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第6巻【近世・近代・現代編】- 第6章:くらし

第3節:日記

冨岡寅吉日記

昭和19年(1944)7月


七月一日 土曜 晴
土手で草刈り。早く刈れた。
父と二人で小麦扱き。午前中に頂(丁)度三〇束脱穀した。今日は富岡軍造宅のせいさんの御葬式で祖父さんと祖母さんは朝から行く
菅谷の叔父、遠山水車の叔父さんが見舞に来た
午后は二〇束扱き、ふるったり、唐箕であをったりする
昨夜配給品を配ばる


七月二日 日曜 雨
土手で草刈り。早く刈れた
米の配給。弁当箱と加工証明書をもらってきた。自転車のパンクを修す。田へ父が馬で肥出しをしたのでその手伝ひに行き肥ちらし。
午后は祖父さんとまきも田仕事へ行く。肥ちらし。曽利町と大田へちらす。一日中雨降りであった
よくぬれた   以上


七月三日 月曜 半晴
卵一六八
今朝は草刈りに行くのがおそかった。鎌が切れない。父は馬で堆肥だし。自分は配給米つきをした。中々無頭かしいものであるが少しやるとなれてよくつけた。終りて軍造氏へ助に行き麦刈りをした
午后は家より五人、理昌宅より四人、軍造宅より五人、計十四名でしたので仕事も面白くできた   以上


七月四日 火曜 曇
草はとてもあったので早く刈れた。
軍造宅へ手伝ひに行く。祖父さんはツキ目の眼薬をもらひに行った
麦刈り中途で雨が降ってきて中止す。家の田の馬耕に行った。雨が降ってきた
午后は馬がとてもよく仕事(事)をしたので曽利町は皆耕ひ終る
本日警戒警報発令せらる   以上


七月五日 水曜 小雨
雨天也。自分は草刈り。父は小麦を俵に入れて組合の発動機へ行く。大田の馬耕に行く。始(始)の中は騒いだがだんだんよく働いた。
午后は大田が終りて新田へ移動したら柴田藤五郎(郎)さんがタテほりに来て呉れた。オンガーが破損し仕事中止す。雨も止み仕事もやりよいわい   以上


七月六日 木曜 晴・北西風
卵一六九
朝作りに田へ肥料を持って行きそれを打つ。小堀さらひ。柴田方の馬耕。オンガーの金を取り変へる。午前中に約一反耕す
午后は家の田に移り三畝と苗代のしりと七畝を始めたが道具が悪くて早くしまった
小麦を俵に入れた。六斗五升。昨日のが四斗五升


七月七日 金曜 晴
卵一七〇 支那事変七周年記念
今朝はゆっくり起床した。早朝飯で田に行き馬の鼻取りをした。今日も馬がとてもよくする。理昌方より午前中二名きて呉れた。柴田方より三名。苗取り。
父と自分は田かき。柴田宅のを荒くれだけした。終りて田かき。もち苗をあるたっけと旭を少し近江は四畝二〇歩へ頂(丁)度よい加減であった。


七月八日 土曜 晴
柴田方田植
父と二人で草刈りに行く。ガッサリ刈った。エンタ*1二箇買ふ。柴田方の上げ代二枚と家の七畝の馬耕。理昌方よりオンガーを借用す。他の者は田植え、苗取り。柴田方の馬耕。午后三時頃終る。
馬方も田植えの手伝をする。夕方早く終り、長島水車へ米取りかえに行く。スマを九〇銭買ふ。吉野勇作君より事伝あり

*1:談)たばこ。


七月九日 日曜 晴
卵一七一
草刈り。今朝はとても多くあって早く刈れた。田へ水が来ないので畠の仕事である。甘藷の切掛けを始めた
坊の上一号より。朝の中はとても霧がある十時頃よりよく晴て暑い。
午后休み時分終り。二号の畠へ移る。草むしりが骨が折れるのである。二号畠山半分以上仕事が出来た。今夜は、臨時常会が社務所に開れる
   以上


七月十日 月曜 曇・小雨
卵一七二 一七三 一七四
向ふ河原で草刈り。早く刈れた。柴田方の小麦の脱穀に三人で行く
。頂(丁)度四時間かゝった
昼休みに水泳に行った。祖父母は甘藷の切かけ。自分と父は小麦の脱穀。足踏みにて約一俵位する
午后は雨模様なり   以上


七月十一日 火曜 晴
父は昨晩より田の水引きに行った
自分は草刈りに行き帰りに大きなエビをつかまへた
大田に水がは入り祖父さんと二人で肥料うち。父とかく。始めの一回は馬がとても意【威】勢がよいので骨を折るわい。でもとてもよくやった
昼休みに常会と堀さらい。明日より番水なり
大田植え切る   以上


七月十二日 水曜 晴
卵一七五 一七六
草刈り
米の配給に行く。柴田方のと二軒分。マッチの配給。戸数四箇
一人当一箇。第二計一三四。六円十八銭。半日かゝった
午后、父と二人で田植えの田かき。六畝を上げ代迄した
そして全部植え切った。   以上


七月十三日 木曜 晴
村田巳之吉君の御入営*1なり。用事があったので送れなかった。早朝めしで新田かき、鼻取りとしんどりをした。とてもよい日だ。苗取りもして見た。うまく取れぬ
苗代の上げ代三畝もした。三畝の田植。七畝も植えた。苗代は約三分の一植え夕方となり帰ってきた
新藤岩二君と菅谷の天王様へ遊びに行った。面白くないわい

*1:大蔵村田巳之吉、東部九〇部隊応召。一九四五(昭和二〇)年七月三〇日戦死。


七月十四日 金曜 晴・午后大夕立あり
今朝は草刈りに行く。少し刈った。今日七時より夕七時迄番水の水番だ。村田清治君、金井末吉さんの三人だ。朝の中はとてもよい天気で暑かった。水番も中々無頭かしいわ。家の田植えは早く終った。柴田方へ行く。苗代を植え始め今少しとなったら大夕立が出た。耕地に居る時大きな奴か鳴ったので皆、我先にと逃げ出した。面白かった
特に南の空がひどかった。


七月十五日 土曜 晴
卵一七七 一七八
昨夜は新藤岩二君と遊びに行った。面白くなかった。草刈り。根岸の下土手で刈る。柴田方の田植え。父と自分は田かき。早く終り植える。今日は自分乍ら感心する程上手になった。丁度昼頃終った。酒の配給を受ける。五合。
理昌宅へ祖父さん、父、自分と三名。午后手伝ひに行く。早く終った。長島水車より押麦四升と小麦粉二貫匁借りてきた


七月十六日 日曜 晴・暑い
召集日
野廻りに行く。水が多くきているが六畝は少かった。今日は召集日である。青草を一束刈って行く。八時過ぎて集合開始。自分の指導員殿は御見えにならなかった
基本体操の指導。軍人勅諭奉読と暗誦できる者へ白星を呉れた。午后米つき。とてもよくつけた。
昨夜小沢君の家でお茶を御馳走になった
地下足袋青校配給


七月十七日 月曜 晴
卵一七九 共同作業 家で
昨夜は一時半も遊んだ。面白くないのに。
大沢君と向ふ河原へ草刈りに行く。今迄に無い草のほき振りだ。今日は家の共同作業である。七時頃中島、吉野君がきた。朝から氷水をのんで見た。うまかったわい。前畠のカッパ返し。脱穀機十時頃より始まった
地下足袋十文半を買った。本日の父の行動甚だ悪し。以後気を付くるべし。頂【丁】度七時間三〇分かゝった   以上
忍田寛治方へ猫子をやる


七月十八日 火曜 晴
卵一七〇、一七一 共同作業 中島
新聞配達。根岸で召集の来た話を聞いた。長島指導員殿にも来たらしい。中島君宅で共同作業。田な草取り。午前中は風があり涼しかった
午后はそうとうむし暑かった。汗が流れる。二反五畝取る。終りて二番切り約三畝。長島指導員殿に召集令がきた。御餞別に行き祝酒を頂戴した。とてもうまかった。氷水□にのむ


七月十九日 水曜
卵一七二、一七三
青校の草刈り。四年生の出席率は良好なり
西原の陸作物の除草。二番切り。今日は我等の指導員長島軍曹殿が御出征*1なされた。嵐山駅頭で軍歌をやる時、自分は張切った。目には涙が止まらなかった。小川へ使に行く
いさをはながく忘れぬぞ*2

*1:鎌形長島近治、東部六四部隊応召。
*2:愛馬行進曲の一節。


七月二〇日 木曜 曇・小雨
共同作業 吉野
坊の上の道で草刈り。少しだった
朝食済んで雨が降ってきが中島君がきたので遠山へ向かった
パンクの自転車なので用意(容易)でなかった。
二番切り。甘藷の切かつけ
一日中小雨だった。帰りの道で七時の報道を聞いて内閣総辞職*1を聞く。

*1:七月十八日、東条内閣総辞職。二十二日、小磯国昭内閣成立。


七月二十一日 金曜 雨
卵一七四 一七五
草刈り。もう少くなった。朝食後二時間位寝た。菅谷の自転車屋へ寄る。中島君宅へも行った。パンク五〇銭。にしんの配給と加工証明をもらふ。
午后青年団の勤労奉仕。集合がうまく行かぬ。自分、長沢君、山下義明君の三名で成沢力造さんの家へ行く。甘藷の草むしりであった。色々と御馳走になった。父は金井廣広吉さんの家へ助に行く。にしん配給す


七月二十二日 土曜 晴・雷雨
卵一七六
草刈り。とてもほきてゐたので早く刈れた。米の配給とてもこんでゐた。今日は半分しかこない。四円六十八銭
父は本日も金井宅へ行く。祖父さんは水番で耕地へ行った。午近くなって夕立が乾物を取り込む大夕立となり、大雨が来た。午后は何もしなかった
隣組の納税。皆持参せり
受発信 金井春二君   以上


七月二十三日 日曜 晴
卵一七七
今朝は草刈りはなくって骨を折った。
父、今日も廣吉方宅へ手伝ひに行く。配給米つき。前畠の草むしり。
午休みに納税を茂八宅へたのむ
長島水車へ粉持ちに行き加工証明を出す。粉五〆持ってきた。坊の上三号畠の除草。
祖父さんに顔をそってもらった。
明日は体力検査なり。   以上


七月二十四日 月曜 半晴
体力検査
体力検査なり。受検者がとても少い。身長、一五九、四。胸囲八〇、五。体重五〇、三なり*1
注射もす。自分のはいたくない。午后四時頃終る
天王様である。吉野、中島君きた。高坂の細村君等も来る。雨が降り出してしまった。でも盛となってから止む。たいこはたきが一番面白い。金井仲次郎君とやる

*1:視力右1.5左1.5。色神正常。聴力正常。ツ反応陰性。


七月二十五日 火曜 晴
草刈り。油面近所で土のたかってる悪い草を刈った
菅谷へ米の配給受けに行く。四才ヨリ十才迄一人四十三銭であった
昼食してよりしし舞である。御輿は少しかついで、ししかつぎをして廻った
あまりおもたくないが汗をびっしょりかいた。廻り終って御輿かつぎ。一生懸命もんだ。かたに傷ができた
夜は十一時頃迄たいこはたき


七月二十六日 水曜 半晴・雨
卵一七八 一七九 体力検査
草刈りに行ってきた。今朝はとてもほきてゐた。早く刈れた
金井やで約二時間午寝をした。午后は体力検査である。雨が降り出した。大沢、新藤等と一しょに行った。今夜、特別訓練生の総会があるので一番先にしてもらった。異常なし。加藤君と四時十二分発の電車で松山に向ふ。皆同窓生も元気だ。菅谷の生徒は張り切ったぞ   以上


七月二十七日 木曜 雨
召集日
雨降り天気なり。本三、四年の召集日である。国民校の方でやった
一、二時はねむったかったが我まんした。三時目にはとうとう寝てしまった。約四〇分大いに恥ずべしなり。午后外で教練をした。五時、開【解】散す。金井屋で氷水一杯 只
昨日より大蔵は農休みである
昨夜は吉野と一しょだ   以上


七月二八日 金曜 半晴
卵一八〇 一八一
草刈りに行く。刈り終る時分、集合ラッパが鳴った。青年団の三十三社拝礼である。野村武夫君、岡野千三君と小生三人で北口へ向かった
太郎丸の神社を出ると同時に自分の自転車がカラ廻りになってしまい、水房、川島と歩き、川島より野村君に引張ってもらった
自転車をよく修繕してもらった。二円五〇銭。田ころがし 以上
大小麦の検査 大麦三俵二等 小麦十八俵。一等十六俵。二等二俵。


七月二十九日 土曜 晴
卵一八二 一八三 召集日
父にさんざ起された。でも起られぬ。教練召集日である。
八時開始。自分の方は内田指導員殿である。神社の境内で射撃姿勢をした。
午后三年生へ基本動作の指導。三年生はなってをらん。
五時過ぎて終った。父、田ころがし。祖父さん、金井廣吉さん宅へ 以上


七月三十日 日曜 半晴
草刈り。早く刈れた
菅谷へロウソクと菓子の配給受けに行く。一戸二本金三銭。菓子一人十七銭
田の草取り。大田を午前中半分以上。午后、祖父さん、かごやの役員会議で小川へ
午后六畝取っ切る。金井時一さん、押麦を持ってきてくれた 以上


七月三十一日 月曜 晴
草刈り。今朝は向ふ河原へ行ったら、とてもあった。早く帰れた。甘藷畠へ堆肥出し。父と車で引いた。十時頃坊ノ上一号畠一パイとなった。今日、神社へ十一時集合で、山下光太郎さんの御出征*1をお送くりするので十時半にラッパを吹いた
暑いので氷水がのめる。菅谷で六杯のんだ。甘藷の肥引きを続行す。
一日中よい日であった。32、23、三と写真を見る 以上

*1:大蔵山下光太郎、東部一七部隊応召。

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