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第6巻【近世・近代・現代編】- 第6章:くらし

第3節:日記

冨岡寅吉日記

昭和19年(1944)11月


十一月一日 水 晴
煙草配給
今朝より早起き会である。四時三〇分に起床ラッパを吹く。朝は気持ちがよい。父は五時三〇分集合にて飛行場の勤労奉仕。
半ザルを二ツつくる。金井親治方へ一ツ。肥ザルも一ツ
昼休みに煙草の配給。
十五日分。家のは計参円五拾壱銭。
清酒配給二合壱円   以上


十一月 二日 木 晴
今朝はタイコが鳴ってから起きた
ナキリミ作くり。
四枚へふちをつけた。
櫻皮をさす。
午后稲を上げる。近江四〇束しかなかった
向徳寺へ竹切りに行った。五本切る
四寸十六本 五寸十本 六寸六本 七寸四本 八寸三本 九寸二本 尺壱本


十一月三日 金 雨
明治節
昨夜父は甘薯代金を受けに行った。
今日は明治節なり。学校へ行き、式場の支度をす。式が終りて木村先生の入営の話。餞別十銭。内田、小生、小沢の三名は、先生の手伝いをやること
二才より十三才迄菓子の配給*1。此れをくばる。
一日中雨降り。かごやをする

*1:菅谷岡松屋商店で菓子配給実施。1人20銭宛隣組単位に配給。


十一月四日 土 晴
早起き会。時計が止ってゐて三度も起きる騒ぎだ
かござるつくり。
四つ組み上げ篭を割る。また少しあつい所が出来る。以後注意せよ。うまく組めた
一日中かゝって、ふちまきが終らなかった。竹本、保積方へナキリミと半ザル一ツヅつ
目かい。唐子酉蔵方へ一ツ。代金もらない
指導員用地下足袋   以上


十一月五日 日 雨晴
警戒・空襲警報
今朝は雨だ
かござるのふち巻き。
又かござるを始めた。三ツ。三時迄に中をくんだ。今朝鶏が猫に取られ見つかった。赤い方。
役員会で支部長宅へ行ったら空襲警報発令せられ学校へ行く。
向徳寺の御祝儀*1を見に行き国民校生徒の演芸を見た。面白い。   以上

*1:向徳寺住職の息子の結婚式。


十一月六日 月 晴
警戒警報
晴天だ。朝は大風だった。かござるをやる三ツ。
警戒警報発令。
午前中出来上がり
上唐子 台、江野二戸四ツ 新井伊勢松方一ツ目かい二ツ
菅谷家より柿をもらい木に登って取ってきた。唐子へ行き乍ら月田橋よりかござるが下ちた。   以上


十一月七日 火 晴
警戒・空襲警報
四時三〇分に起きた。少しおそい加減だ。
かご箕のふちしばり。
昼食後一ツ、計二ツ作くり上げた
大澤久三宅より竹配給五束切りに行った。一束余計に切った。
警戒警報、空襲警報発令せらる
長島水車へ麦持ちに行った。
杉田勝次郎さんへかごみ二ツ
国民校高二女生 共同作業


十一月八日 水 曇
麦播き。西原へ大麦
菅谷へ使に行く
水車へ押麦持ちに行った。
山王前へも大麦。前畠へも大麦   以上


十一月九日 木 晴
近江の藁を二階へ上げた。
甘薯しまいびつの土さらい。坊の上一号畠の甘藷掘り。まだしめってゐる
祖父さん午前中かごや。
午后農業の手伝ひ
一日中甘藷掘り
よい日であった
受信 守平   以上


十一月十日 金 晴
加藤喜一郎、金子丑平の二君の入営を嵐山駅迄見送くる。大元気で出発した。
甘藷掘り。
朝の中寒い。
夕方も寒い
受信 柴田 北方派遣憲第一二六二三部隊番場隊


十一月十一日 土 曇
父は暁天動員で菅谷校へ。
祖父さんと馬小屋の肥出し。早く終り、坊の上一号へだす
甘藷掘り十時頃終り、二号の畠へ移る。約五分の一掘れた。国民校生徒の□や学級会、向徳寺にある   以上


十一月十二日 日 曇
坊の上二号畑の甘藷掘り。一号より大きな奴がある。
午后は俵に入れるのだ。くもってゐて寒い。
俵に四俵入れた。つるべが二十数箇ある
午前約五十三 つるべ
喜多先生家へきた   以上


十一月十三日 月 晴
木村先生の御入営を嵐山駅迄送くる。大元気で出発せられたり
甘藷掘り。
午后、二号畑が終る
桑の木こぎ。とても良くこげた
父、明日役場へ
実組寄合   以上


十一月十四日 火 晴
甘藷切り機を借りに行く。朝食後、切り始めたが具合がわるい。
そっとおいて昼休みになをして又切る。うまく切れる。坊の上三号の甘藷、里いも掘り、終る。
俵作くり、十二俵。
ケン(献)納壱俵、供出四俵。
明日、父に防衛召集来る   以上


十一月十五日 水 晴
坊の上一号畠の麦播き。午前中に終った
午后、二号畑を整地す。自分は車で桑の木やかずの木を運搬す。畦作くり。
暗くなる迄やっておわした。
今晩はオカマ様なり。大いに張切るべし   以上


十一月十六日 木 雨
昨夜は雨模様だったが、今朝も変りなし。坊の上二号畑の麦まき。雨が降り出した。でもまき終り、三号を始めたが雨となり中止。学校へ遊びに行った
香煙配給


十一月十七日 金 晴
坊の上三号畠の麦播き終りて一号畠の甘藷つるを山に引かける
側の高台の桑の木へも。
昼食して稲上げ。馬で五段。車で十六束、計五十五束なり。(旭)稲刈り
曽利町には稲はない。新田六畝を刈る
国民校生徒勤労奉仕   以上


十一月十八日 土 曇
甘藷ビツにふたをした。根刈りの束を木置場より運ぶ。
新田の稲刈り。関東を刈り、かけ稲とする。六畝刈り切る
午后大田を刈る。
一日中曇ってゐた
寒い
雨ちらつく   以上


十一月十九日 日 晴
昨夜雨が降って来たが今朝は上天気なり
大田のいね刈り
午前中新田の七畝も刈り始めた。
午后刈り切り。日没同時。少し早い
青年団役員会。


十一月廿日 月 晴
今朝より早起き会。五時起床となる
東の空白々となる
田へ堆肥を持って行く。田の作切り
金井栄次郎死ス
午前中曽利町の田が終り午后あいてゐた所を作る
静かなよい日


十一月廿一日 火 晴
曽利町の田へ小麦の種を入れる。肥引き。
午前中は曇り天気だ
午后祖父さんは金井栄一宅の葬式*1へ立会ふ
六畝の田の稲上げ。馬で運ぶ。六十四束上げた。   以上

*1:金井栄次郎の葬式。1864年(元治元)8月生まれ。


十一月廿二日 水 晴
麦播き
曽利町の田の土かけ
一日中
新聞配達   以上


十一月廿三日 木 晴
演習召集 父松山中隊*1
父は演習召集で松山の中学校へ行く
田の麦播き、作切り
曽利町の土かけ終り
午后稲上げ
馬で五段、車で二回、計七拾束上げる
足袋配給される

*1:地区特設警備隊。東部第一三三二四部隊。


十一月廿四日 金 晴
父、松山中隊へ 午后
青年団の勤労奉仕である。ハンギョウ様*1集合で八時頃開始。
自分は農(野)村阿喜良さんの家
畠の麦播き
田を降りまんがーでふる
稲束三〇束   以上

*1:藩行様。柱の上部に火防の神、古峯神社のお札が祀ってある。昔は大蔵中を見渡せる程の高さがあったが、現在は側の電線を切断しない等配慮して低くしてある。


十一月廿五日 土 晴・曇
父、松山中隊へ半日 午前中
父は昨日、空襲警報発令せらるや松山の防衛隊へ行き、宿(泊)りとなる。新田六畝の土かけ。大田の麦播き。約四分の一播く。正后父は帰ってきた
大田の稲上げ 計六十一束


十一月廿六日 日 晴
七畝を作る。とてもやりよい
大田の土かけ。
これもやりよい
三畝をふる。振りまんが
一日中よい日だ
まき、蜜柑買ひに行った   以上


十一月廿七日 月 曇・雨
父松山中隊へ 午后
適齢届を出すので金井仲次郎君と二人で役場へ行く。
足袋の配給。とてもよいのがあった。
午后麦播き。七畝の田。空襲警報で父は松山へ行く。
雨降る   以上


十一月廿八日 火 晴
父松山中隊へ
昨日空襲警報発令せられ父は松山へ行く。昨夜の雨も止む
代用セメントの配給十三袋。祖父さんと二人で信用組合迄持ちに行く。
代金拾壱円五銭。富岡健治君へ貳円
カラウスへ粘をつめた。塩と麦糠とを入れる。うまく出来た
父帰ず   以上


十一月廿九日 水 晴
父松山中隊へ
父は未だ帰って来ない
旭の稲の脱穀を始めた。母と二人で脱穀す
午前中に五拾束脱く。
午休みに唐子の床やへ行く。約三時間
三時半、父の部隊へ行ったら父は公用で外出中であった。一日中よい日だった   以上


十一月三十日 木 雨
父松山中隊へ
昨夜八時頃父帰る
十二時前空襲警報となり夜中に出発す
朝食後煙草の配給を配ばる
鎌形の小林孝太郎君の入営御客に行く。一時二〇分発にて出発す。
夜は富岡健治君の宅へお客に行って御馳走になり、又大いに勇んだ   以上

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