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第6巻【近世・近代・現代編】- 第6章:くらし

第3節:日記

冨岡寅吉日記

昭和22年(1947)8月


八月一日 金 晴
耕地へ草刈りがふへたので草がない。今日も筵織り。一日中むし暑い。新聞に千歳村の写真があった。香田健道さんへ一筆。


八月二日 土 晴天
中島街道の一番向うで草刈り。祖父と筵織り。右手の中指を打ち、爪を割り血が出た。一日中照ってゐたが南の風が強く涼しい。三時迄昼ねをする。切干甘藷へ酒来る。七俵分、五合六勺。玉川横町の天王様へ自転車で行く。賑やかだった。


八月三日 日 晴
大堀端で草刈り。曽利町の三番草取り。次で六畝をする。昼近くなって祖父さんヒンケツした。一時たまげた。午后、大田を父、隆次と小生三人で取る。夕方は涼しく気持ち良い。夜は、玉川横町の天王様へ行く。以上


八月四日 月 晴
もう草がない。朝食後、村田君と松山へ精米キを持ちに行く。十一時近くなって帰って来る。午后、試運転したが具合が非常に悪い。理昌宅の米をついたが気の毒だった。夕方、精米キを返しに行く。八時頃帰って来る。停電は一晩交替。


八月五日 火 晴
ずっと上って八幡橋へ出る方で草刈り。一かご刈るのに手間がかかる。大沢伊三郎宅へ父と二人で田の草取りの手伝ひに行く。草がひどくて田が固い。小生の腹具合少し下り気なるも異常なし。伊三郎方へ夕飯を御馳走になる。


八月六日 水 くもり・夕立雨少し
おそくおきたので坊の上の道で草を刈る。今日も村田君と松山行き。精米キは無かった。午后、魚突き。千手堂橋より、ずっと上へ行ったが取れない。夕方少しの雨あり。待って居る雨もあまり降らぬものだ。以上


八月七日 木 雨
昨夜来より雨となる。農業会へ貯金下げに行く、三仟円。叔母さんの家で「あゝ玉杯に花うけて」の本を読んでゐて二時頃まで居る。気持ちの憂うつな日だ。夜、青年団の常会あり。種々の話が出た。以上


八月八日 金 晴
すっかり草がなくなった。父と馬小屋の肥出し、筵織り。午前一枚仕上げる。昼休みにしまを連れて水あびに行く。川の水はドロにごりだ。三〇分ばかり遊んで帰る。祖母とむしろおり。夕立あり。北の方はひどかった。以上


八月九日 土 晴
筵おり。桑園用の肥料配給になる。一枚おり上げる。隆次、丑ちゃんの魚取りの手伝ひ。一〆位分けてもらってくる。農業会へ大麦持ちに行き、岩二君、丑造君に逢い、叔母の家で色々と話合う。夕方薄暗くなって帰る。以上


八月十日 日 晴
金井倉次郎宅より竹を切ってきてホロ蚊屋*1の中を作くる。始めてとしては良くできた。午后、床やへ行く。石ケン入れが置き忘れてあった*2。健治君と菅谷へ芝居見に行く。吉村と玉川千鳥の二座合同なり。

*1:子供が寝るときの蚊よけ。
*2:談)この頃は石けんを床やへ持って行ったらしい。


八月十一日 月 晴
松中講堂に夏期農業大学講座があるので出席した。午前、ねむくてたまらぬ。講師・外務省第一課長柿坪氏。午後は面白くないので早退す。農業会へモーターの代金払込む、三二〇〇円。貯金も全額下げる、一〇二〇〇円。菅谷銀行へ七〇〇〇円あづける。以上


八月十二日 火 晴
父とむしろおり。一枚おり上げる。十一枚できた。横須賀の小母さんと婿さんが来て帰る。土産を貰う。新聞配達、日一杯かかった。以上


八月十三日 水 晴
むしろ十三。草が少なくなった。父と筵織り。午前一枚、午后も一枚仕上げる。入日は真赤にやけてゐる。夕方は涼しい風が吹いた。


八月十四日 木 晴
桑摘みの手伝ひ。十時十三分の上りにて松山へ行く。良之助宅へ茄子を持って行く。午后、中学校講堂*1でニュース、漫画と「無法松の一生」と言ふ映画を見る。暑いのでやりきれぬ。帰りに国民校廻って帰る。

*1:松山中学。


八月十五日 金 晴
終戦満二周年。新田の近辺で草刈り。蚕の上蔟。約三〇マブシで午前中おわる。岡本七五三氏来訪せり。暫く話して行く。父とむしろおり。一枚しあがらなかった。以上


八月十六日 土 晴
父とむしろおり。午休みに大堀さらい。むしろおり。実行組合長宅で配給品の分配。


八月十七日 日 晴・大夕立
大堀端で草刈り。早く刈れた。草がないので少し刈る。七時十三分の上りにて松山へ使に行く。時計のガラスを入れ替える、二十五円。九時にて帰り叔母さんの家*1で吉野大尉の娘、しげ子さんと暫く話した。岡本七五三君来宅せり。魚釣りに行く。大雷雨あり。橋をはずす。岡本君泊りとなる。未だ雷の音聞える。

*1:談)祖母カツの妹ウメおばさんの住んでいた長屋(現高山お茶屋のあるあたり)の隣に吉野大尉一家が住んでいた。


八月十八日 月 くもり・雨
叔母さんの家へ枝を十五束持って行く*1。半日かかる。今日はおしめり祝ひだ。午后、盆踊に使う背負いマンドを作くる。我ながら良く出来た。夕方、雨が降ってきた。以上

*1:談)荷車で持って行く。リヤカーは昭和二九年に買う。


八月十九日 火 晴
むしろ十五。土手で草刈り。鎌が切れぬ。井戸つるべの縄ない。父と筵おり。ゆっくりおる。十五枚目をおり上げ、次を仕立てて一回おる。今晩、青年団の常会なるも、小生に話がないのでしぶって居る。


八月廿日 水 晴
むしろ十六、十七。父、水車へ粉持ちに行く。筵おり。午前一枚、午后も一枚(十七枚目)。夜、神社で踊の練習。皆一生懸命踊る。植木山の長島さん*1、笛を持ってきて吹いて呉れた。今晩、夜警なり。

*1:長島勇三郎。


八月廿一日 木 晴
川向へ草刈りに行く。父と馬小屋の肥出し。川へ遊びに行く。万燈作くり。表面(豊年満作)、左側(都幾川育ちの)、右(大蔵ぎつね)。我ながらうまくできた。夜、青年団にて花こしらへ。以上


八月二十二日 金 晴
繭の出荷三〆一八〇匁、一等だ。棒電池を買い、平沢の家へ行き、ハンダでつないで貰う、半日。午后、青年団で万燈と花こしらへ。小生、竹割り。ちょうちんの中へ電気を入れる*1。近くで盆踊りの太鼓の音が聞える。

*1:談)万灯の中に電球をいれ、電池はズボンのポケットに入れておき、スイッチは手に持っていて着けたり消したりする。


八月二十三日 土 晴
菅谷の前中工場へ花の竹割りに行く。母と少しむしろおる。昼休みに青年団にて橋かけ。西原の畠へ小豆もぎに行く。ビク一杯もいだ。青年団にて菅谷へ盆踊りに行く*1。大蔵の万燈が最優秀だった。小生は赤い着物で狐のお面をかぶって踊る。ケッ作だった。青年団の連中は踊りに不熱心だった。やる時は大いにやるべし。人の事はあまりとやかく申すな。以上

*1:談)この頃の盆踊は秩父音頭だった。


八月二十四日 日 晴
朝めし後、魚釣りに行く。二瀬よりだんだん下って農士校の前まできた。四〇匹ばかり釣る。昼ねをゆっくりして、夕方菅谷の方へ出かける。夜は菅谷の踊へ行く。太鼓を二回ばかりはたく。岩沢茂雄君の妹しづえさんと少し話す。


八月廿五日 月 晴
守平を連れて魚釣りに行く。よく釣れる。昼休みに中島君の家*1へ午后の支度の品を持って行く。五時に中島君の家へ行く。中島源之、同運竝、大野角蔵、西澤金作、吉野栄一、小生の六名で一杯のむ。大いに賑ぎわった。小生が酒に一番弱いやうだ。十一時半に帰宅せり。

*1:談)菅谷の同級生中島運竝宅。六人会の最初の会合。後に小沢長助と根岸直次が参加して八人会となる。


八月二十六日 火 晴
六時十三分発で川越市迄使に行く。八時五六分発の下りで帰る(川越発)。ゆっくり昼寝をする。夕方、川へ身を洗に行く。夜は金井宣久君の家であそんで来る。社務所で青年部*1の連中が一生懸命文化祭の練習をしてゐる。以上

*1:農民組合青年部。


八月二十七日 水 晴
菅谷村消防団の結成式、九時より小学校校庭で。団長内田実、副瀧澤長重。菅谷のガソリンポンプの試運転見学。午后、西原の小豆もぎ。今晩、社務所に青年部の演芸会あり。


八月二十八日 木 雨
部会の運動会なり。朝の中、小雨だったが日中はかなり大降りがした。その最中、吉野君に頼れて彼の家へ行く。雨天の中に運動会をする。幅跳び、男団長(内田喜雄)五米二四糎、根岸茂夫四米九五。女、まき三米九四、小林とし子三、六一だった。暗くなる迄やった。夜、橋はずし。以上


八月二十九日 金 晴
西原の小豆もぎを少しして十一時三三分の下りで小川会館へ市川八百蔵一座の歌舞伎見に行く。全然意味がわからぬ。中島利恭君と一しょ。夜、青年部の文化祭。今晩は中々盛大に挙行できた。小生花を一〇〇円上げる。以上


八月三十日 土 晴
草刈りも少し遅れると目的地を占領される。父と馬小屋の肥出し。大根を蒔く地を耕す。午前中一杯かかった。午后、雷雨あり、少々雨降る。父とむしろおり。二〇枚目がおり上がった。ズボン下の配給あり、百六〇円。以上


八月三十一日 日 晴
西原の畠へ小豆もぎに行く。半分以上こいで来る。午前少しもぐ。父、午后は実行組合長宅へ、色々の会議。小生、酒の配給受けに行く、五合(四四円五〇銭)。長島水車へ粉持ちに行き大麦一俵持って行き、押麦も一俵持って来る。大、小麦一俵づつ手間代一二〇円。健治君来る。神戸の家で房ちゃんの葬式。祖父さんが行く。香料一〇〇円包む。

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