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第6巻【近世・近代・現代編】- 第6章:くらし

第3節:日記

冨岡寅吉日記

昭和20年(1945)8月


八月一日 水
煙草二十本配給七〇銭


八月二日 木
トマト代三円


八月三日 金
ブドー酒代二、六五銭


八月四日 土


八月五日 日
久部部落お寺ニ移転ス


八月六日 月
B29、広島に原爆投下。


八月七日 火
教【連】


八月八日 水
教練
発信 柴田勝五郎 山岸松五郎
ソ連、日本に宣戦布告、「満州」に進撃。


八月九日 木
発信 富岡準三郎 林造 金井宣久
   千葉県安房郡千歳村大字久保香田(こうだ)様方健道(けんどう)

長崎に原爆投下される。


八月十日 金
会食。大いに張切る


八月十一日 土
衛兵勤務。八時より
発信 準三郎


八月十二日 日
衛兵下番


八月十三日 月
昨夜、夜間演習アリ


八月十四日 火
岡本二等兵、今日ヨリ小隊長殿ノ伝令トシテ行ク
八月十三日 梨五円購入ス
八月十四日九時ヨリ学科試験あり。学科対空射撃。だいたいうまく行ったと思った。午后も学科
十八時後より夜間演習あり。白子海岸にて対戦車攻撃。約一時間実施。煙草ノ配給六本
今朝、家より便り来る。
父と妹まき、弟隆次ヨリ

御前会議でポツダム宣言受諾を決定。


八月十五日 水 晴
正午、戦争終結の詔書放送(玉音放送*1)。

*1:談)「玉音放送」は上官だけで聞き、その後出てきて、軍刀を抜き「無条件降伏」と言ったのを覚えている。


八月十六日 木
なつかしい久保を後に豊田村ニ移転。農家ニ分宿。佐久間四郎方ニ。
受信まき、隆次


八月十七日 金
東久邇内閣成立。


八月十八日 土
千歳村川合ニ移転。加藤弥一方に分宿


八月十九日 日
受信 兼子正三郎 富岡守平


八月二〇日 月
加藤宅ヘ援農シテ御馳走ニナル


八月二十一日 火
オ寺ニテ教官殿ノ精神訓話
モウ此ノ頃ハ何モ目的ナシデ活(くら)シテ居ルノデツマランワ


八月二十二日 水


八月二十三日 木
使役として千倉駅へ行く


八月二十四日 金
千葉県夷隅(イスミ)郡浪花(ナミハナ)村村小澤(オザワ)長岡、鶴岡義久ニテ休ケイ


八月二十五日 土


八月二十六日 日
千葉県夷隅郡長者町三門、松崎貞助方ニ分宿
受信 まき


八月二十七日 月 晴


八月二十八日 火
煙草二十四本配給
奉(俸)給二十一円収入


八月二十九日 水
三門ノ工場ニ昨夜ねる


八月三十日 木
大原へ使役に行く*1
三時起床。二十九日、岡本君復員として帰る。別れる事のつらさよ。自然涙が出る。
我等一分隊ハ後発として残るのである。三時起床、大原町へ、食糧持ちに行く。
工場ニゐて後片付け。中途で農家に分宿す。十三時汽車で大原駅へ行き、米俵の運搬。十名で百六〇俵を倉庫より駅へ、又貨車へ積む。皆一生懸命やり能率すこぶる旺盛なり。カンパン一袋。煙草十五本もらイ、配給が五本あった
腹具合が悪い。帰りはトラックで三門迄来る

*1:談)米俵をかつがされた。

連合軍最高司令官マッカーサー厚木に到着。


八月三十一日 金
本日は一日休養。煙草、小隊長殿より五十本もらう(中きんし10本)

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