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第6巻【近世・近代・現代編】- 第6章:くらし

第3節:日記

冨岡寅吉日記

昭和19年(1944)8月


八月一日 火曜 晴
卵一八四
昨日と同方面で草刈り
甘藷畠へ肥出し、車引き、麦から干しをした。約一百三〇束出た
坊の上二号の甘藷畠へ肥引きをした。午后も同じ畠。三号のいも畠へ金肥と厩肥を入れる。沖縄へも肥を入れた。一日で終った。からも物置へ取り込む
柴田方よりトマトをもらった。
いかにも土用の様な天気だ   以上


八月二日 水曜 晴
勤労奉仕 卵一八五
四時起床。田の水を見に行った。
今日は軍事工事の勤労奉仕である*1。七時一〇分集合。八時開始。
午前中トロなをしの手伝ひとトロ押。三台で昼食。午后、自動車の助手。五名。内田、鯨井、福島、小生、忍田君である。つみ下ろしには汗が出たが、途中は涼しいものだ
東吉見迄トロ線を持ちに行った*2。面白かった。五時開(解)散す   以上
小林嘉久三方へ猫子をやる

*1:談)石橋穴八幡の道路工事。
*2:談)トロッコのレールを取りに行った。


八月三日 木曜 晴
卵一八六 一八七 召集日
今朝も田の水引きに行った。
本科四年の召集日である。執銃の教練。国民校庭にて今迄の復習。基本体操をした。小生指導にて
神社境内で射撃教練、照準、撃発と射撃と運動の連ケイ。十一時四〇分終了。午休みに水泳に行った。麦カラを物置へ上げた。田の草取り。一回ころがし□□後終った
金井柳作方へ猫子をくれた


八月四日 金曜 晴
勤労奉仕
勤労奉仕である。忍田、関口、富岡の三名で後より二番目のトロを押した。中々具合のよいトロだ。
荷を積んであける迄、乗り切りだ。
忍田君の運転は実に上手だ
午後は暑くなった。でも皆一生懸命にやった。
五時終了。大ガケで友達と水泳をやった。少しはうまくなった
石ケン、ちり紙の配給


八月五日 土曜 晴
卵一八八 一八九
耕地で草刈り。朝食後、田押車を持って柴田方の田押しに行った
父と二人。早く終った。父は正午迄、手伝ってきた
祖父さんと山王前畠のアゼ刈り。とても暑い
午休みに石鹸とチリ紙を配給す
アゼ刈り
一日中良い日であった   以上


八月六日 日曜 晴
卵一九〇
祖父さんと耕地で草刈り。早く刈れた
曽利町の田の草取り。曇っぽいので暑くなく仕事がしよい。
午前中で終る
午后、美作君と川へ遊びに行き魚の小を大変取った
畠山の博労さんきて呉れた
配給米つき
発信 富岡理昌


八月七日 月曜 曇
根岸の向ふ河原で草刈り。早く刈れた
耕地の田の草取り。大田より始めた。少し雨模様である
午前中一反六畝も取れた
午后一反三畝取り二番後も終りと云う訳
紺が配給になる。実行組合より   以上


八月八日 火曜 晴
卵一九一 一九二
まきと二人で草刈り
本四の召集日である
もっことかつぎ棒を持って学校に行く
土はこびなり
皆一生懸命にやった。
午后、松山へ使に行き菜種と甘ラン種を求め又戦闘帽も買ふ


八月九日 水曜 晴
卵一九三
昨日と同じ所で草刈り。こまっかい草が大変刈れた。隆次を連れて組合の発動機へ小麦を一俵持って行った。生石灰を買ってきた。一カン壱円
父と坊の上四号畠へ結球白菜を播く。祖父さん、理昌宅へ朝より
午后、理昌宅へ助に行った。甘藷の切掛だった。まきは軍造宅へ手伝ひに
今夜、隣組長常会


八月十・十一日 木・金曜 晴
受信 吉野
草刈りに行ってきて金井広吉宅へ助に行った。野村豊治君と田の草取り。一日中。
◎十一日。まきと草刈り。早く刈れた。金井広吉宅へ今日も行く。午前中入加の田の草むしり
午后、小麦つき。千駄んの田の草□広吉さんと二人で
夜八時より常会がある


八月十二日 土曜 晴
教練召集
草刈りがとても早かった
国民校庭へ集合。午前中学科。木村先生、軍人勅諭。神社の境内で基本体操。手旗通信す。昼食
午后久留田指導員より射撃予行演習
銃剣術もした。五年生の者とシ合をした   以上


八月十三日 日曜 晴・夕立雨
根岸の土手で草刈り。草もなくなった。祖父さんと父は田の草取り。自分は自転車で菅谷へ行きパンクをなをし学校に依(寄)り特幹志願者ノ心得をもらってきた
唐子の床屋へよる。丁度半日かかった。午后もぶらつき四時頃より夕立だでて大夕立となり近所にも三ツ位落雷したらう
夜も雨   以上


八月十四日 月曜 晴
卵一九四
もう草がなくなった。でも何とか見つけて来るものだ。
長島水車へ大麦を壱俵持って行き粉入れ物を持って行った。粉は明日。
桑呉れ。桑取り。山王前畠。
午后、前の物置きの庇のトバつくり
坊の上四号畠の桑すぐり。父と二人でやる。大変すぐれた
午后はとてもむし暑かった   以上


八月十五日 火曜 晴
卵一九五
草刈り。一人で耕地へ行ったが鎌が切れないで草がないので帰るのがおそかった。
坊ノ上四号畑の桑すぐり。父と二人でやり十時頃より月ノ輪の神田君の家へ西瓜をもらひに行く。学校へもより三時過ぎて帰ってきて昼食す。
自転車のパンクを三度はった
長島水車へ粉持ちに行く*1。此でもう終りだ。

*1:談)先に製粉を頼んでおいたものを取りに行く。


八月十六日 水曜 晴
卵一九六
草刈りなし。桑呉れ
高台の桑すぐり。一束はぎった。四年生の召集日
自分は午前中である。自転車の者は小川の向ふへ山出しに行く。とても急なので仕事にならぬ。でも五束下へ出す
午后印カン押しの手伝ひ
平沢の千野孝義軍曹のゐ骨*1を迎えた   以上

*1:平沢千野孝義、一九四四(昭和一九)年五月三日北太平洋上で戦死。


八月十七日 木曜 晴
卵一九七 受信 山下 長島近治
今朝も草刈りに行かないで蚕の手伝ひ。山王前へ桑すぐり。とても暑い。午后昼休みに柴田方でいっちゃん*1等と話す。
坊の上一号畠へ桑すぐりに行く。
夕立の気はいありだが大した事はない。   以上

*1:野口いつ。筆者より一級下。


八月十八日 金曜 晴
卵一九八
蚕の手伝ひ。父今日は馬の検定検査で松山町グランドへ行く
桑すぐり。油面の畠
昼休みに斉藤君の家へ行く
昨夜は音楽会を十二時頃迄やってゐた   以上


八月十九日 土曜 半晴・夕立
道奉
軍事工事の勤労奉仕。
中島、吉野、富岡の三名でトロ押し。前より五番目の奴を始めた。とても具合がよいトロだ
午后夕立が出て社務所*1で、友達と雨宿りかな
内田指導員殿にパンクをはってもらった。自分は吉野君と剣舞をならってゐた。
けうしゅく(恐縮)のいたり
蚕の上蔟

*1:石橋穴八幡神社の社務所。


八月廿日 日曜 晴
天ずいの耕地で草刈り。割合にほきてゐる。祖父さんと父と小生三人で草刈りだ
蚕の上蔟をやる
約四拾まぶし上がった
午后後片づけ
砂糖、にしんの配給   以上


八月廿一日 月曜 晴
卵一九九 召集日
草刈り。隆次と二人で行く。とてもほきてゐた。
青校召集日であるが午前中は中止
菅谷の家の蚕の上蔟の手伝。午后、先生*1、吉野と三人で下里へ杉皮出し
今日の夕方位晴にせられたし

*1:木村太郎先生。


八月廿二日 火曜 晴
卵二〇〇 道奉
今朝ハ菅谷の方へ使に行く
道路奉仕に行く。四年生の外に他生徒も大変ゐた。全部で二十三名なり。今日の仕事はほがらかにやれる。休み休みに香煙をやる。此も仕事をやるに張合があってよい。一日中よい日だった
慰安会練習なし   以上


八月廿三日 水曜 晴
道奉
菅谷へ香煙買いに行く。小沢武夫君と一しょだ
石橋の道路奉仕である。もう始まってゐた。小澤、高瀬、自分の三名で三番目のトロ押し。とても具合のよいトロである
昼休みも短い。夕方は定時刻より一時間早くしまった
社務所で慰安の練習をやる。新聞代集金   以上


八月廿四日 木曜 半晴
早く起きて朝食す。菅谷へ香煙を買いに行く。野村豊治君と大沢と松山へマイクロホン借りに行く。途中雨に降られたが帰りには丁度よい具合に行った。大沢と送別会の会費を集める。午后新聞代集金。午休みに吉野勇作君がきた。としもうれしかった
夜に沢渡等とあそぶ


八月廿五日 金曜 雨
草刈り。今朝は大降りだった
菅谷へ葉書代を持って行った
床やで二時間昼寝をした
午后ラッパをみがく
今夜の慰安会の支度をやる。一日中降ったり止んだりしてゐたが夜はとうとう雨降りで慰安会も駄目だったが大変な人手である。 以上


八月廿六日 土曜 雨天
昨夜は社務所へ泊った。新藤君、山下君の三名である。草刈りにも行く。
初秋蚕の繭かきである。自分は子守りをしてゐると木村先生が来た。疎開児童*1の荷物運搬である。雨も小降りとなる。千手堂迄*2二回行って暇をもらってきた。今夜は慰安会*3も出来そうである。青校の先生全員で見物にきた
去年に負けぬ人手があった。とても愉快に出来た 以上

*1:東京の日本橋区(現中央区)有馬国民学校の学童集団疎開。
*2:松月楼が武蔵嵐山学寮とされた。
*3:談)大蔵青年団の出征兵士遺家族慰安演芸会。


八月廿七日 日曜 晴
卵二〇〇箇
昨夜の慰安会は実に盛大であった。見物にも大多数ゐた。吉野先生*1もゐて約一時間位話してゐた
自分の寸劇は面白かったそうだ
午前会計。柴田美作君の出征*2を送くる。
午后、送別会。兵隊は八名の所七名出席す。そうとう盛大であった
終りて青団役員で一杯やる
小沢武夫君五日の入隊   以上

*1:菅谷青年学校の吉野文子先生。
*2:大蔵柴田美作、東部六二部隊応召。


八月廿八日 月曜 晴
卵二〇一
耕地で草刈り。割合にほきてゐて刈り良かった。早く刈れた。大工の家で頼れて松山の方へも使にも行く。金井親治方のバアさんの御葬式*1に父は朝より行く
祖父さんは畠耕ひ。午后自分も手伝ふ。父も終りて来た。二人で耕ふ
明日は入営兵の送(壮)行会

*1:金井きく。一八七三(明治六年四月生まれ。


八月廿九日 火曜 晴
根岸の向ふ河原へ草刈りに行く。朝食後、長島水車へ粉持ちに行き貳〆匁持ってくる。祖父さんと川へ篭洗ひに行く。むしろも洗ふ。
午后菅谷へ行く。青年学校で入営兵の走(壮)行会があるので、級長、副級長、字役員は之(コレ)に出席するのである
道路奉仕の金一日三円五〇銭で五日分拾七円五〇銭もらった。次の召集日。九、一日、金、六日水。九、十一日月。


八月卅日 水曜 晴
工事
今朝は気分が悪くゆっくり起きた。今日より農士学校前の河川工事へ出た
午前中は水中の仕事
午后市ノ川の清水信康君もきた
父は愛馬徴発高賣【こうばい】へ出席す
五時過ぎて終した
吉野君より送り物があった   以上


八月卅一日 木曜 晴
卵二〇二 工事
農士学校前の工事へ行く。トロの線路つくり
一日中
水あびか
マッチの配給 一人二ツ 戸五ツ   以上

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