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第6巻【近世・近代・現代編】- 第6章:くらし

第3節:日記

冨岡寅吉日記

昭和19年(1944)5月


五月一日 月曜 晴
卵一〇九 一一〇
仕事が忙しいので補充兵出席届を出す。帰りに理髪をしてきた。五〇銭。
ナキリミ作くり。計六枚。祖母、父は山仕事なり。国民校生徒の遠足
吉野勇作君お客にきたそうだが今朝一足違ひで相(逢)へなかった。
ナキリミ四枚でる。新藤嘉助さん二枚、野口安五郎さんへ一枚、柴田宅一
昼休みに松山へ使に行き十二円ばかり使ふ
金井やへ草刈りかご二つ


四【五】月二日 火曜 晴
卵百十壹
青校へ行く。朝礼をして米の配給を受け国民校旧校舎で内田指導員*1殿にマントを背のうに巻いてもらった
家へきて植木山へ使に行く。昼食後、明日の支度の為又学校へ行く。加藤さん*2大部遅刻した。突然吉野勇作君きた。此の時の喜び、何如ばかり。吉野も行く事になった。吉野の家へ支度しに行き帰りに唐子の床やへ吉野とよる。長島指導員殿より色々の本を借りた。

*1:志賀の内田金作指導員。
*2:加藤喜一郎。


五月三日 水曜 晴・曇
卵百十二 村ソウ*1
今朝は早起きをした。今日より一週間野本の道場*2へ優良生徒特別訓練に行くのである
自転車でリヤカーを引張って行く。松山迄随分のした
九時入所式。比企東部青校四十五名集った*3。皆まだなれない。此の日午前学科
午后教練 不動の姿勢 其の他

*1:故海軍一等機関兵曹欠川波治、海軍二等機関兵曹金井福二、海軍一等水兵内田唯助合同菅谷村葬執行。
*2:談)野本村柏崎にあった。
*3:談)菅谷村から参加した生徒は、加藤喜一郎、吉野勇作、権田本之、筆者の四人。。


五月四日 木曜 曇
卵百十三
カシノキカゴミ十枚


五月五日 金曜 雨後曇
端午節句


五月六日 土曜 晴
卵百十四


五月七日 日曜 晴
卵百十五


五月八日 月曜 晴
大詔奉戴日 おしゃかさま
何時もと同じ五時起床。裸になって駆歩、約一里。野本耕地の真中、東上線沿線にて号令調制。
もうのどがいたい。
午前新校庭での教練。
午后松山箭弓グランどで各箇戦闘 うまくできぬ
手旗信号を練習す。今日イロハ四十八文字書ける様になった
菅谷青校の行軍なり。男女とも坂戸なり   以上


五月九日 火曜 晴
今年度のホウサウ植え
五時起床。今朝は基本体操だけして後は家へ帰る支度をした。それから執銃で銃剣術の防具を持って新校庭に向ふ
今日迄六日間訓練した査閲である。不動の姿勢より順にした。午后は午前の続きである。各学校の校長先生も来校あらせられる。そして閉会式を挙行。修了證を授与せらる。二時頃野本を出発、菅谷の学校へと一路向かった。青年校先生各指導員殿皆お喜びしてゐた。長島指導員殿の家へも行った   以上


五月十日 水曜 曇り
卵百十六
一週間のつかれがでてしまって今朝はかったるい。かごや。父が苗代へ堆肥を馬で運搬したので一駄。その後を行き手伝ひをした。ビク、一斗ザルは少し大きいのを作くり大沢伊三郎宅へやる。二円七〇銭の所十円あづかってきた。川島淀吉宅へ小さい方一つ。未だ銭はもらわない。午后吉野君と学校へ遊びに行った。半日よくあそんだ。守平より写真をもらう
蚕発生した


五月十二(一)日 木曜 晴
卵百十六 百十七 百十八
今日は朝から一日寝こんでしまった。
川島淀さんより二円五〇銭もらう。


五月十二日 金曜 曇
卵百十九
本日の気分は良好なり。でもぶらぶらしてゐた。祖父さんはかごや。父米の配給に行く。十日分六円八〇銭
今日は曇天である。明日は教練召集日。将軍沢の義重さん、草刈りかごの代十円五一銭
野村阿喜良宅より草刈りかご背負篭代九円六十五銭の所、八五銭の駄ちん
一日ぶらぶらしてゐた。   以上


五月十三日 土曜 晴
召集日 午前教(教練) 午后学科
もう気分は全快した。今日は大元気で学校へ向かふ。途中何も変り事はない。銃を持ち青校へ行く。朝礼を終して教練。本科二年の助手。執銃で色々の動作をした。二年生の動作はなってゐない
半日昼食を持って行かないので菅谷の家で米を借りて吉野栄一君とハンゴウ炊いた。午后身体検査。身長一、五九 五尺二・五 体重五二Kg 胸八〇・〇三   以上
家へきて草刈りかごのそこくみ


五月十四日 日曜 晴
卵百二〇
草刈りかごつくり。九つできたが一つのこしておいて八つをつくる
今日のはとてもよいかごだ。マッチ、砂糖の配給があった
草刈りかご。鎌形大工さん一つ、村田礼助宅へと金井精一郎宅へ二つ、将軍沢鯨井義重さんへ三つ
家の苗代つくり。種も播く。   以上
マッチの配給


五月十五日 月曜 晴
勤労奉仕 じいさん ハマ 本科四年
今朝マッチの配給を配ばる。本四の召集日。自転車で行く。今日は市ノ川の工事へ。勤労奉仕である。本四十五名で行く。杉山の娘が四人出てゐた。一番大いのが二十一、次の三人は十八であった。吉野君と初のトロへ着いた。それで二十一のしいちゃんと言ふ元気の良いのと一しょだ。一日の日が永い。でも皆一生懸命やって呉れた。仕事もはかどった。箒の柄を持ちにきた   以上


五月十六日 火曜 晴
卵百二十一 百二二
父とまきは草刈りに行った。まだ草もない様だ。一ト市へ使に行き染粉を
今日は目かいつくり。祖父さんが割るそばから組む。少しひねが厚い。
方々の人が草刈りかご持ちにきたが一つもできてゐない。神戸の人へ半ザル二つやる五円。目かい十三組み上げた。   以上


五月十七日 水曜 小雨
卵百二三 百二四
目かい作くり。十六できた。その中大きいのを一つつくる
そいつのふちまき。此の頃より雨が降りだした。霧である。力を入れたのを五つばかりつくった。山下彌一、村田嘉平、山下歌吉、大沢伊三郎へ二つゞつ。理昌宅と金井治平、新藤嘉助、金井菊治、各一つづつ。山下平二さんへも一つ。計十一円七〇銭。草刈りかごの立を割り始めた。
金井孝作さんへ二つ。   以上
大沢伊三郎宅二円七〇銭、二円二〇銭


五月十八日 木曜 小雨
卵百二五 百二六
雨降りなり。でも朝の中は降っていない
今朝は草刈りにいった。もう大勢出てゐる。根岸の小沢銀造宅の蚕かごのふち巻き。祖父さんと二人でまく
午后 祖父さん菅谷へ使に行き生石灰を買ふ。貯金を八拾円積む
三時半、自分小川町へ使に行ったが求める品は全然ない。下神戸の人草刈りかご代二つ分おいて行く。
一日中きり雨が降ってゐた   以上


五月十九日 金曜 小雨
卵百二七
時雨と言った様な天気である。父と月田橋の下の土手で草を刈る。昨日の朝より大へん多くあった。
草刈りかごをつくる。全部で十三底を組んだ。昼休みに父は社務所へセキ代の割当なり。
草刈りかごの腰を起こす。根岸銀造沢より四円。金井示夫宅より修繕一円
山下彌一さんより修繕五〇銭   以上


五月二〇日 土曜 雨
卵ナシ 召集日
教練召集日なり。八時過ぎて始めた
朝礼後、勤労作業隊ヘン成をした。自分は第一班である。吉野栄一、中島運竝君である。それから教練を実施した。
執銃各箇教練射撃姿勢をした
基本体操。自分が号令掛けをした。まだうまくない所がある。早昼にあがり、午后本科四年の勤労奉仕。運搬である。雨も此の作業中は止んでゐた。皆一生懸命した。去る十五日の勤労作業は良好と今朝ほめられた
   以上


五月二十一日 日曜 雨・夕方晴
卵百二八
月田橋の此方で草を刈っていると大沢くんがきた唐子の耕地へ行ってよい草を刈った。
草刈りかごのふちまき。祖父さんと二人でふちを折って自分が全部まいた。十三でき上がり長沢與之さんへ二つ、富岡周次郎さんへ二つ、金井猶次郎さんへも二つ、神戸の松田光朝さんへ二つ売る。目かい二つ作くり、新屋へ二つ。
富岡周次郎さんより七円十四銭の所拾円あづかってきた   以上


五月二十二日 月曜 晴
卵百二九 百三〇 召集日
召集日なり。始まる前に松山町へ使に行った。下田先生に相(会)った。
米の配給
八時過ぎに始めた。自分と吉野、中島は使歩るきをした。帰ってきて石運び。三人でした。
午后は縄ないをした。うまく行かぬわい。タコの綱引き。よい日であった。皆一生懸命にやった。一昨日より早く終りとした。   以上


五月二十三日 火曜 晴
根岸耕地で草刈りをした。あまりない。米ザルのふちまきと肥引きざるの外を組んだ。二つ。それのふちまき。
小さいかごを始めた。縦を割った。
五つできた。
五つ作くり上げた。金井孝作さんへ二つ、山下歌吉さんへ一つ、新藤嘉助、金井示夫さんへ一つゞつ
根岸藤五郎さんへ肥引きざる二つ   以上


五月二十四日 水曜 晴
平沢の家へ祖父さんと二人で篭屋に行った。自分は先づ蚕かごのふちまきをした
午前中とても良い日だった。午后も同じくよい日であった。
祖父さんは鶏篭を始めた
蚕かご二十枚ばかり巻いた。其の他草刈りかご等数箇まいた。
一日で終り。今迄の借金はこれで取消しとなる。   以上
隣組常会を開く


五月二十五日 木曜 晴
大沢八三郎宅へ二人で行く
昨夜は隣組常会を開く。国債の割当をした。自分齋藤君の家へ行く。
今日は大沢八三郎宅へ祖父さんと二人でかごやに行った。草刈りかご作くりである。四つつくる。とてもしっかりしたかごができた。午后四時頃終った
家へ来て物置き片付けの手伝ひをした。子守りをしながら川へ遊びに行って魚を二くしつってきた   以上


五月二十六日 金曜 半晴・曇
まきと二人で耕地へ草刈りに行った。草の無い事おびたゞしい
草刈りかごつくり
七つ組み五つ出来上がり、将軍沢福島金造宅へ二つ
根岸の小沢與四郎さんへ三つ。計五つできた。父は指導員研究会で野本村へ   以上


五月二十七日 土曜 雨
卵百三一 百三二 召集日
召集日なり。本日は雨降りだ。七時半始めが八時過ぎて始めた。作業班ニ着いての事、又手旗信号の図解を買ふ。十銭。十時頃終った
信用組合へ隣組の貯金をつむだ。
午后かごやの手伝ひ
草刈りかごつくり。七つ腰をおこした
三つ廻しを入れた。唐子へ草刈りかご二つ   以上


五月二十八日 日曜 晴
卵百三三 一三四
月田橋の向ふ河原で草刈りをした
とてもほきてゐた。早く刈れた
草刈りかごの廻しを入れる。今日も七つでき上がる
又草刈りかごを始めた。三つ組んで将軍沢の忍田忠次郎さんへ四つ 十四円二十八銭
富岡茂八宅へ三つ、メカイ一つ、計八円十銭
今日は朝からとてもよい天気であった   以上
明日は午后学校。


五月二十九日 月曜 晴
召集日
今朝はとても草があったので早く刈れた。草刈りかごつくり。
今日は六つできた。午前中で自分は午后召集日なので自転車で行く。隣組へ日本婦人の雑誌を廻したりしてゐたので学校の集合時間より三〇分遅れたので他生徒は一人もゐなかった。
でも松山へ行って一しょになった。一人前四枚づつ布団を運ぶ。一回で終る。
草刈りかご根岸福島良作さんへ三つ、金井好吉さんへ二つ。野口臣吉さんへ一つ


五月三十日 火曜 曇
卵一三五 一三六
坊の上で草刈り。
草刈りかごつくり今日は四つ。
将軍沢前山へ二つ
父は肥出し
少し小さいかごを始て五つ下を組む。
今夜手旗の練習をする
一日中曇ってもゐなかったが寒い。   以上


五月三十一日 水曜 晴
卵一三七 一三八
耕地で草刈り。少しはあった
草刈りかごの小さい奴をつくる
三つ普通の奴二つ
金井勇次郎さんへ小さいの一つ
富岡周次郎さんへ一つ。齋藤とらさんにも一つ   以上
力造さんへ草刈りかご二つ、目かご一つ

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