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第6巻【近世・近代・現代編】- 第6章:くらし

第3節:日記

冨岡寅吉日記

昭和19年(1944)4月


四月一日 土曜 晴・静かな日
発信 吉野 金井 富岡
月ノ輪の小引きさんがきて呉れた。親子で。自分は菅谷へ米の配給。二七瓩一六〇、代九円三八銭也。
父は馬を見せに菅谷役場の方へ行く。ナキリミ午前中に二枚。午后つくり上げる。祖父さんは目かいのたてを割る。夕方底を組む。七つ分できた
蛇かごの代をもらう   以上
手間百十八円八〇銭 其の他五円二〇銭   計一二四円


四月二日 日曜 雨
卵七四 七五
小引きさん二人できてくれた。
朝から雨降り模様なり
小引きさん物置へは入る
自分と祖父さんは目かいつくり
七つつくる
祖父さんは午后玉川一ト市歯科ゐへ行く。
目かいのふちまき七つ
ナキリミ五枚出る
目かい四つでる


四月三日 月曜 晴
卵七六 発信 守平
昨夜は守平、お客に来ると言ふので嵐山駅迄迎えに行き終レイ迄待ったがこない。雨はよく降ってゐた。一人で菅谷から帰ってくるのはなんとなく淋しい。
今日は友達が大変ゐてよく面白く遊んだ。菅谷へも使に行く。祖父さんかごやの寄合へ。今日より役員なり。
小びきさん、一人できた


四月四日 火曜 晴
鎌形の小林大工の家へ竹を持ちに祖父さんと二人で行く。十時頃家へ帰ってきた。全部で八円五〇銭の所、草刈りかご一つやるので五円やる。
草刈りかごの縦を割る
午后三時二十八分で野口宗平君帰還した。嵐山駅迄迎う。
将軍沢へナキリミ一枚持って行く。
岡野先生教へ子の家を訪問   以上


四月五日 水曜 晴
卵七七 七八 守平へ小荷物
昨日荷作くりした小荷物を丸通へ頼みに行った 一円
草刈りかごを組む。九つ。廻しを入れる。蛇かごより骨が折れる
一日中。全部廻しがは入って淵を折る。少し南風があって寒い。
草刈りかごの縦七尺五寸ヒネ幅約五分。底のサシ渡し尺五寸。下廻しの直径一尺七寸五分。高さ二尺   以上


四月六日 木曜 晴
卵七九 八〇 吉野より
草刈りかごの淵巻き。九つ出来上がり。将軍沢の鯨井鉄さんへ六つ。
同じく忍田寛治宅へ三つやる
鯨井軍次宅へ目かい二つ。神戸和三さんへナキリミ一枚
午休みに遠山水車へ使に行く。
メンを十本持ってきた
小びきさんも今日で終った。手間代は一人五円、計十一人の所、五十五円より米代十円引く。計四十五円拂う。


四月七日 金曜 くもり後晴
青年学校の勤労奉仕。国民校に集合したが集りが悪い。吉野栄一君と自転車で志賀へ向ふ。国民校生徒も六年以上参賀【加】。仕事の能率は上がった。午后は吉野君と尺を分けるので昼休みに一腹(服)やって始めた。
三時頃も沢渡と三人で一腹してゐたら、他の生徒は皆終って集合してゐた。赤面の到り   以上


四月八日 土曜 雨
卵八一 八二
雨降り天気なり。
草刈りかごのふちを巻いた。一つ
ナキリミ作くりなり。二つ。午前中に編み、午后フチをつけた
茶碗かご二つでき上がり。一つ竹本や。ナキリミ二枚、金井勝五郎宅へ。
一日中雨が降ってゐた
金井示夫方(実行組合長)へ、こもを持って行く。山下庫次郎方より二枚借りた   以上


四月九日 日曜 雨
卵八三 八四
今日も雨降り天気なり。物置きで目かいつくり。大きい奴を四つつくる。
午后ふちまき
吉野君の父君、家へ少しの用があってきた。隆次へ五〇銭呉れた。
草刈りかごをつくる。四つ組んだが一つは形におく
三つ廻しを入れた。
根岸藤五郎宅へ茶ワンかご一つくれた。雨も止んだが寒い。


四月十日 月曜 晴
卵八五 青校入学式
青年学校入学式である。早く支度をして床屋へ寄って行く。五〇銭。菅谷の中で一時間ばかりあたってゐた。入学式をする前に新しい指導員殿が紹介された。志賀の根岸晧兵長、将軍沢の金子幾太郎伍長殿。担任先生下田先生、担任指導員は誰だか未だ言はぬ。少し休憩してからきめた。本四は長島軍曹殿である。自分はうれしくてならぬ。指導員殿の話。大いに張切ること。自分も今年度も級長命ぜらる。
糸配給


四月十一日 火曜 半晴・寒い
卵八六 八七
今日も曇ってゐる。味噌こしつくり。
蛇かごつくりをした。上がりには手にくっついてしまふ。今日も寒い。
六つできあがり、あと目かい一つ、草刈りかごのふちまき二つ
味噌こしのあじろは六手。青皮八本を中央に井にゐれる   以上


四月十二日 水曜 晴
卵八八 八九
菅谷富沢屋根やへ草刈りかご、目かい、みそこし。他の家へもやる。菅谷の家へミソコシを呉れて煙草二箱もらった。米の配給三割減。背負いかごつくり。
午后忠魂祠の前にて合祠(祀)祭並に慰霊祭*1あり。此れに参加。出席はよくない
一時始めが二時始めなので吉野君と一服してゐた。
木闇さんへズボンを頼んだ

*1:菅谷村忠魂祠合祀慰霊祭執行。神官・僧侶十人列席。


四月十三日 木曜 くもり
卵九〇
朝作くりに将軍沢へ買ったまき(薪)を持ちに父と二人で行く
朝食後も運び全部で三車運般(搬)計七〇パ。父は役場へ使に行く。自分と祖父さんで前の大麦畠の作切り。祖父さんは背負かご。午后大田のつぶて打ち。とてもよくこわれる。終りて大麦の作切り。父と祖母と三人でする。夕方雨模様だが大した事もなさそうだ。
青年団で郷土勇士へ慰問文を


四月十四日 水(金)曜 晴
卵九一 受信 富岡守平
大蔵青年団の入団式兼常会あり。十時近くなって始めた。入団者男三名女一名なり。皆山下の姓も粋(イキ)である*1。正午近くなって終る。団員皆郷土勇士へ慰問文を。自分は野口忠太郎さんへ。午后は新藤君、山下君と大蔵河原へ遊びに行き、甘藷を御馳歩になった。根岸もとさん*2の家の人なり。もとちゃんははづかしげであった。夕方迄よく遊べた
金井廣吉さんの祖母へ、二〇円   以上

*1:山下義明、山下暉夫、山下福三、山下マサ子。
*2:談)根岸茂夫さんの妹。筆者の一級下。


四月十五日 土曜 晴
卵九二 九三
教練召集。木銃の動作をする、少し。
其の前敬の動作をうんとした
半日
午后父はマッチ、石ケンの配給受けた
田の小麦の作く切り
日没と同じごろ全部切り終る   以上


四月十六日 日曜 晴・風
卵九四 九五
背負ひかごのふちまき、祖父さん
自分は草刈りかごを三つ組む
ふちまき 祖母さん、菅谷へ
小さい草刈りかご一つつくる
将軍沢岡本君の家へ草刈りかご三つ、大目かい二つ、小一つやり十四円二十三銭 十五円の所一ぱいこ
岡本正三氏宅へ背負いかご
スボンができてきた。とてもよい


四月十七日 月曜 晴
卵九六
今日は蚕かごつくりである。横を割る幅は約三分を基準とする。だいたいのはよく割れる。午后祖父さんは一ト市の歯ゐ者へ。
縦を割りかごを一枚組んでみた。よろし
祖母、父はいも植え、肥引き
南風が寒いので早くしまう。
山下與吉さんへ草刈りかご小一つ
木闇さんへ背負いかご一つ
ズボンをぬってきて呉れた。   以上


四月十八日 火曜 晴
発信 守平 卵九七
朝作くりにまき割り。十束割る
蚕かごつくり四枚組み。十時半頃昼を喰って車を引いて学校に向ふ。唐子の熊治宅へ背負ひかごをなをして二つ持って行った。畠山の博労さん一寸とよる。
午后、勤労奉仕は瓦運搬。車でない者は
朝から午后も大仕事ができて校長先生以下諸先生は喜こんでゐる様だ。あすの分まで働いたので明日は休みなり


四月十九日 水曜 雨
卵九八
今朝方より雨降りの天気なり。
蚕かごつくり、午前中六枚組む。
昼休みに養蚕組合より桑原豆が反当り二升三合配給になり、田豆反当り二合きた。計一斗なり。
一日中雨降りなり。かご十七枚組めた。
受信富岡理昌
 中支派遣第一四四野戦郵便局気付呂三八八七部隊
   以上


四月二十日 木曜 晴
卵九九
昨日の雨もからりと晴れて今朝の気持はとてもよい。蚕かご組み。今日九枚できる。昼休みに納税切符を配る。
父は山仕事、祖母は富岡もとさんへ餞別に行く。
かごのふち巻き。二人で十七枚巻けた。夕方とてもぬくとい 以上
発信 鯨井重吉 富岡理昌


四月二十一日 金曜 くもり・夕立・大粒の雨
富岡もとさん満州へ行くので父嵐山駅迄送くる。女子青年団員も。男子は送らない。蚕かごの淵巻き。休み迄に全部巻き終る。計二十六枚
草刈りかごのたてを割る。細い竹なので皆三本たて大へん割れた。父は山仕事。三時休み頃遠山水車へメン持ちに行き小麦を約二斗持って行く。
夜夕立が鳴る。大粒の雨がすごい音をたててまばらに降る 以上


四月二十二日 土曜 半晴
卵 卵一〇〇
雨も止む。まき割り
朝食後米の配給何時も通り二七K一六〇、九円三十七銭なり
金井栄一さん蚕かごを持ちにきた。代、草刈りかご一つ、蚕かご二六枚、三十六円五十七銭。
草刈りかごつくり。午前中に組み上げる。八つ。根岸の小沢銀造さんへ三つやる
今日も雨ぽい天気である
祖父さん午后一ト市歯科ゐへ
父山仕事   以上


四月二十三日 日曜 曇天・雨
卵百一
父朝つくりに役場へ使に行く。
大蔵の衛生は二十七日だそうで今日はすゝ掃きをする
朝の中はとてもよい日だったが十時頃より空悪く雨も降ってきてしまった。でも午前中終った。きれいになった。午后草刈りかごのふちまき。三つ
草刈りかごのたてを割る   以上
受信 吉野 野口


四月二十四日 月曜 晴
召集日 卵一〇二
召集日なり。学科。校長先生、修公。二時下田先生、ローマ字を少し教はる
三時木村先生、職業科馬鈴薯。
午后 昼休みに役場へ使に行く。
教練、執銃にして不動の姿勢。
擔へ銃、行進間の諸動作
終りに吉野、中島君と銃剣術をやった。皆うまい。
祖父さん、菅谷へ使に行く。貯金六〇円
成沢力造さんへ麦わら五〇パかえす


四月二十五日 火曜 雨
卵一〇三 一〇四 受信 守平
今日は将軍沢の向ふ山より根刈り運び。一八〇束を父、小生、まきと三人で背負ひ出し一回に五束乃至六束なり。終り切らぬ中に雨が降ってきてしまった。でも全部運びきる。車で家へ持って来る。
雨も小止となるが、午后二車目に降り出し夕方迄止まぬ
成沢力造方へ昨日五〇束、今日二〇束、麦からをなす。
背負ひかごつくり。   以上


四月二十六日 水曜 晴
卵一〇五 一〇六
背負ひ篭作くり。先に作くったのは細いやつ。丈一尺八寸五分、割合によくできた。次のは幅の広いやつ。口の下が少しふくらんだ半ザルをつくる。五斗入ザマの廻りを入れる。だいたいよろし。二つ組み上げる。今日も大風があり雨模様だったが夕方はよく晴れて風がある。父はまき割り。今夜は野口臣吉宅の御祝儀なり   以上


四月二十七日 木曜 晴
召集日
青年学校勤労奉仕なり。背負ひはしごと叺を持って行く。八時開始が九時過ぎて始まる。砂利運搬。少しよう気を喰った。
午后 新教官小林少尉殿*1の紹介式あり。訓練。第一軍人勅諭の奉唱。第二教練は戦闘を基準とする。以上二つなり。それより国民学校々庭にて教練をする。銃で射撃姿勢。終りて長島、久留田、松本、三指導員殿と某、吉野、沢渡、中島君と銃剣術をする。
中中面白いわい

*1:鎌形の小林才治少尉。


四月二十八日 金曜 雨
卵一〇七
朝の中より雨降りだ。篭箕のふちをつける二つ。くまでなをし。一本なをし。祖父さんは新らしいのを二本。なをし一本つくる
昼休みに菅谷信用組合へ隣組の貯金を頼みに行く。途中彼女と合ふ。それから家へきて針金の網をほどす。中々手間取れる。
一日中雨降りだった。鈴木さんへ背負ひかご一つ   以上


四月二十九日 土曜 晴
卵一〇七 一〇八 召集日 天長節
昨日の雨も今朝はからりと晴れてよき日なり。学校にて天長節の式をした。八時開始終りて青校内務規定を教はる。教練を少し。本四は勅諭の奉読をした
其の前、野本へ特別訓練に行くものをきめた。権田さん、加藤さん、高崎さんと自分の四名が選ばれた。家へ帰りに銃剣背嚢を借りてきた。村葬の花かごをつくった 三組
唐子の鍛冶清さんへくまで二本、かごみ二つ、半ざる一つ。十円十五銭だった   以上


四月三十日 日曜 晴・夕立雨
草刈りかごの腰たて廻しを入れた。
六つできた。父は肥料配給なので実行組合長宅へ
午后夕立、雨大風あり。かごのふちまき六つ。
ナキリミを始めた。二つつくる。
野村宅へ草刈りかご二つ七円十四銭。いっちゃんに便せんを数十枚もらう   以上

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