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第6巻【近世・近代・現代編】- 第6章:くらし

第3節:日記

冨岡寅吉日記

昭和19年(1944)6月


六月一日 木曜 晴・夕立雨
卵一三九
山王前畠のへりで草を刈る。
少ししか刈らない。
草刈りかご作くり。腰を起して廻しを入れる。今日も七つ出来た。小ぶりな奴を一つ。三時休み。
夕方になって夕立がでた。大雨もありすぐ止んだ。夜になってから夕立雨。すぐ止まなかった   以上


六月二日 金曜 晴
卵一四〇 受信 金井春二 守平
昨日の続きで草刈りをした。今朝は大変刈れた。
父は米の配給を受けに。五日分四円六八銭。目ぐすり二〇銭 印篭つくり
三つ出来上がる
父山仕事。松まきを刈ったので其れを持ちに行く。四十七本持ってきた。草刈りかご野口由次郎一つ。村田嘉平二つ。福島定吉印篭一つ。小沢猪之助二つ   以上


六月三日 土曜 晴
卵一四一 発 金井 守平へ
昨日の続きで草を刈る
今日は栗原先生に頼まれた天体をつくる。なかなかうまく出来た。
向徳寺で使ふマーリを投げこむ篭を二つ。青校のチリ紙入れ二つ
かごのふちまき三つ
夕方より支度して清水竹治君と川へ夜釣りに行きナマズの子一匹釣った。蛍も取った


六月四日 日曜 小雨
卵一四二
自分の腹はしぼり腹なり。でも草刈りに行った。彼方此方廻り歩いた
苗取りの腰掛けつくり。竹割り。組む
くむのは簡単なものだ。
そのふちまき全部で四つつくる
今日の午后はとても眠ったい。居ねむりばかりしてゐたが肥箕を始めてからすっかりさめてよいかごができた。三つあむ。麦俵の検査 以上


六月五日 月曜 晴
卵一四三 一四四
月田橋の下の土手で草刈り。とてもほきてゐた
砂利箕作くり五つ。作くりあげた
昼休みに学校へかごを持って行く。村田嘉平さんへかごみ二つ。同じく大沢伊三郎さんへ一つ。富岡富七、腰掛。金井柳作さんへ四つ
小供のかご二つつくり上げる   以上


六月六日 火曜 晴・夕立雨
卵一四五
昨日の朝の向ふで草刈りをした。帰りにタバコ 115。1013。81。*1を買ってきた。草刈りかごつくり六つ。底を組み形増七つ。腰を起こす。昼休みに根岸へ行く。小沢武夫君の家へ昨夜も二人で手旗を習った。67。25。72。84。51。もきた。十二時終
夕立がでた。雨も降った。富岡理昌さんよりお便りがあった。場所中支派遣第一四四野戦郵便局気付呂三八八七部隊

*1:手旗信号。


六月七日 水曜 晴
受信 金井仲次郎
昨日の続きで草を刈る。帰りに小沢武夫君より魚をもらう。
草刈りかごのふちまき。途中より米の配給を受けに行く。五日分四円六十八銭
午后目かいつくり。
昼休みにかご配達。富岡富七さんへ大小草刈りかご一つ。野村豊吉さんへ大一つ
遠山水車へ使に行く。メン三〇本持ってきた


六月八日 木曜 晴
共同作業吉野栄一君宅へ 卵一四六
今朝も昨夜の続きで草刈りをした。とても大く刈れた。そして早い。自転車がパンクなので竹本屋でハってもらった。根岸せき先生に共同作業計画書を頼む。
今日は吉野栄一君の家へ共同作業に行き蚕かごのふちまきを始める。日陰廻りをした。仕事もしよかった。一日に二十三枚まいた。よくまけた。自信がある。将軍沢へ草刈りかご。小久保恭之助一つ。岡本徳さんへ一つ


六月九日 金曜 晴・夕立雨
家でかごや
今朝も昨日の続きで草刈りをした。今日も早く出来た
目かごのふちまき全部で九つまひた。背負かごのふちを折る。昼休みに目かい運般【搬】をした。金井勇次郎さんへ一つ。成沢力造一つ。大沢八三郎一つ。根岸喜平二つ売った。計五円五〇銭収入
背負ひかごのふちまき。子供のかご、小さいのを一つ作くった   以上


六月十日 土曜 晴
今朝も昨日の続きで草刈りをした。草刈りかごつくり。小さいのを一つつくり上げた
午休みに目かい運搬をした
計三円六〇銭 野村豊吉
 六円五〇銭 富岡元治
蚕の上蔟始まる   以上


六月十一日 日曜 晴
卵一四七 一四八
草刈り中止。蚕の桑呉れの手伝ひ。座敷の蚕がとてもよくひきった。柴田藤五郎方よりまんさんととくさんが助にきて呉れた。
自分はしまだつくり。とてもよい虫である
午前中に座敷中が全部終った。午后も同じ人員でやり物置の大きなやつを二台上げた。
終ってから蚕砂だし。桑手骨*1を運搬す。   以上

*1:談)残った桑の枝。


六月十二日 月曜 晴
卵一四九
根岸の耕地で草を刈った。割合に早くできた
米の配給に行く。二七瓩百六〇で九円三十七銭、糯米もまぢってゐる。蚕の上蔟。中口が四縁台あがった。まぶしつくりなり
午后も同じ。終りて蚕砂運び、桑切りなどした
此處幾日かかごやはやらない


六月十三日 火曜 晴
卵一五一 一五二
まき、隆次を連れて根岸の下河原で草を刈った。たてはとても良くできた
草刈りかごのふちまき。自分は三つ。計六つでき上がり又草刈りかごを始めた
午前中四つ廻しを入れる。午后祖父さんが作くり上げた。唐子の床屋へ寄る
自転車のパンクはりは駄目だ
将軍沢沢渡へ草かご三つ、福島和一さんへ一つ、大沢伊三郎さんへ二つ
   以上


六月十四日 水曜 雨
新藤武治君出征*1
今朝も昨日の向ふで草を刈る。いらない。
朝食頃より雨が降り出した。父は神戸の小林長吉さんの御出征を送りに行った。将軍沢へかごを持って行く。秋山十郎さん福島楽さんへ一つゞつ。新藤武治さんの御出征を送くる。十一時四十七分にて菅谷村より二十二名同時で出征*2した。西孝三君も入団出発した*3。午后ブッタイを編んだ。縦の長さ二尺、幅二尺七寸なり。一日中雨が降ってゐた 以上

*1:大蔵新藤武治、東部七部隊応召。
*2:根岸根岸泰一・千手堂内田喜重東部六部隊、志賀高橋寿三郎東部七五部隊、志賀高橋英勇・千手堂関根福次・大蔵富岡高一・鎌形関根福一・遠山野原理助・志賀吉野久五郎・志賀山川秀雄・平沢内田竹春・平沢小林孝次郎・鎌形小峯彌市・千手堂瀬山正男・川島島崎丑太郎・菅谷松田勝造東部七部隊、菅谷山岸寶作東部八二部隊、川島権田文司・鎌形杉田保次東部八三部隊、志賀栗原芳治東部一二部隊、遠山山下重平東部四一部隊応召。急行列車は廃止されており、池袋までの所要時間は約二時間。
*3:平沢西孝三、横須賀海兵団入営。


六月十五日 木曜 晴
卵一五三 一五四
昨日雨が降ったので川の水が増水したと思って耕地の方へ行く。とてもほきてゐた。
早く一かごできた
父と馬小屋の肥だしを始めたら柴田方で迎へにきて田の二ボウ*1耕ひをした。馬が一生懸命にやった。肥出し。山王前畠の大麦刈り。西原の畠の作入れ。もろこし、玉蜀黍、大豆等を播いた。山王前の桑の中へ玉蜀黍、サヽゲを蒔いた
前の大麦刈り
警戒警報発令さる

*1:談)二回目。


六月十六日 金曜 曇・晴
出征兵士 藤縄正二*1 野村阿喜良*2
昨夜警戒警報があったので今日は七時より十九時迄伝令として植木山の警報部所へ詰めた。小沢武夫君と交替なり
電話係根岸喜平さん、伝令は自分、福島和一君で一日中面白い事ばかりであった。福島稔君と交替す(十九時)。
木闇さんへ守平の服を頼む。齋藤君の家へ寄り靴のクリームをもらってヅックに着けた   以上
肥料配給

*1:大蔵藤縄正二、東部一〇部隊応召。
*2:大蔵野村阿喜良、東部一七部隊応召。


六月十七日 土曜 曇
卵一五五
新聞配達早く終る。祖父さんは将軍沢の秋山十郎さんへ草刈りかごを一つ持って行った。四人で田の大麦刈りに行く。とても刈りにくいがよいできた。十一時前に終り父と甘藷苗植へ畠へ。全部うゑ終った。
午后繭かき。雨が降り出し前畠の大麦上げ。繭も拾七貫かけた。
今夜守平が来ると言ふので停車場まで行くのである。


六月十八日 日曜 晴
卵一五六
昨夜守平が八時三十二分の電車できた。雨が降ってゐて暗かったが二人なので元気よくきた。今夜は根岸の土手で草刈り。草もなくなった。繭かき。母は守平へお土産を作くる。
午后父と二人で毛羽取りをした。居眠りばかりしてゐかん。
警戒警報解除となる
三十六〆毛羽取りをした
雨模様なり。   以上


六月十九日 月曜 小雨・曇
卵一五七
向ふ河原で草刈り。雨は降ってゐたが草がほきてゐて早く刈れた。
繭かき。毛羽取り。荷ごしらへをして車で繭を引っ張って行く。今日はとてもこんでゐる。自転車のパンクをはって遠山水車へ使に飛んだが用は駄目だ。吉野栄一君宅へも寄る。本繭壹等四拾壹貫六百匁
後片付けをする   以上
玉中共 十貫 玉四〆五〇〇 中五〆六百


六月二十日 火曜 曇・雨
卵一五八 一五九
昨日の方で草刈り。祖父さんと篭片付け。物置の二階に上げた。
父と二人で大麦こきを始めた。少し日が照ってきた。乾物を出す
午后大麦上げ。山王前の畠から田へ移る。二車、三車目より雨が降り出し四車目には大降りとなりだした。でも大麦の取込みは終る
田麦八十八束   以上


六月二一日 水曜 晴
卵一六〇 一六一
川の水が増した。向ふ河原で草刈り。
午前柴田方の田植えの手伝ひ。
馬でかく。自分はしんどり。
午前中に植え切り午后は家の大麦の脱穀。柴田方より三名。終って柴田方の大麦上げへ家より三名手伝ひに行く
祖父さん、繭の乾燥に、和田へ持って行く。   以上
脱穀時間二時間五〇分


六月二十二日 木曜 晴天也
卵一六二 一六三
中島街道で草刈り。今日はよい日になりそうだ。祖父さんと金井廣吉、山下庫次郎、野口臣吉さんと和田の乾燥場へ行く。大麦の干物出し
米の配給。糯もち米が四割位ある。九円三七銭。山にある薪へ屋根を作くる。役場の切付【符】を配り。柴田方の大麦上げの手伝ひに行く。
カルピスと言ふ物を御馳走になった。此れは初戀の味とか言ふそうだ


六月二十三日 金曜 晴
根岸の向ふ河原で草刈り。とてもある。早く刈れた。朝食して軍造さんの家へ助に行く。大麦の脱穀である
午前中に大きい束三十五束。午后、昼食をもらってたべる。
二十五束こいたら隆次が迎えにきて柴田方の大麦の脱穀。五時近くなって始めた。二時間と十五分懸った。後一俵と言ふ時に夕立がきて皆まごまご働いた


六月二十四日 土曜 晴
乾燥賃一〆目一円一〇銭 吉野栄一君と共同作業
昨日の雨で草刈り。早く刈れた。大麦を俵に入れる。先干は六俵と一斗位あった。手扱きを長島水車へ一俵。国防婦人会の貯金と大麦の加工証明をもらう用を祖父さんがした。吉野栄一君が此の間の仕事(かごや)を返しにきた。そして桑原掘返しをした。庭畠、山王前、油面、隣組の畠と仕事はどしどしと出来た。酒の特配ケンがきた。一升三円七〇銭。二十六日菅谷井上酒店*1   以上

*1:駅通りの和泉屋(井上仙太郎経営)。この当時の菅谷村の酒の配給所は菅谷・井上商店、志賀・大野屋、鎌形・杉田商店、斉藤商店、根岸清水屋(秋山芳松)の五店。


六月二十五日 日曜 曇
今朝はまきを連れて行く。早く刈れた。父は長島水車へ大麦を一俵持って行く。桑原掘返し。本陣畠より始める
今日は曇ってゐて仕事はやりよい
午后早く終り。大麦のカッパ抜き終る
高台の掘返し。ごみがあるのでやりよかった。大麦、俵に入れた。頂(丁)度五俵。十三俵できた   以上


六月二十六日 月曜 曇
卵一六四
昨日の続きで草刈り
西原の小麦刈り。雨が降りそうなので一車早く上げたら日が当ってきた。午前中に刈り切る。八十八束約八畝
午休み、酒の配給。役場中島君の家等へ寄る
坊上二号畠の小麦刈り。約八畝分だが六七束であった
西原のカッパ抜き。五人でしたので早く終る
祖父さんは山下家へ。酒飲みに


六月二七日 火曜 晴・夕立
卵一六五
根岸の土手で草刈り。日が高くなる
坊の上一号の麦刈りを始めると同時に軍造宅の叔母が悪いので鎌形の家へ話に行く。朝から暑い日だ。
一号の麦刈り。祖父さんは軍造宅へ午前中行き切り。午后成澤八三(五)郎さん*1の葬式。祖父さん御見送りに行く。麦刈り切り。坊の上三号を刈る
夕立雨がきて中止。十三束持ってくる
一号八拾壹束

*1:一八七四(明治七)年九月生まれ。


六月二八日 水曜 晴
卵一六六
土手で草刈りをする。あまり早く刈れなかった。朝食後、隣組中を廻り糸の点数を調べる。六軒計十六・五人分(百六五匁)いっそ作くり
坊の上の小麦刈り。午前中に運び切る。父は軍造宅へ半日助に行く
午后大田の麦刈り。半分位刈って自分は遠山水車へ使に行く。吉野君よりペン習字とカンランをもらって来た。大田八〇束


六月二九日 木曜 晴
卵一六七
隆次をつれて土手で草刈り魚釣りもする。二匹しか釣らない。今日は昆布の配給なり。新田の麦刈り。自分は車引きをする。軍造さんの妻*1死す正后。今日一日中の束数は百〇三束。早終りとする。   以上

*1:富岡せい。一九〇三(明治三六)年七月生まれ。


六月三〇日 金曜 晴
昨夜は昆布と寒天、ちり紙を区分す。中々面どうなり。
新田の麦刈り。午前中は刈り終らなかった。
昼休みに昆布の配給。婦人会の雑誌、今日廻ってきた。
今日の小麦束五拾三束。寒天、ちり紙
雑誌御送り下さい御願ひ申します終[落書]

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