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第6巻【近世・近代・現代編】- 第6章:くらし

第3節:日記

冨岡寅吉日記

昭和18年(1943)5月


五月一日 土曜 晴
行軍である。七時何分かに出発した。将軍沢を通り、亀井村を経て岩殿に行った。物見山で中食する。帰りは根岸へでた。全体を通して山道であった。
三時少し過ぎて学校にもどった。   以上


五月二日 日曜 晴
父は遠山の水車より木炭をもってきた。自分は草刈りかご作くりである。小さいのだが中々うまく行かぬ。祖父はかご箕作くりである。草刈りかごもよくできた。かごみ四つ。夕方配達をした。全部で五円八〇銭。神戸で三円六〇


五月三日 月曜 晴
父と山王前の畠から壁に使用する土運搬をした。車で五台引いた。河原より砂も引いた。馬を使っては、うまく行かない。
一日中此の仕事をした。砂七車。祖父さんはかごみ作くり三ツ。石屋へかごを持って行った。


五月四日 火曜 晴
朝作くりに印篭のふちまきをした
蚕かごのふちまき。
とてもよくこわれてゐるかごだ。
少しはうまくなおった様だ。
父は田麦の作く切り。
一日ふちまきをした。拾枚まいた。二円。野口宅で二円五〇銭もらった。


五月五日 水曜 晴
召集日
第一時木村先生。蚕の話であった。
二時身体検査。三時〜四時勤労奉仕。
午后教練。二時間の所を一時間で切り上げた。キンケイ神社へ参拝した。松山へ使に行った。


五月六日 木曜 晴
青年校女子部行軍。
朝食後、小川方面へ使に行ってきた。水車へも。
かごやの手伝ひ。草刈りかごのたて割りをした。少しはうまく行ったらう
父は田の肥出し


五月七日 金曜 晴
新聞配達をした。
かご作くりである。草刈りかごを組む。
腰もおこす。草刈りかごのふちまきもした
かごのまわし入れ。父は田仕事をした。


五月八日 土曜 晴
教練召集日。
木銃を持って動作をした。とても暑い。
気持ちも悪い。
それでも一日愉快に遊んだ   以上

大日本銃剣道振興会菅谷分会設立される。


五月九日 日曜 晴
かごやを少ししてたが気持ちがわるいので止めてしまった。
午后寝たり起きたりであった。
守平より隆次へ漫画集がきた。   以上
遊ぶ。


五月十日 月曜 晴
朝作くりに将軍沢へかごを持って行く。三ツ。かごみを一つ。
草刈りかごのふちまきをした。
午后目かご作くりをした。
夕立を待ったがでない。
目かご五ツでき上がる   以上


五月十一日 火曜 晴
今日も目かご作くり。
だいたいうまく行く。
午前に六ツできた。午后もできた。十三作くりふちを巻いた。
それから四つ作くった。
昨日の午后より今夕迄十七でき上がった。   以上


五月十二日 水曜 晴
目かご十四持って行く。
日直なので戸を明けたりした。静かなよい日である。
一、二時、校長先生。三、四時、木村先生。
午后教練。散開、縦散開、其の場に横に散れ。其の他色々。家へきて目かごあみ。


五月十三日 木曜 晴
目かご作くり。
菅谷から持ちにきた。六つもって行った。
ふたもあんだ。これは簡単である。今日雨乞(ゴイ)いである*1
竹を切って割っておいた。ふ(む)し暑い。   以上

*1:五月十一日、雨乞いのため、戸隠神社に小林才治・瀬山修治が代参に出発し、十三日は菅谷神社で「戸隠神社神水分水式祭」を執行。各字に分水した。


五月十四日 金曜 晴
受信守平
草刈りかごの竹割り。
うまく割れたものもある。十一時頃出頭要求書と言ふものがきた。
午后目かごの竹こさい。此れはうまく行かない。一日中こんな事であった。


五月十五日 土曜 曇
教練召集日。集合前に内田伍長殿より注意を受く。欠礼が元であった。
執銃教練を河原でした。
ヒザ射ちの姿勢をした。
午后松山へ使に行ってきた。
かごやの内金二十円也。
発信守平


五月十六日 日曜 雨
雨乞ひもきいた。起きると雨だ。小雨だ。かごやの手伝いをした。目かごのまわしを入れた。うまくはいるのやわるいのもある。
雨も本降りとなる。かご二十本できた。明日はお湿り祝ひである。   以上


五月十七日 月曜 雨
今日も雨だ。目かごのふた編みをした。少し大きく始めた。十時過ぎ唐子村長屋の医者*1へ行った。大したことはない。
午后苗代作くり。
ニポ耕ひをしてアラくれをかいた   以上

*1:唐子村長屋の岩田病院。


五月十八日 火曜 曇
徴用令の身体検査お。身ノ上検査があった。
岡本君と松山に向ふ。早過ぎた。身体検査。身ノ上検査の順序とてもきびしく感じた。
自分は彩(採)用され様もない。二時に自分は終った。   以上


五月十九日 水曜 曇
大変早目に学校に行き銃を持って本校に向ふ。河原にて一人で訓練をした。
雨も降りそうであったが午后の模様では降りそうもない。
嵐山まで連絡兵の演習をして行った。かごやの手伝ひ   以上。


五月二十日 木曜 雨
雨天だ。志賀にかごやに行く予定駄目だ。
草刈りのふちまきをした。二ツ カルコ作くりをした。手伝ひにはならぬ位だ。
夕方迄に六ツ、ふち迄組み上がった。   以上


五月二十一日 金曜 晴
召集日。木銃を持って集合す。
午前中銃剣術の基本動作を河原で行った。今迄の復習もした。午后身体検査(根岸校医殿)可也り。
来月の十六日が始まる日。
父遠山水車へ行き魚を取ってくる。


五月二十二日 土曜 晴
志賀へかごやに行ったが明日砂管(左官)がくるので家へ戻ってきた。
土篩をした。湿ってゐるので篩づらい。
午后砂篩きをした。終るのだが甘藷苗植えをした。茄子苗も植えた。
   以上


五月二十三日 日曜 晴
祖父さん昨夜志賀へ宿った。物置きの廻はりを片づけた。下唐子の砂管屋さん午前中こない。父と苗代へ灰をまきに行った。近江はよく生えそう。午后砂管屋さんきた。その手伝ひ。大変能率が上がった。   以上


五月二十四日 月曜 曇
朝の中曇ってゐた。砂管屋さんの手伝ひ。
祖父さんは志賀の家へ行って未だこない。
夕方雨降りとなる。
でも止む
受信守平、仲次郎君


五月二十五日 火曜 曇
唐子の岸又治方へかごやに行った。
雨の降りそうな天気だ。蚕のかごのふち巻きをした。三尺、五尺の大かごだ。
雨もぽつらぽつらちらついたが大した事はない。
夕方はよい天気となった。一日でかごやも終った。五円   以上。


五月二十六日 水曜 晴
小沢角太郎方へ篭屋に行った。蚕かごのふちまきをした。昨日よりこわれてゐないのでまきよい。
午前に十七枚ばかり巻いた。中食喰いにきた。
午后も同じこと。とてもむし暑い。汗がだんだんでた。五円もらう


五月二十七日 木曜 晴
福島定二方へ祖父一人で行った。自分は蚕に桑呉れをした。
本陣畠へ甘藷苗植えをした。蚕もエン台に出した。松山へ使に行く。
午后西原へ棉を播いた。(約二畝)サヽギもまく。
曇天で気持ち悪し。   以上


五月二十八日 金曜 曇
根岸貞二方へかごやに行った。竹はたんとない。
背負かご、肥入れザル作くりだ。蚕かごのふちまきもある。雨の降りそうなケチな天気だ。
雨も降ったり止んだり。
早じまひをしてきた。


五月二十九日 土曜 小雨
雨の降りそうな天気だ。今日はかごやは休み。何もしない。昼近くなって菓子の配給を受けに行った。一円五〇銭。祖父は一人でかごや。
自分は何もしない。一日中。
夕方井戸ツルベの縄をなった。   以上


五月三十日 日曜 半晴
祖父さん一人で根岸貞二君の家へかごやに行った。自分は今日も仕事をしないでぶらつきをした。
川へも遊びに行って見た。魚が大変つれた。
父平沢の家から新竹をもらってきた。作入れ等もした。   以上


五月三十一日 月曜 晴
祖父さんと二人で成澤力造方へかごやに行った。足のでき物も目のできものも今日は全快の様だ。
草刈りかご作くり。大五ツ小一ツ組んだ。休み後背負かごを作くった。
一つ作くり上げる。
蛍取りにも行く。   以上
[余白に書かれた草稿]
拝復御便り有難く拝見致しました。
貴君も元気で張切ってゐるとの事、何より結構ですね。小生も元気百パーセントで家業の手伝ひに又自分の職業(篭屋)に余念がありません。アツツ島の皇軍将兵の奮戦は我等に多大の攻撃精神をヲシへ又深く憤慨をも興へましたね。此の仇を打つも間近。週二回の青校召集日では物たりない感じがします。

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