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第6巻【近世・近代・現代編】- 第6章:くらし

第3節:日記

冨岡寅吉日記

昭和18年(1943)11月


十一月一日 月曜 晴
今日より早起き会が始まった。自分も出席した。他の団員も皆出席した。朝作くりになわない。
明日衛生なので家の中のごみはらい。祖父さんは小川へかごを持ちに行く。公定カ格をつけた。今迄よりも皆高くなった。自分松山へ行く。


十一月二日 火曜 晴
早起き会。ラッパの音が聞えない。今日は清ケツ*1である。
昼の時にきた。午后、前の向ふの庭をきれいにした。
ヒマの皮むきをした。夕立。約二時間子守りをして見た。
中々骨が折れるわい。

*1:秋季清潔法実施。


十一月三日 水曜 晴
早起き会。村田君休む。明治節の式に参加。今年の演習に参加者をきめた。吉野君も行く。
菅谷の良之助さん昨夜帰った。兵長。祖父さん遠山より平沢へ廻ってきき。自分は甘藷掘りへ行き、さつまの土おとしをした。
軍造さんへ貳拾円


十一月四日 木曜 晴
祖父さんは橋番に行く。はしかけ終る。
早起き会出席後すぐ学校に行った。五時半に実習地前に集合した。三年生の出席もなから良好なり。二年と一しょに小麦の播種をした。木村先生の指図である。子守り。午后甘藷掘りの手伝ひ。   以上


十一月五日 金曜 晴
早起き会に出席する。村田君休む。
金井君に便りをだす。朝食後、甘藷掘り。割合に仕事ができた。午に早上がり。向徳寺より竹を拾八ワ引いてきた。後押し。
午后も甘藷掘り。   以上
良之助君お客にきた。


十一月六日 土曜 晴
早起き会出席する。しまのお宮参り。赤飯をくばる。
甘藷掘りに行った。午前中は仕事しない。午后、父と祖父は甘藷しまい。床をなほす。
甘藷掘り。一生懸命した。祖父さん竹切り。富岡茂八方より
富岡茂八方より熊手の柄竹七束拾参円


十一月七日 日曜 晴
早起き会に出席。今朝はぬくとい。
昨夜はいの九(亥の子)様、今夜は十日夜なり。朝食後、甘藷掘り。午前中は一生懸命やった。本陣畠が掘り終る。供出の沖縄を三俵掘った。鍛冶屋の畠を掘り始めた。約五俵。坊ノ上三号へしまっておいた。日中は大風であったが夜は止んだ。遠山水車の正三郎氏、卵を廿箇持ってきて呉れた。


十一月八日 月曜 晴
早起き会に出席す。昨夜は二本木座へ映画見に行き、吉野君と一しょになった。帰りも一しょ。十時半分れた。鍛冶屋畠(坊ノ上二号)の甘藷掘り。昨日は寒かったが今日はそのぶに増し暖い様だ。仕事の能率も上がる。
午后も同じ畠である。大変掘れた。


十一月九日 火曜 雨・半曇
昨夜は少し雨が降ってゐた。今朝も雨だ。早起き会に出席す。出席率非常に悪かった。菅谷で棒電気を求む。午休みに塩の配給受けに行く。二十余貫匁六円九拾六銭也。するめの配給拾五枚、計七十五銭。菓子の配給一人二〇銭也。吉沢三郎君無言の帰還なさる。迎ふ。   以上
唐子の人かご代の手金として五円置いて行く。


十一月十日 水曜 晴
早起き会出席す。新聞配達である。朝食後甘藷掘りに行かない。父松山へ行く。藁くびりをした。午后甘藷掘り、四人でやる。鍛冶屋畠終る。
今夜は青年団の常会に出席する。   以上


十一月十一日 木曜 晴
昨夜は常会であった。色々の話がでた。小生は常会中、へをひり非常に恥じた。以後気を着けるべし。午前中、甘藷つるを背戸の山へかけたり藁にゅうかけもした。午后、さといも掘り。自分はうまく仕事ができない。沖縄のさつまほりをした。   以上


十一月十二日 金曜 晴
受信 野村修彦君
早起き会に出席す。朝食後、沖縄の畠を掘る。掘り終り落花生を掘ったがちっともなってゐない。
午后稲刈り。小生はだめだ。祖父、母、父と三人。自分はさつま切り干しをしまう。隆次の写生のづがをかいた。今夜も青団の常会をやる。


十一月十三日 土曜 晴
早起き会に出席す。
西原の畠の麦まきをする。午前中。坊ノ上一号の畠の整地をした。
午后一号をまく。小生は肥料引きをした。
二号畠の整地をした。   以上
受信 金井仲次郎


十一月十四日 日曜 晴
発信 野村君
早起き会に出席す。今朝は八人しかきない。坊の上二号の畠の麦播き。肥料ひきをした。昨日よりもよい日だ。三号の畠も播く。午后少しやった。畠の麦播き終り、田の稲刈りに行き、六畝の田を刈り始めて大変刈った   以上
唐子新井作平方かごを二ツたのむ 木ノ葉


十一月十五日 月曜 晴
昨夜は野村、山下の両君と面白くあそんだ。早起き会に出席す。菅谷村体力章検定が施行された。自分は参加しない。吉野君と二人で農士校市川君にりんごを御馳走になった。吉野君、全部が中級となる。女子部は半日、男女部、日落まで

菅谷村男女体力章検定日


十一月十六日 火曜 曇
早起き会に出席す。昨夜は小雨あり。体力章特種検定日。皇軍(八瓩キログラムを負荷二十四粁)である。自分は休む。大田の稲刈り。刈り切る。新田も刈る。七畝終る。三畝を刈り始めた。なごを多さん取った。一日中くもり日なり


十一月十七日 水曜 晴
早起き会に出席す。今朝はとてもぬくとい。祖父さんと二人で新田のいね刈りに行く。いなご取りもした。大変とった。午前中にいね刈り切り、午后曽利町の大麦田へ麦をまく。夕荷十七束上げた。
ヱビス講也。戦陣訓のアンショウをしなくもよし。


十一月十八日 木曜 曇
早起き会に出席す。今朝もくもっていてぬくとい。田の麦播き、土かけ。稲をかえして一車上げた。午后いね上げ。父と祖父三と車引き。小生はいねまるき。曽利町は全部上げ終った。
夕方小雨あり。割合にぬくといわい   以上


十一月十九日 金曜 晴・風
早起き会に出席す。朝の中はぬくとい。曽利町の麦まき。少しまいていると菅谷の家の一さんが手伝ひにきてくれた。とてもはかどる。苗代のけつへもまく(小麦)。午前中寒い。大田のいねを上げた。一車。一さん明日もきてくれる
手伝ひ 山下松五郎宅孫一人きてくれた。


十一月二十日 土曜 晴
受信 富岡敏治 県下中等青年校聨合演習
早起き会に出席す。寒くなった。菅谷の家の一利さん、牛車を引いて助にきてくれた。午前中二車引いた。重たい。牛もつよい。午后四車引いた。今日はよい日であった。菅谷の叔母さんの家へ根刈りを十パやった   以上
一利さん牛車を引いてきて呉れた。


十一月二十一日 日曜 晴
早起き会に出席す。坂戸へ御親閲に行く支度をして自転車で国民校へ集合。自分は電車で行く。午前中は寒かった。午后一時過ぎ殿下乗馬にて閲兵を行った。三時前に終る。かえりも電車とてもこんた。連合演習終る。空砲をうつ。   以上


十一月二十二日 月曜 晴
早起き会に出席す。ラッパを少し吹いた。六畝の田の麦まき。肥引き、土かけ。三畝の田のいねまるき。今日はよい日だ。午前一車上げた。午后六畝の田の土かけ。大田の肥引き、土かけをした。三畝いね上げ終る   以上


十一月二十三日 火曜 晴
早起き会に出席する前に新聞配達をした。富岡暉三さんが麦播きの手伝ひにきて呉れた。七畝の作切り。大田の肥ひき。大田の土かけ。
休みごろ終り。次ぎに七畝の種まきをした。約半分位まけた。いね上げ明日終る
手伝 富岡七之助宅より暉三さん 一日きてくれた


十一月二十四日 水曜 晴
早起き会に出席す。今日は少い。三畝の田の麦まき、肥料ひき、土かけをした。
祖父さん、山下仁三郎さんと畠山の博労へ行く。むぎまき終る。柴田方へ三時過ぎて少し手伝った。   以上


十一月二十五日 木曜 晴
早起き会出席す。
ぬくとい。朝めし后くまで作くり。午前中四本午后一本、全部で五本作くった。向徳寺より、竹引きの手伝ひ。父も
くまで三本唐子へ。
受信 西中佐*1 守平より
向徳寺へ竹代四円六〇銭

*1:オリンピック馬術競技で優勝した西竹一中佐。


十一月二十六日 金曜 晴
早起き会に出席す。祖父さんは唐子の岩田病院へかごやに行く。
自分はくまで作くりをした。山下仁三郎さんが唐子のメン屋に頼まれてくまでを二本、根岸藤太郎宅へ一本。
自分はくま手を十本作くった。
父いねこきである   以上
金井示夫より竹二ワで草刈りかご三つ 印篭一つ ナキリミ二ツ 一斗ザル二ツ


十一月二十七日 土曜 晴
野口若三郎 野村忠平 小物草刈りかご壹つづつ
早起き会に出席す。とても寒い。菅谷へ使に行く。貯金を七百円下げた。午后、大字の常会に出席す。ショウ油しぼりやさんがきた。祖父病院へかごや。遠山へメン持ちに行く。バク労へ六百五〇円やる
畠山のバクロウへ六百五拾円やる。
野村阿喜良方 草刈りかご二つ 背負かご一つ


十一月二十八日 日曜 晴
早起き会出席す。あまり寒くなかった。祖父さんは今日も岩田病院へかごやに行く。自分はくまで作くりを始めた。大沢伊三郎へ一本、斉藤とら、金井、下寺へ各一本、植木山かごや二本 以上
醤油だるしぼり終る。
将軍沢忍田方ヨリ頼まる 草刈りかご小物二ツ 目かい二つ 肥引きザル一つ 甘藷ふかしかご5五升


十一月二十九日 月曜 晴
早起き会に出席す。午前くまでをしばると(籐)をこしらへた。
十一時頃菅谷へ使に行く。役場へ馬籍をたのむ。自転車へも自転車を頼む。午后くまで作くり。半日に七本できた。しづかなよい日であった。


十一月三十日 火曜 晴
早起き会に出席す。根岸直次君の入営*1を送くる。すぐかへってきて祖父さんと車を引いて平沢の家へ竹引きに行く。行きは寒い。竹まるき。昼を御馳歩になってきた。
孟宗竹二十本八円 真竹七円五〇銭を家へ持ってくる
枝は吉田のホウキ屋に売る。五円

*1:談)筆者の同級生。海軍の予科練に志願した。

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