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第6巻【近世・近代・現代編】- 第6章:くらし

第3節:日記

冨岡寅吉日記

昭和22年(1947)9月


九月一日 月 晴
農士学校の加工場へ行きトウモロコシのからを押しつぶして貰う。四〇本ばかり持って行き二升近く出来た。午前中、それをにつめる。実に甘くなった。大沢伊三郎宅で米を一俵ついて貰う。煙草の配給三八、四五銭。新聞配達。理昌宅で二時間位昼ねをする。大根蒔く所の畦作くり。以上


九月二日 火 くもり
前畠へ大根を蒔く。西原へ小豆こぎに行く。小豆もぎ。二百十日も無事なり。ほんの少しの雨があった。社務所で青年部の常会。支部長金子丑平、副根岸福平、野村収一、忍田明治(はるじ)、其ノ他役員の改選ありしも小生は平気の平左なり。十時頃終了す。以上


九月三日 水 晴
暫く振りに唐子河原へ草刈り行く。とても多くあり早く刈れた。父と馬小屋の下(おろ)しの修繕。昼休みにほりさらい。今日は二十名だけ。水門*1に悪さがしてあった。農業会へ粉持ちに行く、一五五円。此の間の配給物資の価額わかる。ズボン四六円、シャツ三五円。

*1:談)石代(こくだい)堰の水の取り入れ口。


九月四日 木 晴
昨日の朝の方で草刈り。今朝は早かった。桑園の草むしり。午前おわる。玉蜀こしの木を農士校へ持って行き絞って貰う。二升四合で手間二十五円。父は調整委員会へ。小生は砂糖作くり。小豆ボートー*1をしたが余り甘くない。以上

*1:談)寒いときによくやった。お汁粉のもちの代わりにうどんが入っている。


九月五日 金 晴
根岸河原にも草がなくなった。味噌つき*1。向徳寺より竹を切って来る。孟宗二本と真竹十七本、金二百円。午后、草刈りかご作くり。四ツくみ上げる。根岸観音様に芝居ありしも九時迄停電してゐた。「夫なき花嫁」は上手に出来た。見物約一〇〇名。以上

*1:談)大豆を煮たのを臼でつくこと。


九月六日 土 晴
二瀬の川下で草刈り。ゆっくり帰って来る。草刈りかごのふちまき四つ、あと一つ始める。隆次(ジンマシン)で菅谷のゐ者へ行く、八五円。午后、昼ね。祖父、役場へ所得について。夜、二本木座に素人のど自まんあり。斉藤君*1出席せし。大変上手だったが上には上あり。

*1:談)斉藤三郎。歌が上手だった。


九月七日 日 くもり
郡下選手権獲得大会なり。八時十三分発の電車で応援に行く。富岡健治君の角力は優秀だ。県に行く事に決定せり。菅谷の小学校で野球を見て来る。以上


九月八日 月 晴
草刈りに早くおきたがゐがいたいので中止した。日が高くなって起きた。昼も喰わずに三時頃迄ねてゐた。残暑きびしき良き秋の一日もゐがいたい為、憂うつにすぎた。以上


九月九日 火 くもり・小雨
今朝も草刈り中止す。目かいのそこ九ツ組む。午前中十ふちをまき、午后仕上げる。次に終りて、小生、幅広のバンドを製造する。うまく出来そうだ。村田宅が宿で夜警なりしもトランプをしてゐて四時半まで起きてゐた。


九月十日 水 小雨
夜警で四時三〇分迄おきてゐて、すぐ草刈りに行く。二朝休んだが今朝は多くさんある。早く帰る。バンド作くり。祖父、所得税の件で地方事ム所へ。小生、菅谷の叔母の所へ目かい八ツ持って行き松山まで行った。叔母の家で中島運竝君に逢ひ暫く話した。一日中時雨れてゐた。二百二十日の前祝でもある。一日何も仕事をしずにすごしたわけだ。以上


九月十一日 木 小雨
今日も又雨だ。草刈りでびしょぬれとなる。目かい作くる。竹割りが未だうまくできぬ、九ツ。午前中、そこがくみ切れなかった。夕方までには全部仕上げる。一昨日より夕飯のうどんのし。今日で三日する。少しは上達せり。空模様未だ良くならぬ。


九月十二日 金 小雨・くもり
大堀ばたに草がほきてゐた。目かいの竹わり。一時より社ム所で金曜会*1あり。小生始めて出席す。明覚の堀野氏の話(「君が代」と「農民組合の目的」)、其の他あり。目かい十二そこを組む。岡松やへ八ツ目かいを持って行く。神戸のたつさん*2へ一ツ呉れる。

*1:農民組合の勉強会。
*2:談)祖父の妹の子、関口たつ。浜野七平の姉。自分を子守ってくれた人。


九月十三日 土 くもり・小雨
毎日はっきりしない天気だ。目かい作くり、十三仕上げる。新藤武治方へくまで四本、目かい一つ、計一七〇円。大工の家へ目かご(五升がま)一つ作くる。夕方又小雨降り出す。蚕の報償として小麦一俵と馬鈴薯三〆来る、約七〇〇円。蚕用として石油一合、二〇〇銭なり。


九月十四日 日 雨
朝から雨降りだ。ずっと上の耕地へ草刈りに行く。午前中は何もしないでぶらぶら過し、午后竹箒作くり。簡単なものだ。十六本作くる。夜半より颱風*1の来る情報あり。「話の泉」係へ問を出す、十問。

*1:九月一四日〜一六日、キャスリーン台風が関東、東北地方で猛威。


九月十五日 月 雨・大雨
朝作くりに富岡将治君と橋を土手まで上げる。もう水がふえて乾燥場*1からは通れぬ。竹ほうき作くり。午后、青年団の常会。終りて橋を乾燥場の所まで運ぶ。川の水がどんどんまして来る。根岸へ応援に行く。秋山芳松さんの家は腰以上も水がは入った。月田橋真中がおちる。背立棒の頭が見えなくなる。夜もそうとうの雨量だ。守平、菅谷へ宿る。大蔵の土手を水がこし、山下*2はまるで海だ。

*1:談)現在の木闇輝行宅あたり。
*2:向徳寺の裏。やました。


九月十六日 水 晴天
昨夜の嵐はどこへやら青々とした天気となりぬ。ブッタイを持ち魚取り。少しは取る。大蔵の堤が七〇米位かけた。農士校前の蛇かごも半分以上ない。午后、青年部にて油面の高圧電柱が三本倒れたのを立てる。神社の杉も倒れかかったのを二本切る。竹ぼうき四十八本できた。丑造氏へ一本呉れる。


九月十七日 水 晴
草刈りも少なくなった。午前中、精米をする。機械の具合は良好だ。糯二俵、粳一俵精米する。午后、かずの木の皮むき*1。以上

*1:談)たかぼうきを縛るため。


九月十八日 木 くもり
昨夜の星空も今朝は雨となる。もろこしほうき作くり。早昼めしで小学校へ運動会の練習に行く。団員皆一生懸命にやった。将軍沢の吉沢三省(かずみ)さんの英霊還る。千手堂の内田長太郎氏も一しょ。千手堂も練習に来る。以上


九月十九日 金 くもり・半晴
字にて道普請。二組に分れ、小生は将軍沢へ行く道路、デンボコ*1へ行く。始めの中は皆ぶらぶらだったが、最後は一生けんめいやる。菅沼善一さんより水害の電報来る。金曜会にて東京よりきた北添氏の共産党の話。

*1:談)現大行院のあたり。デンボコ山もあった。


九月二十日 土 くもり
父は八時三〇分の下りで小川へ食調委の郡代表選挙に行く。候補は中村武一氏(七郷)。小生、九時の上りで松山へ行く。午后、ぶらつき。夜、青年団の常会。運動会の件と慰労会の事。話はだいたいまとまる。


九月二十一日 日 くもり
コンデンサーの件で気がもめる。前中工場の電話を借用して問ひ合すと今月一杯との事だ。玉ネギをうえる。隆次を相手に馬やの肥だし。油面の桑畠の草むしり、父と二人で。此の頃毎夕方めん打ち上達せり。


九月二十二日 月 晴
耕地に草がない。でも小生は早くかえる。西原より豆をこいで来る。それを脱穀する。昼休みに上寺で金井春二、新藤岩二の両君と高跳のれんしゅう。山王前畠の豆こぎ十五束。以上


九月二十三日 火 くもり
豆の脱穀。下唐子の戸井田家畜商、馬見に来る。ほうきのえ竹三三〇本うる。午后、伊三郎氏を頼み籾摺の試運転、具合良好なり。新聞配達。金井元吉氏にトウモロコシのからしぼりを依頼せり。以上


九月二十四日 水 晴
始めて桑摘みの手伝いをした。十時頃より下里へ墓参に行く。方々からもきていた。広野は宮田昇君の家なり。学校で競技のれんしゅう。昨夜と今晩。玉川へ映画「男の償ひ」見に行く。一〇円也。


九月二十五日 木 くもり・小雨
前中工場の下の山の方へ草刈りに行く。桑取りの手伝い。山下与平方*1より桑を買う。西原のふせ地*2。午后、雨も降る。村田氏宅で精米をして貰う。父、委員会で学校へ行く。以上

*1:山下正の祖父。
*2:談)作物をとった後に、草が出ないように土をかぶせること。


九月二十六日 金 晴
昨夜、夜警で今朝は草刈りにも行かぬ。農業会の精米所へ小麦を一俵持って行く。父は村内の水害調査。丑造氏と替へ取り。約八〇〇匁取り、半分もらってくる。坊の上一号畠の草拾い。金曜会で長島農委会長*1の話。良くわかった。以上

*1:長島実農地委員会長。


九月二十七日 土 晴
くわ切り。山王前畠のふせ地。祖父と父と三人で午前中おわす。午后、坊ノ上一号畠の甘しょのつるもち上げ、一枚おわす。以上


九月二十八日 日 晴
山草刈り。山下光平(こうへい)方*1より葉くわを買い八〆六〇〇摘む。二号畠のつるかへし。長島水車へ押麦持ちに行く。農会の精米所へも。両方へ大麦一俵持って行く。青団の常会あり。以上

*1:談)山下与平の子が光平で山下正の父。


九月二十九日 月 小雨・晴
朝の中は雨だった。農士校へサトウキビ絞りに行く。未だ早すぎて一寸とも甘くない。父、農業会へ押麦取りに行く、四十五円。午后、蚕の上蔟。三時頃おわる。地方事ム所より所得税の実態調査に来る。今年の十五夜なり。


九月三十日 火 くもり
堆肥の積替へ。山王前のもろこしを切る。もろこしの皮取り。甘藷のつる返し、全部の畠がおわった。受信 岡田明氏。以上

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