田の作切り。根岸梅松方へ丸かご三ツ。今晩夜警だ*1。以上

*1:談)四戸で一晩夜警をする。夜警は二〇日に一回まわってくる。


十一月二十三日 日 晴
夜警したので午前中はとてもねむたかった。くまで作くり。他の連中は籾摺り。農林と旭を少し。富岡元治氏へ丸かごの小さいの一つ。養蚕用の銘仙一反(五〇〇円)配給になる。以上


十一月二十四日 月
くまでの穴ほり並(ならび)に柄つけ。午休みに馬の運動。元気がでた。くまで二十三本仕上げ、松山の柳やへ十本(三五〇円)。川島淀吉方へ一本。夜、くまで割り。


十一月二十五日 火 くもり
向徳寺の竹まるき。真竹十七束(一束八〇円)、孟宗二十六本(一本平均九寸一五円)、計一七五〇円。全一日かかりで運ぶ。富岡丑造氏と隆次の服上下交換す、糯米六升。


十一月二十六日 水 晴
丸かご作くり三ツ。午后、祖父、遠山の方へ行く。唐子の江野庄次郎方へ丸かご三ツ。月田橋の所へ東吉見の三二四一のトラック立ち往生して人夫に頼まれ、十一時頃迄やったが動かなかった。以上


十一月二十七日 木 晴
自動車の手伝ひ、半日。丸かご二ツ、少し小振りのを。くまでけづり、それを曲げる二〇本。


十一月二十八日 金 晴
印籠作くり四ツ。祖父、菅谷へ行く。手桶を大豆四升と交換す。以上


十一月二十九日 土 晴・くもり
朝は寒い。くまでの穴ほり。印籠のふちまき四ツ。くまでの柄つけ。馬の運動。子供のかご二ツ腰をおこした。夜はくもりとなった。丸かご菅谷へ二ツ、浜野七平、トラヤ。以上


十一月三十日 日 晴
早おき会も終了せり。子供のかご作くり二ツ。祖父、小川へ査定に行く*1。午后、鎌形へ行く。吉野の家から芝居を見て帰る。以上

*1:談)籠に証紙を張るために見本を持って行った。

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