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第6巻【近世・近代・現代編】- 第6章:くらし

第3節:日記

冨岡寅吉日記

昭和19年(1944)2月


二月一日 火曜 晴
卵二十六
新藤純平君の入営*1を嵐山駅頭迄送くる。八時四十六分発。
家へきて印篭つくり。
午后山仕事の手伝ひに行き車引き 二車引く。
今年は山仕事も始めてなので腹がへるわい 大工の家へ印篭一つ。柴田藤五郎方へも一つ。   以上

*1:大蔵新藤純平、満二九九部隊入営。


二月二日 水曜 晴
卵二十七・二十八
今日は学科召集日。第一時校長先生、第二時下田先生。午前終る。
午后木村先生農業。
第4時普通学科数学。とても面白い。岡本将夫君と一つ机にて。後尾の沢渡、吉野君と面白く遊ぶ。
朝づくりのマッチの配給をくばる。   以上


二月三日 木曜 曇・雪
卵二十九
雪がちらついてゐる。本四の吉野君が孝平さんからきた便りを見せによった。
印篭のふちをまく。
草刈りかごのたてを割る。
午后六つ組む。
雪が降ったり止んだりしてゐる
父山仕事。   以上


二月四日 金曜 小雨(春雨)
卵三十
草刈りかごの廻りを入れる。六つ。
ふち巻き。吉野孝平さんと柴田恭平さんへ発信す。午前中六つつくり上げ金井梅治方へ一つもって行った。大字の常会へ父行く。事のまとまらぬ常会だそうだ。
午后みやを連れて川島の鬼鎮神社へ行きお参りをしてよい年を取ってきた
夜は鎌形にてかごやの相談があり祖父さん行く 以上


二月五日 土曜 曇・小雨
卵三十一・三十二
昨夜は鎌形に籠やの寄合があった。
印篭のふちまき一つ。
味噌こしの下を組む 七つ
みそこしつくり 五つ組み上げる。
菅谷浜野七平宅へくまで一本目かい一つ
父縄ない。
午前中は雨降りであったが午后止む


二月六日 日曜 晴
卵三十三
将軍沢の鯨井亀吉【義】君の志願で入営するのを嵐山駅迄送る。菅谷村より五名*1、農士の青木君も加ふ。七時四十六分発
味噌こしつくり。組み上げ 一斗ザるの底を組む。七手半。底は八寸。味ソコシハ五寸。六手。
祖父さん二斗ザルを始めた。
味噌こしつくり上げる。神戸の家へ一つ。後メン上げショウギ、目カイ、ミソコシ各一つ。

*1:菅谷中島芳造、将軍沢鯨井亀義(きよし)、志賀内田唯助、平沢村田嘉一、横須賀海兵団入営。


二月七日 月曜 晴
卵三十五 発信 富岡守平 受信 吉野孝平、守平
昨夜守平へ送る小包をこしらへた。それを今朝通運に頼む七〇銭。まきの債券を郵便局にあづけた。父は山仕である。
二斗ザルの側を廻る。少し廣がりすぎた。
テン引き貯金の通帳を軍造さんに頼む。今日も味噌こしを三つつくる。富岡元治さんへ一つ
一斗ザル、二斗ザルのふちまき。   以上


二月八日 火曜 晴
卵三十六・三十七 発信 吉野孝平
味噌こしのフチ巻きを二つ次に半ザルをつくる。
午后ふち巻き。唐子へくまで二本
風が吹いてゐる。昨日金井義雄さんに召集令がきた
父夜餞別に行く 一円
菅谷松浦へ半ザル一ツ、ミソコシ一ツ 一円九〇銭
富岡暉三君 御祝儀下里へ   以上


二月九日 水曜 晴
卵三十八
目かいを組みそのふちまき。
草刈りかごの縦を割る 二つ分
午前中草刈りかごつくり
二時四十六分発にて出征する金井少尉殿を社前より嵐山駅迄送くる*1
草刈りかごのふちまき
明日菓子の配給なり
金井示夫方へ印篭一つ、草刈りかご二つ、一斗ザル、二斗ザル各一つ
   以上

*1:大蔵金井義雄、東部八三部隊応召。一九四五(昭和二〇)年三月二二日中国湖北省で戦死。


二月十日 木曜 晴
卵三十九
隣組長として隣組の菓子を配給受けに行く。二つから三つ迄計三十四人、六円八〇銭
家へ配ってくる。
草刈りかご一つ作くり竹本やの嫁へ、目かい二つつくる。大を菅谷山岸トラヤ、ハギ原へ一つヅツ、一つ一円二〇銭
将軍沢の家と鯨井鉄さんの家*1へ一つヅツ、ミソコシをやる。一つ七〇銭。
父、祖母、山仕事。   以上

*1:鯨井鉄次郎方。


二月十一日 金曜 晴
卵四〇・四十一 紀元節
召集日。青校にて紀元節の式を挙行す。
国民校へきて、銃器室の整理、自分も手伝ひをする。午前中かゝった
午后、内田元治指導員殿と別れの式を国民校にて終りて嵐山駅迄送くる。停車場のホームで大元気なクワン送の歌をやる*1。一時四十六分発
車引き。夕方、山より家迄   以上

*1:鎌形内田元治、東部六二部隊応召。一九四四(昭和一九)年一一月一六日「中支方面」で戦病死。


二月十二日 土曜 曇
ナキリミ作くり。
その前背負かごのふちを折る。小川へ藁を持って行くので山へ行ってゐる父を迎えに行く。
今日はくもってゐて寒い
午前中ナキリミを二枚つくる。
午后三時四十六分発に出征する忍田稔男君*1を将軍沢の神社より嵐山駅迄送くる。
将軍沢鯨井儀重方へへ背負かご一つ   以上

*1:将軍沢忍田峰雄、東部八三部隊入営。


二月十三日 日曜 晴
卵四十二・四十三
ナキリミ作つ(く)りをしてゐると吉田の箒やさんが箒の柄を買いにきた。全部で二百十一本。十円〇五銭。草刈りかご二つやる。五円三〇銭。十時休み迄かゝった。
午后もナキリミつくり
八枚できた。昨日から。
櫻皮をさす
明日富岡理昌君出征する   以上


二月十四日 月曜 晴
卵四十四・四十五 召集日
五時に起きた。そして六時十五分前ラッパを吹く。神社へ集合、六時半富岡理昌君の出征*1を嵐山駅迄送くる。
九時より教練。大蔵、鎌形耕地へきて分隊の散開法。五番以下右、一、二、三、四、五、六、七、八、九、十と言う、順に。後半分左。教官殿よりこまかい点を教る。午前で終り午后吉野栄一君、勇作、農士校の市川君と四人で銃剣道をした。自分が一番何をしても下手だ。蛇かご作くりを頼みにきた。五間かご一本。一間五〇銭

*1:大蔵富岡理昌、東京第一陸軍病院応召。


二月十五日 火曜 半晴くもり
今日もナキリミつくり。始めのはうまく行った。
その中に悪戸の皿になってしまったのがある。ちゃうどふちがあったからだ。櫻皮をさす。
祖父さんは昨日鎌形へ供出の篭を持って行った。午前中は暖かったが午后曇り始めて大風となり寒い事おびただしい。
祖母、父、山仕事なり。   以上


二月十六日 水曜 晴
卵四十六・四十七
ナキリミつくり
今日はふちを針金でしばった。
よくしばれる。
父、祖母山仕事。
祖父さんと二人で一日に九枚しばる。
金井勇次郎さんかごの手金六円置く。
後櫻皮を刺す。
今日はとてもさむい日だ。


二月十七日 木曜 晴
ナキリミつくり
半日
午后草刈りかご。 二つ
祖父さん、高坂村へ付き目の薬をもらいに行く。
菅谷の家の使ひなり   以上


二月十八日 金曜 曇・雪
卵四十八
草作くりにチリ紙を配って歩るく。
朝食後菅谷へ使に行く。自転車やへナキリミ二枚、肉やへ一枚、いづみや*1でシャツの配給。自転車をなをしてもらう。バラ(ル)ブも買う。根岸妙宅へ木ノ葉入れかご一つ、一円二〇銭
岡松屋へ目かい大小一つゞつ、二円五〇銭
みそこしを一つ進上する
夕方よりとても寒く雪降り天気と化す。   以上

*1:菅谷の眞澤商店。


二月十九日 土曜 晴
昨夜は雪降りなり。でも幾何も積らない。
今日は教練召集日なり。新藤岩治君と二人で国民校へ行った。長島指導員殿しか来なかった。三年生三名、吉野、小沢と三人で銃剣術をした。未だうまくできぬ
将軍沢の鯨井重吉君の入営を嵐山駅迄送くる。農士学校より出征兵士一人元気で行った*1
目かいのふちまき。   以上

*1:将軍沢鯨井重吉防府海軍通信学校入営。農士学校青木一清(滋賀県出身)。


二月二十日 日曜 晴
卵四十九
唐子の床やで二時間位手間取った。
十一時頃平沢の家へ篭を持って行く。
そして昼めしをもらって喰ってきた。
午后、金井宣久君の家で二人で色々の話にもてた。又根岸の観音様である
よい日なので参ケイ人も大多数である。夕方岡本七五三、忍田啓助君等と月田橋の方より帰ってきた。下田先生も後から現れにけり   以上
受信金井、富岡二君


二月二十一日 月曜 晴
受信 吉野勇作君
昨夜は岡本七五三君、市ノ川の新井君と三人で遊んで歩き、氷川神社の向ふの部屋へ泊ってしまった*1。家の人達の心配甚だ大と聞く。大なる親不孝也と今にして後悔するものなり。
午后味噌こし三つ作くり上げる。今日ナキリミ三枚出る。味噌こし二つでる。
将軍沢へ使に行く。岡本正三氏宅へしみしかご*2一つ。鯨井儀重宅へも一つ。   以上

*1:談)唐子の氷川神社辺の工事のための小屋。
*2:おしめかご。


二月二十二日 火曜 晴
発信:吉野
隣組へ納税のキップを配ばる。
ナキリミつくり。一番始めのはとても形よくできた。
三枚目のは少し作くると昼めしとなる。午后学校へ行った。銃を三挺なをした気持はとてもうれしいものである
午后五時二十八分着にて欠川波治君*1、故金井福治君*2の英霊を嵐山駅で迎へた。ラッパを吹く

*1:遠山欠川波治、一九四三(昭和一八)年八月七日ソロモン諸島で戦死。
*2:大蔵金井福治、一九四三(昭和一八)年八月七日ソロモン諸島で戦死。


二月二十三日 水曜 晴
昨夜は野口由次郎さんの御祝儀なり。いっちゃんの家で皆とあそぶ
ナキリミつくり。父、祖母さんは大工の家の御祝儀へ行く。隣組の人が納税をもってきた。人口調査なり。
昼休みに富岡茂八方へ全部の納税をもって行く。
砂糖の配給一円四十二銭
金井一郎君の餞別に行く。
第二 一八九円五五 一八円三〇   以上


二月二十四日 木曜 くもり
昨夜は富岡二三郎君の御祝儀だった。
父は一元に南へ行く。祖母さんも行った。
今朝金井一郎君の御入営を嵐山駅頭迄送くる。遠山からも一人高橋重治君*1
十時頃より月田橋の下の河原で祖父さんは蛇篭つくりをした。
午前中棚作くり。午后、竹割り。とてもおもしろくよく割れる
祖父さん一丈のかごを一本つくる。
蛇篭二本 丈十尺

*1:大蔵金井一郎、遠山高橋重雄、東部六部隊入営。


二月二十五日 金曜 晴・風寒し
受 吉野勇作 召集日
召集日。新藤君と学校へ行った。今日は分会員の銃剣術があった。朝から大風である。ほこりがひどい。約一時間射撃動作をした。うまくない処がる。十時少し過ぎて高一年の先生に頼まれた孟宗竹を切りに行った。
骨を折って一本切る。祖父さん河原へ
自分も午后仕事に行く。風が大風で寒い。早上がり。   以上
受信 吉野勇作
蛇篭四本


二月二十六日 土曜 晴
発 吉野勇作 孝平
月田橋の下へ蛇篭つくり。風があって寒いので葉がらのかげでした
十時過ぎ暖いのでジュバンを抜(脱)いで仕事をした
祖父さんは組手。午前中三本午后三本計六本
夕方遅く迄した
父菅谷の組合の発動機へ
又組合の貯金も   以上
蛇篭六本


二月二十七日 日曜 晴
静かな日 受 吉野勇作
今日も蛇かごつくり。静かな日だ
風よせのない所で竹を割る。
よく割れる。
午前中三本。自分も一本つくる。
うまくない所がある
午后も一本組む。少しはよくできた。今日は一日に七本組めた。
父は山仕事   以上
今日も吉野君より便りあり
蛇篭七本


二月二十八日 月曜 晴
大風あり 発 吉野勇作
昨晩は吉野君へ便りを書いた。
河原の仕事も午前中は暖い。
蛇篭組みをした。午前三本と少し午后一本と少し。計五本を自分がくんだ。
祖父さんは一本組む。午過ぎ大風があった。今年になって始めての大風なり。
夕方早じまい   以上
蛇かご六本


二月二十九日 火曜 晴
卵五〇
昨日竹を割って置いたので今日は仕事もはかどりそうだ。午前中に四本組めた。少し北風がある
一丈のかごに廻しが十七廻り位でちょうどよい。今日玉川へ運送。二台で七本づつ計十四本運ぶ。
父は山仕事なり。
今夜は家の者の夜戒(警)なり。
蛇篭九本

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