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第6巻【近世・近代・現代編】- 第6章:くらし

第3節:日記

冨岡寅吉日記

昭和21年(1946)10月


十月一日 火 晴
ずっと上の耕地で草刈り。今朝は足が千切れる様につめたい。みっしり刈れた。今朝も祖父さんとむしろ編織り。秋晴のとても良い天気なり。今晩もタバコや*1庭にて人妻椿の後編あり。以上

*1:談)金井勝五郎宅屋号。


十月二日 水 晴
昨夜の映画は説明付きでよくわかった。岡野行子(ゆきこ)氏*1の説明也。草刈りに行かずに一ト市の製板工場*2へ材木を持って行く。金井宣久君が牛車を貸して呉れた。帰りに大工の家の製材を持ってきた。山王前の陸稲刈り。午後、祖父さんとむしろ織り、昨夜の「人妻椿」の後編四円也。障子紙二〇本張り交換す。

*1:談)岡野貞治の次女。当時、清水さんと柴田さんの間にあった親の実家へ姉妹で疎開してきていた。
*2:談)かねカ材木。現玉川村長関口定夫宅。


十月三日 木 晴
昨夜、丑三さんと夜(よ)ぼり*1に行きうなぎ五本、雑子(ざっこ)五〇匹位取る。父と肥の積替え、馬小屋の肥出し、一日中。夕方、陸稲上け、四十三束。

*1:談)夜間に魚をとること。


十月四日 金 くもり・雨
鎌形耕地で草刈り。午前中、晩秋蚕の上蔟(三十一枚)。白子(しらっこ)*1が大変見えた。もろこし、陸稲の脱穀。午後、雨が降ってきた。アルミニューム洗面器交換す、押麦二升なり。以上

*1:白疆蚕。蚕の病気で白い粉を出して固くなって死ぬ。


十月五日 土 晴
昨夜の雨もからりと晴れた。とても耕地に草がある。国民校児童の縣競技会の選手権獲得が松中校庭で開かれる。陸稲の脱穀。長島水車へ大麦二俵。


十月六日 日 くもり 223
昨夜、支部長の宅より講談の本を借用す、四冊。祖父さんとむしろおり、十枚目。夕方迄に半分位やる。秋になってから一番寒い日である。以上


十月七日 月 雨
雨のため草刈り中止す。祖父さんとむしろおり。一日中雨が降りつづけた。今夜十三夜なり*1。むしろ二枚おれた。以上

*1:旧暦九月十三日。


十月八日 火 くもり
耕地で草刈り。今日も祖父さんと蓆織り。居眠りが出る。今晩も十三夜をする*1。以上

*1:談)前日が雨だったのでまんじゅうでもつくったのだろう。


十月九日 水 くもり
耕地に草がない。供出の甘藷掘り。十俵掘る。祖父さん、明日、野村豊作(とよさく)方の作次さんの葬式の花かご作くり。唐傘二本、押麦七升で取替る。以上


十月十日 木 くもり・晴
山草刈り。がっさり刈って来る。晩秋蚕の毛羽取り。荷受所へ持っていく。三〆八〇〇匁二等なり。野村作次さんの自宅葬。青団員会葬す。山王前畠耕ひ。以上


十月十一日 金 くもり
草刈りに行かず馬糧切り。陸稲のから臼ひき。午前中で終る。甘藷の供出十俵。午后、軍放出物資配給せらる。靴下七円五〇銭。守平、工場*1で熱海へ行く。以上

*1:談)勤めていた前中工場の慰安旅行。


十月十二日 土 雨
草刈り中止。唐子の床やへ行く。午后、慰労会の品物を集め、ツルさん*1の家へ持って行く。大降りがする。守平、熱海より帰る。雨も止む。かなとづら*2を買ふ。以上

*1:談)山下ツル。山下暉夫姉。女子青年団役員。
*2:談)熊手をしばるつる草。かなは丈夫という意味。とづらと言う言葉はあった。


十月十三日 日 晴
五時起床ラッパを吹く。昨夜の雨もすっかり晴れた。青年団の支部対抗も出来る。千五百米の選手に出たが駄目。午后、慰労会の準備。とうとう七時開始となる。小生の頭のかんがえ通りに出来た。運動会、男四位、女二位。以上


十月十四日 月 晴
足がとてもいたい。馬小屋の肥出し。家内のすす掃ひ*1。山王前畠の大畦かけ。以上

*1:秋季清潔法。


十月十五日 火 雨
足がとても痛い。父とむしろおり。午后、煙草の配給。新聞配達、半日かかる。以上


十月十六日 水 晴
先日の運動会が足へきいて、とてもいたい。午前中、祖父さんとむしろおり。午后、山王前畠の大畦かけ。国民学校の運動会。長靴を十一文三分と取り帰る。以上


十月十七日 木 晴
朝作くりに唐臼ひき。もち米をする。祖父さんと中町*1へ屋根に使ふかやを刈りに行った。一時頃帰ってくる。七束刈る。道が悪ひ。くまでの柄竹の穴ほり。おでんの串作くり*2

*1:談)将軍沢仲ノ町。茅刈り場があったのではなく、生えている所を見つけて刈った。
*2:談)十月二十日の根岸観音で大蔵女子青年団がおでんやをするので。消防団は大蔵と根岸とは一緒だが、青年団は大蔵支部、根岸支部があった。


十月十八日 金 晴 224
くまで作くり。今年のくまではあまり伸びない*1。約三十本、柄をつける。父、実家へ行く。以上

*1:談)曲げていたところが、もどらない。熊手は冬のうちに曲げておく。柄をつけて売るのはえびす講(旧暦十月二十日)の前なので、湿気たりしてのびていることがある。


十月十九日 土 晴
朝づくり。おでんの串作くり。くまでのえはめ。くまで二本出る、二〇円。肥引きザルの手金三〇円、富岡七之助氏より。明日は日光行きなり。


十月二十日 日 晴
村田清治君、金井愛輔君、富岡健治君と小生の四名にて日光見物に出発す。約五時間かかる*1。鬼怒川温泉まで行ったが、宿がないので下今市迄もどり日光屋旅館に泊る、四十五円。

*1:談)浅草から電車で行った。


十月二十一日 月 晴
日本晴の天気だ。男体山の麓だ。中禅寺湖へ十二時頃着く。東武日光四時三〇分発。池袋、終電車に間に合不(あわず)。村田君の親類へ泊る*1。以上

*1:談)市ヶ谷の村田清治の叔父の家へ泊まる。


十月二十二日 火 雨
昨夜来より雨だ。靖国神社へ参拝す。飯田橋駅より帰る。途中、高坂にて電車故障して一時間以上遅くれた。家へ着いたのが一時半。父、御獄(みたけ)へ出発す。一日中雨降りであった。以上


十月二十三日 水 くもり
午前中、くまでの柄はめ。午后、将軍沢へくまで売りに歩るく。面白い様にうれる。十五本持って行き、帰ってきて又十五本持って行き皆売れた。父、御獄より帰る。以上


十月二十四日 木 雨 225
朝づくりに菅谷へ雨具かえしに行く。くまでつくり。午后、雨も止む。菅谷に映画あり。引揚同胞主催。


十月二十五日 金 226
神戸方面へ熊手売りに行く。自転車で持って行く。静かなとてもよい日である。神戸の家で昼食を御馳走になる。十八本売り又五本持って行き、皆売って来る。肥料配給になる。


十月二十六日 土 晴
籠箕作くり。午前中二ツ作くり上げる。菅谷、沼作次さんへ籠箕二ツ。食用油の配給五・五合。地下足袋十一文半交換す、粉二〆匁。隆次、大宮の縣民大会へ郡選手として行く。まき、三峯より帰る。以上


十月二十七日 日 晴
籠箕、金井精一郎、金井好吉(こうきち)方へ一ツづつ、三十円也。肥引きザル作くり。かごを五ツ作くる。父、小川へ馬蹄鉄に行く*1、四〇円。今日もよい日である。昨夜、金井治平方へ籠箕一ツ進上す。以上

*1:談)下小川にあった蹄鉄屋。


十月二十八日 月 晴
近江の稲刈り。肥引きザルへ籠をきせる。富岡七之助氏へ二ツ、忍田忠次郎方へ一ツ。横須賀の小母さん一人で来客せり。西原の甘藷ほり。明日、麦の配給あり。以上


十月二十九日 火 晴
発信 山口 菅沼善一殿
坊の上三号畠の甘藷掘り。午后早く掘り終る。祖父さん、菅谷へ使に行く。大麦の配給。百十九円九五銭、肥料代。南瓜代一四一円。以上


十月三十日 水 晴
前畠の麦播き。午前中一杯かかった。稲上げ五十三束(近江)。甘藷のつる刈り。小母さん帰る。以上


十月三十一日 木 くもり
朝作くりにくまで二本作くる。坊の上一号畠の甘藷掘り。半晴の天気。沖縄*1はとてもメカタがある。夜、雨が降ってきた。明日より早起き会。以上

*1:談)甘藷の品種名。加工用でアルコールを採る。干して乾燥して供出。食用のサツマイモでおいしいのは紅赤(べにあか)だったが生産量が少なかった。よく蒸かして食べたのは太白(たいはく)、農林一号、四号。

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