第6巻【近世・近代・現代編】- 第6章:くらし
冨岡寅吉日記
十一月一日 日曜 雨
一時二〇分頃不時呼集があった。
校庭を二廻り廻り、色々と注意があった。六時に起床した。掃除、朝、作法室に入り閉訓式、神社へ参拝して校長先生の訓示、散サン*1した。
家へくるとぢきに雨が降った。
糯をこいだ。大変ない。
桑園の桑しばり。
一つそ*2作くり。 以上
*1:解散。
*2:いっそ。
十一月二日 月曜 晴
早起き会は昨日より始まった。鐘より早く起きて村田君とお寺へ行った。
早朝飯で竹切りに行く支度をした。
唐子の薮である。大薮の竹だ。
男衾より二人手伝ひに来た。
一日に終らない。 以上
十一月三日 火曜 晴
鐘、ラッパより早く起床した。耕地へ稲上げに行った後押しをした。
明治節などで式に立ち合ふ。木鎌を持って行った。
八時に始めて早く終了した。
道路上のごみやじゃま物を片づけだ。半日
午后稲刈り 関東を刈る
半日 父の靴もできた。 以上
十一月四日 水曜 半晴
早起き会に行く。
父は馬の蹄鉄に行った。
母と甘藷堀り。十時頃父も帰ってきた。
午前に二十つるし掘った。
祖父さんは理昌方の助。
午后甘藷二十一つるべ 以上
十一月五日 木曜 晴
早起き会に参加。
荷車の支度をして置いた。朝食して竹引きに行った。とても露が多い。初手は十二本積んだ。次ぎ拾参本。次十三本。休み、次十二本。昼。
午后、三車。計三十九本 八拾九本 残り三拾二本。
三時ラッパが鳴った。
野村阿喜良さんの帰還を迎ふ。
十一月六日 金曜 半晴
早起き会。
朝食前に祖父さんと竹引きに行った。
十三本積んできた。
甘藷蔓を運んだ。三車
九時頃より甘藷堀りに行った。
坊の上の供出畠へ。
沖縄を少し(一俵)掘った。太白も大きいのがなってゐる。
曇り勝ちの天気で寒っ気である。五俵掘った。
約百二〇貫 以上
十一月七日 土曜 晴
早起き会
五時学校集合である。
大蔵班は一所に行った。少し寒い。
道路清掃に行った。
きれいになった。
祖父さんと竹引き。引き終った。今迄の合計(百二十九本)
甘藷堀り、百貫 清酒の配給 特配五合 以上
十一月八日 日曜 晴
早起き会。鐘は何時もより二〇分ばかり遅くれた。
背戸の山へ甘藷づるをかけた。
前畠へ大麦播き。山王前へも播種する。
早昼めしで稲刈りに行く。
関東、朝日を約一反刈った。
家へ十五ワ持ってきた。
朝夕涼しさを越(ま)して寒くなった。 以上
[豫記]大召奉戴タイ日
十一月九日 月曜 晴
早起き会の鐘もラッパも聞かなかった。神社に行くと皆がきてゐた。
朝食して甘藷堀りに行った。父は甘藷を検査場へ運び。
甘藷掘りも午前中で終り、切り干しを切った。
父は菅谷へ甘藷(太白四俵 沖縄一俵)五俵を持って行く。
自分は車へめん持ち。家の分五拾本あまり良い日ではない。
イモ掘りもした。大きいのが大へんなってゐる。学習院一、二、三年の生徒、百五〇、百、嵐山より国民学校へ*1。 以上
*1:菅谷小学校『学校沿革誌』には次の記述がある。「伏見宮章子女王殿下女子学習院生徒百五十名ト御共ニ武蔵嵐山ニ御成リ午後一時ヨリ当校ニ御成ラセラレ高二生徒ノ甘藷掘作業ヲ御見学、校長ヨリ甘藷ニ就イテ御説明ヲ御聴取ノ後少憩アラセラレ献上ノ甘藷(紅赤)モギ取ニ頗ル御満悦、二時五十分御出発御帰校遊バサル。」
十一月十日 火曜 晴風
昨夜の十時頃菅谷の青木精米所がやけた。朝は寒い。大霜である。
西原へ小麦播き。堆肥八籠。肥料一叺。十一時頃終った。
風も吹く。いも掘り。親泣かせ*1と言ふ名のを掘った。
坊の上の畠二枚へ整地しに行った。甘藷後はかたい。
鶏も良い声で鳴く 以上
[受信]斉藤三郎
*1:談)里芋の品種。親よりも大きくなる。
十一月十一日 水曜 晴
大霜らしい。早起会も寒い。
朝作くりに坊の上の畠へ肥を持って行って石灰を散らした。
坊の上一号へ蒔く支度をした。少し風は有るが大丈夫だ。畔作くりをした。
十一時頃終る。二号の畠へも其の支度をした。半分畔作くりをすると昼の鐘が鳴る。午后の方が風もなく良い天気になりそうだ。二号も三時頃終った。
三号の畠へも蒔いた。畠の麦蒔き終る。
飛行機が中返り*1をしてゐる。 以上
注 本陣畠 一号 鍛ヂ屋の畠 二号 家の小さい畠 三号とする。
*1:宙返り。
十一月十二日 木曜 晴
早起き会。朝作くり何もしない。
稲刈り。長島水車へ米一俵持って行く。
鎌形の家で柿を十箇買った。うまい柿だ。六畝の田を刈り、苗代田も刈った。祖父さんもいね刈り。
風は無く良い日だ。暖かい。
塩の配給十七貫七〇匁 五円十二銭
稲上げ(ウルチ) 関東五拾二ワ 朝日(旭)六拾参バ 馬でつけた。
父は足へいくらかの出来物が出来ビッコを引いてゐる。 以上
電気料六〇銭昼間 (夜)いっそ作り
[豫記]関東五二 旭六三
[受信]斉藤三郎
十一月十三日 金曜 晴
早起き買い。肥きざみ。籠につめる。
稲刈り。大田を刈る。
霜のある中は刈り良い。
何処かの雀取りが来て大変取ったらしい。
鐘の鳴る頃刈り終った。今日も風がない。関東をまるって昼に上がる。
午后は馬は稲上げ。関東五三パ 旭一〇パ
麦蒔きの支度
夕方薄曇 以上
[豫記]関東五三 旭一〇
[受信]富岡作次
十一月十四日 土曜 曇
早起き会
肥料の配給を持ちに行く。
一車 人夫十人 一車あて約四十四、五貫
配合した。自分の家は十八貫五〇匁 八円十四銭
曇り勝ちで雨もちらつく。
午后田麦蒔きの支度。
祖父さんは理昌方へ助。
ぶっさくり。
つぶてぶち
作切り。
三島様 以上
十一月十五日 日曜 晴・風
早起き会
昨夜は雨が降ったが今朝は風だ。大風。新聞配達をした。朝日三十部、日日十一部、報知一部、少国民二部で早く終る。
父は松山で行はれる鍛練馬競技へ立会ひに行った。
自分は守平を相手に稲の脱穀。先に糯を脱穀した。十時休み迄に脱穀終り、昼迄にふるい終る。
午后、近江も脱穀する。こらがとてもなめらか(のめっこい)。休み迄にこき終る。
祖父は理昌方へ助。 以上
菅谷村では福島楽将*1 山下仁三郎大*2 山口 吉野鎌形 内田平沢出馬。
[豫記]鍛練馬競技
*1:将軍沢。
*2:大蔵。
十一月十六日 月曜 晴
早起き会。
雲ってゐて暖たかい。
父は将軍沢へ使に行った。
自分は肥をかごに入れた。
田へ麦蒔きに行った。大麦を蒔いた。土かけ。
金井様方の田は作くってぶっておいた。
午后馬で稲つけ。
良くいごいた。
旭七十八 今夜はイノ子様 以上
[豫記]旭七八ハ
[発信]金井仲次郎
十一月十七日 火曜 雨
早起き会 雨が降ってゐたが行った。
稲の脱穀。
父と二人で始めた。旭を脱穀す。
祖父さんは熊手作くり。
祖母さんは菅谷へ使に
一日中雨 以上
十日夜
十一月十八日 水曜 晴・風
早起き会
昨日の雨もすっかり止んで風が吹いてゐる。今朝は割合に暖かい。
長島水車へ米持ちに行った。大麦を一俵持って行った。
田麦播き。
此の間の続きを振り萬ガーで振った。
雨が降ったのでやわらかくなった。
半日に大変振れた。(約四畝強)
風がある。
午后も同じ事。祖父さんは組合の精米所へ小麦粉持ちに行った。
菅谷家より柿を買ってきた。
十一月十九日 木曜 晴・風
早起き会。今朝も風が吹いてゐる。
朝作くりに藁にうをかけた。車で運んだ。
田麦播き
振まんがあー振り
風があって仕事がやりづらい。
上がり荷、稲十パ 新井君の田へ車がひっくり返る。
昨日は長沢平七君の田へひっくり返る。
今夜夜間演習の予定が昼になって中止の通知がきた。 以上
[豫記]旭二二ハ
十一月二十日 金曜 晴・穏風
早起き会。昨日よりは風も無く暖かい。欠席は大い。
田麦播き。上の方より播いて行った。
風が無いので仕事がしよい。
六畝、七畝、三畝、一畝と種を入れた。堆肥もひいた。
午后も肥引き。少しして大田の稲上げ。父は馬でつける。三人でまるった。
練習機が時川*1の上空で底空飛行*2した。地上約十米弱。万才であった。
稲まるき終る。(まき等は特別に騒いだ)
砂糖 マッチの配給
[豫記]旭六三バ
*1:都畿川
*2:低空飛行
十一月二十一日 土曜 晴天
早起き会。良く晴れてゐた。
田麦播き。
大田の稲をかえした。
新田の土かけ。早く終る。
大田を振まんがーで振る。
午后父は馬でいね上げ。大部曇り勝ちの天気となった。
稲も上げ終る。食用油の配給
明日より六日間ラッパ練習。 以上
[豫記]旭七バ
十一月二十二日 日曜 晴
早起き会
朝からしづかな良い日だった。
麦蒔き終る。
オカマ様
同級会の相談。 以上
十一月二十三日 月曜 曇・半晴
早起き会。鐘が鳴ってから起きた。
くもってゐて雨がちらついた。
唐臼ひき。柴田方より臼を借りてきた。
守、父母、自分の四人で始める。
近江より先にひいた。一俵あった。
納税を持って行った。三円十七銭。
糯もひいた。三俵と一升あった。
三時頃長島水車へ糯米を五升持って行って頼む。
ラッパ練習に行ったが下田先生も指導員殿も見えない。
二時ゐて帰ってきてしまふ。 以上
十一月二十四日 火曜 晴
早起き会。
昨夜もラッパ練習に行った。寒かった。朝作くりに馬小屋の肥出し。小屋の中は暖かい。
稲の脱穀。父と母と三人でした。旭を脱穀す。よく下ちる。
一日同じ事。ほし物をだす。良くひる。
小沢武夫君*1とラッパ練習に行き乍ら床屋に寄った。
村田指導員殿より教はる。
ソ、ソソ、ソー、ソ、ソソ、ソ。ソソソソド、ミ、ミミ、ミ。ソドミソソ、ドドドド。
*1:一学年上。
十一月二十五日 水曜 晴
早起き会。約三〇分早く起きてしまった。
藁ニュウ掛け*1。(乾物を出す)霜の為寒い。
稲の脱穀。旭をする。
午后ふるった。
二時にラッパが鳴った。藤縄正二君の帰くわんを迎へる。
陸軍兵長である。
夜はラッパ練習に行った。
村田指導員、下田先生も来て呉れた。 以上
*1:稲藁を保存するため立木や棒を利用してまわりに積み上げること。
十一月二十六日 木曜 くもり
早起き会
藁ニュウをかける。
乾物をだす。第二次旭。良くひない。
稲の脱穀。旭終る。
長島水車へ米一俵四升。
ラッパ練習 以上
十一月二十七日 金曜 半晴
早起き会
藁ニュウかけ
稲の脱穀 関東
熊手 植木山へ四本
柴田藤五郎宅へ二本、一本は呉れる。
ラッパ練習
竹一〇貳円
大澤八三郎*1方より竹貳拾壹ハ
*1:大澤知助祖父。
十一月二十八日 土曜 晴
早起き会。
午前八時より教練。基本体操、銃剣術の形。
十時より社稷祭の式へ参加
十一時より入営兵の送別会(本五以上)
根岸公雄方より竹 七ワ半*1 拾五円
五時二十八分着の電車にて中島武治君の英霊帰へる。ラッパにて迎ふ。 以上
*1:談)真竹の場合。一ワ(束)は円周一尺なら一本、九寸は二本、八寸は三本、七寸は四本、六寸は五本、五寸は七本、四寸は十二本、三寸は二十本。あと三十ガラ、四十ガラというのもある。
十一月二十九日 日曜 晴
早起き会。鐘を聞いてから起きた。
大霜だ、寒い。
中之町之学校林江木之葉掃帰仁
為大霜露木葉存
刈リハライヲナス
中の町の学校林へ父と自分とまきの三人で車を引いてゐた。昼前に三籠掃いた。家へ来たら十一時で存った。
午后も行った。道が悪い。籠のつけ下ろしをした。良い日だ。 以上
[発信]山下三郎君
十一月三十日 月曜 晴
早起き会。今朝も大霜だ。
昨日の様に中の町の学林へ行った。
露がひどい。
三籠掃いて丸山(地名)を廻ってきた。不動坂まできたら鐘が鳴った。
午后遠山水車へスマ買いに行く。一俵借りてきた。神戸へ熊手を売る。
祖父さんは籠作くり。
父は長島水車へ行った。米持ちに。
お正月も後一月 以上