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第6巻【近世・近代・現代編】- 第6章:くらし

第3節:日記

冨岡寅吉日記

昭和17年(1942)2月


二月一日 日曜 初雪
県下駅伝競争
空は灰色に曇ってゐる。支度をして登校した。大部寒い。同級生諸君と坂戸の方へ出かけた。高坂まで行くと小雪が降り始めた。皆の心中が変り其の所から松山へ行った。もう雪がひどくなった。吉見を通り南吉見村久保田迄行った。道に大へんつもった。東吉見〜松山間をはしる人は千手堂の瀬山君*1である。十幾番かであった。
松山まで行く中に十一番となった。青年学校では一番とかである。
雪はどんどん降る。自転車から二度落下した。
祖父さんの熊手こしらへの手伝ひをした。縄ないも少しした。   以上
[受信]清水岩三 富岡健治

*1:瀬山芳治。


二月二日 月曜 曇
雪が三〇センチ近くつもった。
ラッパが鳴り青年団の雪掃きである。今年の初雪だ。足がとても冷めたい。
帰って来たのは九時過ぎである。朝食した。鳥を執るブッツブシを作くって見た。なわないも始めた。
午后目籠を作った。良く出来た。
十一時に祖父さんは小川へ籠職の事について行った。
モチを置いてほうじろを一匹取った。
夜になって祖父さんは帰って来た。建設青年の復習問題が正解した。
[発信]富岡健治
[受信]建設青年


二月三日 火曜 曇
節分
晴天になりそうもない。曇天である。
十時頃松山へ行った。ゆわし*1はなかったが、蜜柑とナシを買って来た。
昼食して支度した。
みやを背負って川島の鬼鎮神社へ行った。福引きで六等と外であった。
早く帰って来て金井屋でおでんを喰った。うまかった。
福は内 福ハ内   以上
[受信]斉藤三郎

*1:鰯。


二月四日 水曜 半晴
祖父さんは熊手作りである。
父と馬小屋の肥出しをした。未だ雪が消えない。木の葉肥で出しづらかった。
終ってから桑の木を切った。祖父さんは鎌形の家へ墓参りに行った。
植木山の鋸屋へ鋸なをしに行った。
昼食して桑の木切りをした。
夕方熊手曲げである。
夜、晩食後までかゝった。   以上
[発信]斉藤三郎


二月五日 木曜 晴
支度をして中島の工事、二瀬に行った。十四、五人しか来ない。
もっこかつぎである。羽尾の小久保君と組んだ。
始めの中はなれないので上手に行かなかった。
十時休みをするとじきに昼である

三時休みをして間もなく日は山の影になって終となる。   以上
[豫記]中島の工事出始め


二月六日 金曜 曇
二瀬の工事場へ行った。成澤君も見えた。忍田君と笊*1かつぎをした。
十時頃石かつぎであった。今日は親方も見えた。
昼食して手ぐりで石を運んで川の中に入れた。
歐文社に懸賞問題を出した。
明日は召集日である。
夜大東亜戦争の写真の見本を青年団の役員の者が持って来て注文した。   以上
[豫記]明日保護馬の健康検査
[発信]歐文社

*1:畚(もっこ)。


二月七日 土曜 晴
青年学校教練、学科の召集日である。天気は快晴で霜でひどい。
三年以下召集日である。竹槍を持って大蔵の河原で基本体操をした。十三種おぼえるのがなかなか骨である。戦闘教練である散兵をした。これは愉快であった。
午后普通学科で服部先生の教授であった。続けて二時間した。
今日は菅谷村商業報国会員が旧校舎に集った。前九時より松山のグランドにて保護馬の健康検査である。   以上


二月八日 日曜 晴
二瀬の工事場へ行く支度をして出た。百米行くと根岸の戦友が追ひ着いた。今朝はあまりに寒い。工事場迄かけ足で行った。暖くなった。
十時休み迄もっこの中へ砂利入れをした。氷って居るので腕に強く答へる。
十時頃忍田君ともっこかつぎをした。午后も同じ事をした。途中で根岸貞次君と変って入れ方をした。
昼休み、三時休みは長かった。
終にするのも日のある中であった。父は遠山の車へ馬引きに行った。
小川方面の馬は今日健康検査である。   以上
[豫記]明日は入営兵士を送る。


二月九日 月曜 晴
起きて支度をして待ってゐるとラッパが鳴った。今日は山下一(かず)君の入営*1である。朝は寒い。自転車で行った。尚更寒かった。菅谷村より二人入営した*2。朝食して鎌形の工事場へ行った。未だ始まった所だ。九時十分前である。
今日は受取り仕事である。氷ってゐて砂利を入れるのは骨である。忍田君ともっこかつぎをした。今日は皆一生懸命である。十時休み前一時間の中に大変進んだ。
三時近くにもう方がついた。家へ帰ると三時廿分であった。風呂かえこみや甘藷蔓切りをした。
父はまき山切りを始めた。   以上

*1:一九四三(昭和十八)年四月十日戦死。
*2:他に遠山川端哲男入営。


二月十日 火曜 晴
鎌形の工事場へ行った。今朝はとても早かった。今日は石拾ひである。農士学校の前の河原で拾った。
此の仕事は楽である。
午后も同じ事をした。七郷村から内田、大澤、鈴木、等と言ふ青年が見えた。二十近い青年である。
明日は学校である。そして下の帳場*1へ行くのであるわいな。

*1:根岸の帳場。


二月十一日 水曜 
紀元節 下流三号
紀元節祝賀式に青年学校生徒も参加するのである。今朝は特別に大霜の様だ。
支度をして新藤君の家へ行った。内田君も居た。学校に行くと未だ幾人もゐなかった。中島君に頼んだ振替の證書がとゞいた。
九時に式が始まり校長先生が色々と時局と重大なる話をした。
早く式が終り昼食して根岸の工事場へ行った。内田森吉君ともっこかつぎをした。
上の帳場と同じ仕事である。明日はトロ押しらしい。
夜は空が曇天と化した。   以上


二月十二日 木曜 曇
根岸下流三号の工事場へ行った。早かった。雪が霜の様に少し降ってゐた。総人数は三〇名以上ゐるだらう。下の方でもっこかつぎをした。忍田君としたがまだなれぬので水中に足を入れた。休後、忍田君が牛方なので其の助手をした。三車で昼となった。
祖母さんは神戸へ使に行った。
午后もっこかつぎであった。羽尾の人とした。
祖父さんは籠を作り売りに行った。   以上


二月十三日 金曜 晴・風
下流三号の工事場へ行った。今日は人員が少し減った。下のトロ線から三台トロを運んだ。上のトロ線にかけた。羽尾の赤沼と下唐子の潮田(うしおだ)君と三人で初トロを押し始めた。
具合の好いトロである。十時休みをした。十台押し、昼までに八台、計十八台、押した。
午后三時休み末に同じ位の者であった。
其れからは風が強くなり橋の上などは寒かった。
今日は日光の落ち切れる中に終りにした。
父と母は木の葉掃きに行った。一日で終った。
明日は学校也。   以上
[豫記]特別 午后は近日希なる大風


二月十四日 土曜 晴
下流三号場へ行った。昨日より遅かった。
牛車引きの助手である。青鳥の人の車の助手をした。休み前に十台引いた。休みは部屋でした。牛が車を引いて逃げ出した。
今日は半日で家へ来て支度をして学校へ向かった。新藤君等と一しょに行った。
菅谷、嵐山駅通りの荷受所で武道大会がある。見学である。あまり面白くなかった。
鎌形の吉野君*1も剣を持って戦かった。残念乍負であった。
岡松屋で菓子を少し買って持って来た。馬は蹄鉄に行った。   以上

*1:吉野勇作。一学年上。


二月十五日 日曜 雪後曇
寝てゐる中に弟妹が騒いでゐる。雪の吹ってゐる様な嬉しそうな である。起きて見ると面方(あたり)が真白である。今日は工事も休みだ。
守と碁目をした。守平も少しは敵となれる腕とあった。十一時頃草履作くりを始めた。
大きな奴を一足作り出した。半足分作くると昼となった。十時頃、いねとまきは金井柳作方へ孫様の帯解*1でお客に呼ばわれた。
いねもこの祝をして産土神に参拝した。
遠山水車のもっちゃん*2(人名)が床上の祝を持って来た。一時より神社々務所にて常会があった。自分が出席した。
夕方熊手曲げをした。十五本。   以上

*1:七五三。
*2:兼子もと。


二月十六日 月曜 晴
寝てゐる中にラッパが鳴った。青年団の雪掃きである。村田君の家へ行った。そして河原の方へ掃いて行き団員に合った。今朝は六人切りで学校迄行った。家へ来ると八時半頃であった。朝食して三号の工事場へ行った。大変来てゐた。
トロ押しである。青鳥の小野澤君と始めた。休み前忍田君もは入り三人で押した。
十時休みをし、幾台か押すと昼である。自転車で行ったので家へ昼喰ひに来た。
今日は会計である。休みに三号の会計は終った。工事が終ってから、大澤右(う)平さんの家で鎌形の会計を與一*1方より受取った。計拾貳円八拾銭。   以上

*1:中島與一。


二月十七日 火曜 晴
今朝は何時もより三〇分早く起きた。□□守は今日、七郷の学校へ査閲見学に行くので早く行った。自分には通知がないので下流三号の工事場へ行った。早かった。
新聞にはでかでかと星港陥落と記るしてあった。家々で今日も国旗がなびく。
河原の雪はすっかりとけた。
もっこかつぎを少ししてもっこに石を入れたり砂利を入れたりした。
工事はトロ押しや石張りである。
今日は学校に行くのだそうだが行かなかった。   以上


二月十八日 水曜 晴
宗ちゃん*1と一所に行った。昨日より早かった。部屋であたった。忍田君は牛方である。
小屋へ火をもした。人ずうが少い。潮田君、西田君と三人でトロ押しをした。
休み頃大蔵神社で万才の声が聞えた。シンガポール陥落の祝ひである。今日も家々の国旗へ大国旗がひらめく。
昼食して一日中トロ押しである。夕方、空に雲が大く出て来た。
明日は上岡のかんのん様である。青年団の三十三社
[豫記]明日は青年団員の三十三社である。

*1:川島宗作。


二月十九日 木曜 曇後晴
下流三号の工事場へ行った。今日は青年団の三十三社参りなので父が代りに行った。
今朝は普通に工事場へ行った。トロ押しである。潮田君、西田君の三名で押した。
十時休みにさつまいもを喰った。今日は二瀬からも人夫が来た。休みも短かく昼休みも短かかった。
潮田君に甘藷のかんそうをもらった。
夕方になりもっこかつぎで川の中におっこった。身体が良くぬれた。未だ力が無いからしょうがない。
上岡のかんのん様で馬の絵まを買ってきた。


二月二十日 金曜 晴風
新聞配達なので早朝より支度をして配達函に行って見るともう来てゐた。日日八部、報知一部、朝日四十四部、計五十三部であった。今朝は餅をついた。
宗ちゃんを呼んで行った。朝は寒い。トロ押しである。潮田君等と押した。
十時休みも近く、昼休みも近かゝった。根岸の観音様へ昼休みに行った。十銭つかった。三時休みもみぢかい。
夕方そうとうおそくまでやった。二十銭増であった。   以上


二月二十一日 土曜 晴天
下流三号の工事合計六人ト六十銭
早く起きた。今日は一時間早く工事場へ行くのである。小屋に行くともう親方は来てゐた。
日光があたってから仕事を始めた。朝の中もっこに砂利入れをした。休み前トロ押しをした。休み頃県から検査員が来た。無事に通った。
昼まで少しトロ押しをした。昼食後もトロ押しである。西田君と押した。
今日は朝から静かで一日中風がなく良い日であった。
昭和十七年第貳拾壱回菅谷蚕業組合通常総会があった。
今日も二十銭増分。


二月二十二日 日曜 半晴
支度をして鎌形二瀬の工事場に行った。熊さんが一人来てゐた。皆の集まるのはなかなかゆっくりであった。
神戸の杉田君ともっこかつぎをした。二十人位人夫は居る。
九時頃半鐘が鳴った。唐子村方面から煙が上った。上唐子の北である。
十時休みをして昼迄もっこをかついだ。
昨日とちがって今日は休みがゆっくりである。
父は山仕事に行った。   以上


二月二十三日 月曜 晴
地下足袋の配給一足。特配一足。一円六十五銭
昨日は日傘であり月傘であった。今朝は曇天であった。何時もより早く仕事に取りかゝった。杉田君ともっこかつぎをした。目つぶしをしたりうめつぼをした。
十時休み前になると空の雲は消えて快晴の天気となった。
昼食休みに角力をやった。皆強い。
今日は身体がだるっこく春らしくなって来た。三時休みをすると間もなく日光が没してしま。熊手曲げの手伝ひをした。夜金井義雄さんが地下足袋を持って来た。一月分の配給である。一足特配があった。   以上


二月二十四日 火曜 雪
起きると曇天であった。春雨が糸の様に細くちらついてゐる。朝食近くになると少し雨量が増して来た。二瀬の工事場へ行って見た。親方も来た。
十時頃迄に十七、八人集った。雨は雪と変化した。工事は中止である。帰りには田野が真白になった。家へ来てぶっつぶしを作くった。
早く弁当を喰った。学校生徒も早く帰って来た。雪はどんどん降る。山下彌一方で十一文の地下足袋と家の十半の地下足袋とを取り替えてもらった。
四時頃隆次がぶつつぶしてほゝじろを一匹取った。山下丑造君が青年学校の用事で来客した。軍人援護会へ五銭寄付した。   以上
[豫記]二十八日学科召集午后一時ヨリ 普通学科考査 低学年 杉山先生


二月二十五日 水曜 晴
雪中行軍
早く起きて雪掃きの支度をして県道を下へ行き学校道へ行った。団員が河原を掃いていた。根岸の青年団員も同じ仕事に来た。帰りに団費で菓子を喰った。十五人で四円
仕事に取りかゝると非常召集があった。文殊様*1へ行くのである。早速支度をした。
学校に行くと幾人も居ない。欠席者が多い。普通科、本科一年は合計九名であった。
十時半頃出発した。文殊様の近くで弁当を喰った。あまり面白くなかった。
雪中行軍なので足はびしょぬれとなった。今度の召集日は二十八日午后一時ヨリ。行軍から帰ってくると日は暮れてしまった。   以上

*1:現江南町野原の文殊様。


二月二十六日 木曜 雪
工事へ行かふと思って支度をした。すると雪が降り始めた。工事へは行かないで江戸三国志*1を読んだりしまだ編みをした。
引きわんなーも作くってある。幾度か引いたが逃げられた。
昼食后堆肥の上にもちを置き仕事をしてゐると、ひはが三匹かゝった。
隆次が帰って来てから引きわんなーで五匹取り計八匹となった。
夕方それを料った。焼いて喰ってうまかった。
「山下つねさんが夕べ死んだ*2。」
明日葬ひである。  以上

*1:談)大蔵青年団の支部長が保管していた文庫の本だったと思う。
*2:山下津祢。一八七七(明治十)年生まれ。


二月二十七日 金曜 小雨曇
朝の中霧雨が降ってゐた。工事の支度をして箕野を持って工事場へ行った。高倉が一人来てゐて早かった。
神戸の小林ともっこかつぎをした。十時休みをしてそれから昼近くなって大雨が降って来た。
昼食をしてゐる中に小雨となり午后の仕事に取り懸った。昼前と同じ仕事である。
其の中に空も晴れて小春日和の良好乃天気となった。
三時休みをした。日は塩山の頭上に向かって没み始めた。五時過ぎると塩山の中腹に没してしまった。今日も一日力とまった。   以上


二月二十八日 土曜 晴
計九人半 二〇銭増三日
支度をして鎌形の工事場へ行った。早朝早かった。江戸三国志を読んだ。其の中に幾人が集り仕事に取り懸った。神戸の小川君ともっこかつぎをした。十時休みをした。
江戸三国志を取り出して見た。
午前中は十時休みをした。正午となったので半日で家へ帰って来た。
訓練服を来た学校に向かった。未だ早かった。
第一時 珠算の考査 杉山先生
第二時 講読 氷川清話 初雁先生
四時頃、家へ帰った。
今日は野口民吉方の御祝儀である。   以上

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