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第6巻【近世・近代・現代編】- 第6章:くらし

第3節:日記

冨岡寅吉日記

昭和17年(1942)1月


一月一日 木曜 晴
四方拝式典参加召集日
教練召集日だ。今日は四方拝挙式参加である。八時頃出発した。九時に式は始り校長先生の話があった。
国民学校生徒下組*1の天神講である。家が宿で守平以下八名であった。午后新藤君の家で遊び子守り等もした。
色々の工場へ行ってゐる人達も皆来て愉快である。
夜になり山下三三男君山下昭二君等と玉川二本木座に行き花房芳子一行のしばゐを見た。木戸四〇銭であった。   以上
[豫記]十日午后一時学科召集日 十七日教練召集日午前八時ヨリ午后学科
[発信]富岡二三郎

*1:大蔵は上・下・堀ノ内の三組に分かれており、その下組。


一月二日 金曜 半晴
天神講の者は朝早くから神社にお参りし家で楽しげに遊んで居た。昨日とはちがって大部風がある。凧上げには強すぎる風だ。
扇凧を仕上げたが良く上がらない。戸口君*1が凧をかりた。とても良く飛上り愉快であった。弓で凧を射たが駄目である。
街の方へ遊びに行った。午后二時頃地方長官殿や県の役の方々の人が乗馬にて大蔵を菅谷の方へ通過せられた。
金井正次(しょうじ)君の庭で友達と子供見たいな遊びをした。父は夕方遠山の水車にお客に行った。

*1:戸口愛作。


一月三日 土曜 晴
山下庫次郎さんが朝早晩に来た。今日も魚取りである。富岡理昌、新藤嘉助の四名で根岸の下より始めた。風がとても冷めたい。でも魚は大部取れる。大きなのが二匹居た。何時もの道もどんどん上へ行った。
普通よりも大多く取れるであらう。一時頃嵐山に行き着いた。二貫匁近くもあった。
東京人に三円分売った。五拾銭もらった。魚も幾百匹か配けて呉れた。昼食を二時にした。
遊びに行くと金井君、山下君、等が居て金井君と羽つきをした。興味があった。隆次とメンチ*1をした。これも又興味があった。遠山行きのお客は帰って来た。吉澤君に合った。   以上

*1:めんこ。


一月四日 日曜 晴
朝食して籠の中にトタンとバケツを入れて平沢の吉野廣一君の家へ使に行って色々と御馳走になって来た。十時頃より稲の籾摺りであるから早く帰った。十一時に始めた。金井治平方の機械である。山下彌一方のも一所である。
中食をした。幾俵もある見込みがない。
自分は籾の入れてをした。大蔵時計*1で四時迄かゝった。
すぐ支度を取りかえて植木山の御地蔵様に行った。参詣してかまぼこ*2を五十銭買った。   以上。
今年は年賀状が見えない。

*1:談)当時は時間にルーズで大蔵の時計は三十分位すすんでいた。
*2:談)中にあんこの入った大判焼き・今川焼きの類。


一月五日 月曜 晴
父監視哨勤務
父は監視哨勤務で早朝より支度をして勤務場に行った。馬のゑさを切った。
自分は昨日頼みに行ったバケツ等を持ちに行った。もう良く出来てゐた。
家へ来ると十時過ぎて居た。菅谷の薬部でみやこ染を買った。(海老茶)二十八銭
昼食してアラヌカつめを始めた。
十五俵ばかりつめた。凧の骨を作くった。杉山の叔父さん*1が来て繭を持って行った。凧は出来上り朝風号と名付けた。今晩は村の常会で祖父様が出席した。   以上
[受信]野村収一

*1:新井力造。筆者の祖父の弟。


一月六日 火曜 晴
父は不在である。朝作くりに馬の食糧を切った。父は早く監視哨から帰って来た。そして米俵の外俵かけをした。
自分は竹割りの手伝ひをした。始めの中はちっとも出来なかった。でも少しは割れる様になった。
昼食をして木の葉はきに行く支度をした。山に行く道は此の間よりも道はずっと良くなり坂道などはよかった。
家へ来て父は馬に乗った。川から帰って来て自分が乗った。馬は威勢が良い。   以上


一月七日 水曜 曇
起きると曇天である。意外に霜が多ひ。父はリヤカーをかりて遠山の水車へだんご物*1を持って行った。某は志賀(字名)まで行った。求める品は品切れであった。
家の近所で遊んだ。菅谷の根岸宇平さん濱野小十さんが家へ寄った。二人共別用。午后竹割りを少しして見たがうまく出来ない。弓を持って山に遊びに行った。
新藤君の家で大勢遊びヘウタン鬼事等して面白かった。
日はとっぷりと暮れて家へもどった。一昨日よりすいふろ*2を桶屋にたのみ未だ作くらない。
七草も終った。

*1:粉にするくず米。
*2:風呂桶。


一月八日 木曜 晴
祖父さんは将軍沢へ籠作りに行った。朝早く菅谷の根岸宗平さんが来た。
車を支度して峠の山へ行った。車を引いて行ったので暖くいや暑くなった。
午前中ぶっぱらいをした。もう午近くなった。
風は木々の梢でうなめいてゐる。大蔵の昼の鐘*1か聞えて昼食した。
少し草を刈り木乃葉をはき始めると守平が来て手伝だった。早く出来上り家へ来た。大根の首切りをした。
夕方暗くなった畠山の博労の悴の小市氏が休暇にて寸時来た。父は役場に用があり早く行った。が未だこない。
今日は大詔奉戴日である。   以上
[豫記]興亜奉公日(一日)を廃し毎月八日を大詔奉戴日と定む。

*1:談)向徳寺の鐘。


一月九日 金曜 晴
夕べ成澤君が青年学校の廻文を持って来た。今日は菅谷村の入営兵士を送るのである。
午前八時迄に校庭集合である。校庭には誰もゐない。嵐山駅に行った。大勢である。
家へ帰ってくると九時半であった。支度をして峠の山に向かった。家の者も着いた所であった。山で昼食をした。昼前に十二束まるった。午后も同じ事をした。
三時頃から帰荷をはいた。まだ日があるのでまるくのをはいた。全部で四十輪まるき我家へもどった。祖父さんは将軍沢へ籠作り。
元気良く 我が家を居ゐづる 入営兵。   以上

入営兵出発。菅谷大沢利助東部第六十二部隊、鎌形杉田光義東部第八部隊、菅谷関根久松・平沢村田治夫東部六部隊、根岸小沢庚市・鎌形吉野友治・鎌形杉田富造東部第十二部隊、鎌形小峰卯平東部第七十六部隊、志賀高瀬酉吉東部第七十七部隊、鎌形鯨井佐市・志賀清水留吉横須賀海兵団。


一月十日 土曜 晴
学科召集日
は馬で昨日まるった木の葉つけである。自分は支度をして長島水車へ大麦を持って行った。そして米ぬかを買って来た。(五〇銭)
十時頃帰って来て木の葉束ほどしをし馬糧を切った。馬は二ダン*1、山に行った。
今日は十三時より学科である。内田君が来て呉れた。新藤君三人と学校に向かった。時間確守でなかった。服部先生が戦線*2の詔勅を謹解した。校長先生の話が少しあった。
家へ来て玉川へ耳にかぶせる物を買った。(三十五)桑原の堀返へしをした。
祖父さんは籠屋、将軍沢へ
[豫記]召集日 午前中藁細工 十六日持参品 藁。鼻緒たて。木鋏   以上

*1:二駄。二回。
*2:宣戦。


一月十一日 日曜 曇天
父監視哨勤務
朝は空一面に雲である。山下の小父さんが来た。朝食して魚取りに行った。月田橋の下の方より追ひ始めて大きいのが取れた。三日の日よりも始めの中は多く取れない。雲がからりと晴れた。冷めたい北風が吹く。千手堂前で一網大へん入った。
どんどん嵐山(あらしやま)前さして行った。何時もの様に逆手を呉れた。是又多大の収穫があった。その上でも同じ位は入った。細い橋まで戻り又のぼり帰りに一網ぶち終りにした。一貫〆以上悠にあるだらう。二時に帰家した。
魚を串にさした。七十本近くもあった。みやを背におぶい遊びに行った。夕方まで良く遊んだ。祖父さんは将軍沢へ籠屋。
[豫記]明日は新聞配達


一月十二日 月曜 曇
朝食って自転車で遠山の水車へメンの注文に行って来た。すぐ山へ行った。じきに昼になった。昼食して少し仕事をすると母が来た。ぶっぱらいをしたり木の葉をはいたりした。
帰荷をはいて後をまるくのをはいた。二十束はいしてしまひにした。空はどんどんと雲が厚くなり家へ来るともう雨が降って来た。
祖父さんは家で籠作りをした。畠山の博労さんが来た。   以上
今度は監視哨は夕方(交替)であるそうだ。


一月十三日 火曜 本晴
早朝めしで山に木の葉はきに行った。父がマッチを忘れて村田指導員*1殿に十本もらった。夕べ雪が霜と見違える程しか降らない。祖父さんが馬で木の葉をつけて呉れた。午前中二段*2つけて午後も二段つけた。
自分は二時頃しまって来た。自転車で遠山水車に粉持ちに行った。全部出来て居たが一斗ばかり持って来た。
木の葉束ほどしをして籠を持って行った。
清水岩三さんがお便りを下さって色々とかいてあった。   以上
[受信]清水岩三

*1:村田福次。青年学校教練指導員。
*2:駄。


一月十四日 水曜 晴
餅つきである。自分は一番おそく起きた。山下の小父さんが来た。今日も魚取りである。支度をして庫さんの家へ行った。大ガケより追って行った。何時もの様に取れた。学校橋の上杉山の下に鮎が数匹居た。その中三匹は網で取った。小魚は何時も程取れない。
鎌形の川へ上って行った。八幡様の上で鮎を一匹合計四匹取った。玉川村和田前の所まで行き、何時もの貫数位取った。嵐山の方に廻り之又多大の収穫があった。合計は自分が小父さんの手伝ひを始めて以来首位である。家へ来て串にさした。七十串は悠にあった。
今日は馬の飼料が配合*1になって午后父が持ちに行った。   以上
[発信]清水岩三
[受信]山下豊作

*1:配給。


一月十五日 木曜 晴
馬の鍛練
父は馬の鍛練で早朝より多忙の様子であった。
新藤、野口、岡野、野村宇平君の総計五人で比企郡平村の山王様に自転にて出発した。
青年団の自転車預り場にあづけた。(十銭)
もう道が混雑になった。馬も何十頭ともなく畠の中、校庭に繋ないであった。
マトウ*1と言ふものを始めて見た。三時頃帰家した。磁石を買って来た。
今日は兎を出すので家では四頭三貫〆あったそうである。(夜)守平と碁目をした。
内田武夫君などと遊んだ。面白くなかった。父は午后用で畠山の博労の家へ行った。   以上

*1:流鏑馬。


一月十六日 金曜 晴
藁を持って学校に行った。下田先生に合って話を聞くと今日は召集日ではなく明日午前八時より教練で十時より学科で草履作りである。
青年団の総会なのですぐ向徳寺に行った。支部長副支部長をかえたり、役員の取りかえである。支部長は富岡良治さん、副は村田福次さんである。外役員は山下廣雄さん、富岡理昌さん、山下正さん、金井亀二さんである。茶碗を二ツ(二十二銭)呉れた。午前中に総会は終り中食して菅谷に使に行った。父は遠山へ行った。
松山に行き鼻病治療器を買った。(二円五〇銭)行って来て友達と面白く遊んだ。
明日は教練と草履作り。   以上


一月十七日 土曜 晴
父監視哨勤務
教練の支度をして学校に向かった。門の百米前まで行くと「集合」の号令がかゝった。いそいで校庭には入った。十時迄教練をした。
少し休んで草履作りである。各組に分れ一組八人である。県の視学員殿に視察してもらった。思ふ様には出来なかった。
十二時頃終り一足出来上がった。帰宅してすぐ昼食して遠山水車へ麺を持ちに行き廣吉さんの自転車を借りて行った。廣吉方のお客様に(五〇銭)もらった。
支度を取り替えて前の山に甘藷の枯れたツルを祖父さんと運んだ。
風がとても冷めたい。   以上


一月十八日 日曜 晴
父は早朝に鎌形の杉田安藝家(あきいえ)さんの家へ行って来た。車に油を呉れたり支度をしたりした。
山に行き掃き始めると下木切りの人が四人来た。将軍沢の人達である。日曜日なので守平も行った。早くの中は風もなかったが強い風が吹き出した。昼前に一段掃いて馬がつけた。
午后二段掃き馬が運んだ。今日は何時もと違って風が冷めたく身がひえる。
早く上り荷を作くって家へかえった。
平沢の内田桑作様が用があって家へ来た。(一金十円也)   以上


一月十九日 月曜 晴
二日前の朝に比べると霜は少い。山に行き焚火をどんどんして暖まった。根刈りを始めた。
祖父さんも行き四人で働らいた。昼近くなると遠くの方で風の吹く音がする。
昼前に三段まるけた。今日掃く所は木がこんでゐて木の葉がたまる。
午后は風となった。坂が風に逆らってゐるので掃きずらい。ヒッカタ*1が仕事をする前へ来て自分をからかってゐる。
今日は五段掃いたので場所が広くあいた。家へ来て幾何もたたぬ中に鎌形の杉田吉造さんが馬の話にて来た。   以上
[発信]山岸良之助
[受信]吉野廣一

*1:ショウビタキ。ヒッヒッヒカタカタと鳴く。シベリヤからやって来る冬鳥。


一月二十日 火曜 晴
火の番である。
支度をして山に行った。今朝は父がマッチを忘れて母が岡本君*1の家で借りて来た。もうマキ作りの人達は山に居た。あたらしてもらった。
根刈りである。もう大部場所を掃いた。でも見渡すと未だ広いものである。
太陽が南に来た。昼近くなったのである。マキ作りの人々が昼を喰べ始めた。自分達も昼食した。
今日は昭和拾六年度の米の検査である。
祖父さんは半日其乃方に係かった。午后は馬方である。三段つけた。
 某は三時に家へ来て支度をして遠山の水車へ藤縄様の麺を持ちに行き五拾本持って来た。今夜は夜番*2である。   以上

*1:岡本七五三。
*2:談)夜警。火の番で、一晩に四軒ずつが当番で金棒をついて字内をまわる。


一月二十一日 水曜 晴
夕べ夜番でおそく寝たのでおそく起きた。朝食前金井組合長の家へ蜜柑が配給になったので持ちに行った。十四箇(五十六銭)
青年学校の廻文が来た。別に関係のない事である。峠の山にゐって根刈りを始めた。
父は馬の用事が出来菅谷の根岸宇平さんの家来き博労の証人となりに行った。
祖父さんは馬で木の葉をつけて呉れた。
昼前に二段つけて午后三段計四段つけた。帰りに車を引いて来た。
始めてなので困難と思ったらそうでなかった。ノコギリを買った。(六円)   以上
宇平さんの家では馬が博労になった。


一月二十二日 木曜 晴
朝は曇天で雨か何か降りそうである。父は車を引いて山へ行った。その後を行った。
祖父さんは馬方である。朝食してすぐ山に行き一段つけ昼前に二段つけた。
父と母、三人で木の葉を掃いた。父は束まるきである。昼前三段掃いた。
午后一段つけ二段。三段目には父と交替した。父は監視哨に行く為早く帰宅した。
祖父さんはのこりぶっぱらひをしたりタバまるきをした。四輪まるき上がり荷をつけて山を出発した。もう日が落ちかゝった。
家へくるととっぷりと日は暮れた。木の葉タバほどしである。物置きが一ぱいになった。   以上
[豫記]二十六日午前八時青年団で道路に砂利行きである。


一月二十三日 金曜 晴
父監視哨
朝の中風があった。祖父さんは鎌形へ使に行った。米の銭である。某は飼料の藁、甘藷蔓を切った。祖父さんはすぐに帰って来た。
五時半頃車を引いて峠の山に向かった。空には少し雲があった。飛行機が妙たる音を出して飛んだ。昨日五輪まるき午前中一段掃いた。
もう空の雲も晴れ日光が良くあたる。静かなので大蔵の昼を知らす大鐘がはっきりと聞えた。三やの中食は真にうまいものである。
全部で二十三タハまるけた。余は一日中根刈りである。皆一つ場*1に出した。
帰り荷も掃き日の没するを待ち家へ戻った。将軍沢の下より祖父と替り車を引いて来た。とてもあつく汗が出まくった。
[豫記]二十四日学科召集 後一時普通学科

*1:一ケ所。


一月二十四日 土曜 晴
どうも朝になると起きるのがオックウでならぬ。でも起されるとすぐ飛び起きる。今日は(午後一時)十三時より学科があるので山には行かない。父と母は早く行った。祖父さんも馬方である。某は馬の飼糧である藁を切った。木の葉タバほどしをしたり、根刈りまるきもした。昼前馬は二段つけた。
中食後菅谷の鐡屋へ馬の蹄鉄に祖父さんが行った。新藤(文)君内田君三名と国民校に向かった。職員室で埼玉郷土読本を販売した。
普通学科は簾藤先生で数学グラフの所を教えて呉れた。色々と話が脱線して面白い。
夕方砂糖の配給に行った。四斤
父は十八時より監視哨に行った。   以上
[豫記]三十日召集日。埼玉郷土読本ヲ求ム。
[受信]富岡守平へ内田實先生


一月二十五日 日曜 晴
今朝は少し腸がいたかった。父が車を引いて行った。山に行き根刈りを始めた。守平も行った。もう西の方も少ししかなので早く終った。
祖父さんは米ツキに行った。(金井治平さんの家)
十時頃木の葉のうすくのこしてあった所へいった。少しすると大蔵の鐘が鳴った。まきこしらへの人達と一所に昼食をした。ダンゴもやいて喰った。七ツ位喰った。午后馬が来た。
昨日四輪掃いておいて今日は計三段掃いた。馬は三段つけた。あがり荷を掃き日の没すると同時に帰途についた。父は将軍沢監視哨員の家に用事がありよったので車を引っぱって来た。デキ物がとてもいたい。   以上


一月二十六日 月曜 晴
青年団員の砂引き
今日は青年団員が区内での道路へ砂を散らすのである。支度をして村田君*1の家へ行った。ランプ箱を持って行った。河原に行ってから村田君の牛車の助手をした。牛は金井好吉さん方の牛である。山下丑三君も牛方である。
十時に乾燥場(旧)で休んだ。午前中に五車道路に散らした。
昼食して堀ノ内方へ行った。今度は村田君の家の牛である。体格は普通の牛よりずっと大きい。助手は愉快であった。
三時に富岡支部長の宅にて休みをした。甘藷、白菜、等茶菓子も出た。蜜柑も出た。
今日も一日つとまりにけり   以上
[豫記]三十日藁草履作り 二十六日青年団の砂利引き 道路へ
[発信]新藤純平*2

*1:村田清治。
*2:新藤文太郎の兄。


一月二十七日 火曜 晴風
昨日の夕方の模様では今日は天気が変ると思ったら空模様はなをって日光が出、風が吹き始めた。今日で一町五反の山も掃き終るのである。三人で行き掃いた。一段掃くとあがり荷がないので木の葉山へ行って二籠掃いて来た。
家へ来ると〇、四〇分頃であった。祖父さんは家で籠作りである。
父は午后から掃いたくづぎを馬でつけた。出き物がいたいので仕事が出来ない。
祖父さんの籠作くり手伝ひをした。ふちをまく竹を細かくしたのである。
川島定吉さんの家へ籠を持って行った。


一月二十八日 水曜 晴
四、五日前は春先の様な天気だったが此の頃は又晩冬の気候となり霜がたいへんおりて居た。父と木の葉山へ行った。
一車位掃くのは手間取れない。方々の家で未だ山仕事である。家へ来て見ると十一時である。
祖父さんは金井柳作さんの家へ小作の事で行った。正午に帰って来た。五俵七升の所四割負けの三俵で良いのである。午后母と田麦を踏みに行った。上の田麦は皆踏み終った。
父は枝を分けに行った。四時頃峠の山に行き一車将軍沢まで出し、二車一ぺんに家へ運んだ。二十パつけて来て背戸の山に積んで居いた。
出来物がパンクして今日は痛みが抜けた。   以上


一月二十九日 木曜 晴
鎌形中島ノ小林孝太郎君ノ祖父死ス*1
霜が降りて居て冷めたい。将軍沢の忍田君の主人が馬を引いて来た。可あいらしい馬である。
父と麸(ふすま)を持ちに行った。山より三車出し二車分(三十二輪)家へ持って来た。将軍沢に居る中、昼の鐘が鳴り出した。
昼食して祖父さんのこしらへた印籠*2とショイ籠とを車につけて行った。
山より二車出し二車を一つにして持って来た。
次を行く時は十六時半頃であり、山に着いた時はもう日が没しかゝって居た。
未だ分けないでまるったのが百輪近く有るのである。枝をつむ場所へ到着すると日はすっかり没して電燈が輝やいて居る。   以上
[豫記]明日は召集日 十三時ヨリ

*1:小林民造。一八七〇(明治三)年生まれ。
*2:印籠かご。


一月三十日 金曜 晴
今日も買った枝を持ちに行った。忍田君、福島賢次さんの家でも来て居た。
今日は三十タバづつ分けられる。母も行った。
十五輪つけ出して岡本七五三君の家で十時休みをしお茶をもらって呑んだ。もう一車(ひとっくるま)将軍沢に出して置いた。
昼食して出してあるのを持って来た。全部分け切った。百十五輪分けられた。(一輪十八銭、二拾円七〇銭)
父は遠山の水車へ麺の代りを持って行った。
自分は馬の飼料の甘藷蔓、藁を小切った。草履を一足作くった。
今日は鎌形の家の祖父さんの御葬式である。   以上
[豫記]今日の召集日変更 明日午后一時


一月三十一日 土曜 晴
父と木の葉掃きに行った。一車掃くのはいくらもかゝらない。
昼食して学校に行った。長島先生、杉山先生が教へた。
下田先生より相生座の割引券を呉れた。山下中島君*1等と小川迄見に行った。面白くなかった。   以上

*1:山下和十郎と中島運竝。

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