第6巻【近世・近代・現代編】- 第6章:くらし
冨岡寅吉日記
六月一日 日曜 晴
籠(主)
根岸の下河原に草刈りに行った。少し曇天模様である。朝食して桑切りに行った。西原のアゼを切った。前の畠の桑切りもした。午前の中に蚕の裏取り始めた。午后になって終った。夕方桑こしらへ。以上
六月二日 月曜 晴・夕立
蚕の桑呉れをした。朝食して鎌形中島の小林民蔵さんの家へ蚕の手伝ひに行った。八人も居たので仕事ははかどる。十時休みをした。午后又始めた。庭を拾った。夕立が起り雷が鳴った。雨は本降りになりそうだ。家へ帰る時とても大降りがした。以上
昭和十六年六月二日 菅谷村長岩沢弥市
各区長殿
謹啓
去ル五月八日北支ニ奮戦中戦死セラレシ故陸軍上等兵中島久六郎氏ノ公報ニ本日接シ候間御部内一般ニ周知セシメ哀悼ノ意ヲ表セシメラレ度
此段及御通知候也
六月三日 火曜 晴
早く起きて蚕の桑呉れをした。父と県道端の畠の桑切りをした。中島街道端の桑も切った。二度目は父一人。支度をして富岡七之助殿の家へ蚕上げの手伝ひに行った。(十時頃)午后又始めた。二階だけは終って下の廻りびろひ*1を始めた。夕方桑呉れをした。以上
*1:談)蚕座のまわりを廻ってみながら、ひきったものだけをとる。
六月四日 水曜 晴
父は草刈りに行った。早く仕度をして富岡七之助様方の蚕上げの手伝ひに行った。今日は早くから蚕の運搬だ。二階へ上ったり下りたりが忙がしい。今日は十数人であった。午后からは三、四人減った。運搬が忙しい。休み頃終った。家の蚕がしきり始めたのでもどって来た。以上
六月五日 木曜 曇・夜雨
今日は家の蚕上げだ。田にブンズを取りに行った。鎌形の叔母と幸ちゃん、菅谷の木こりの叔母さん、富岡七之助さんと、すみさんの五人が手伝ひに来て呉れた。主屋の縁台は先口を皆拾った。午后蚕沙運びをした。夕方新物置の蚕もしきりとなった。家の廻りを片づけた。
六月六日 金曜 雨後晴
蚕の上蔟 豆台風
起きると雨が降って居た。本降りである。今日も上蔟である。朝食して止んで居ると鎌形の叔母さんが来た。始めて少し立つと菅谷の叔母さんも来た。(二人)今日は四人である。午后早く始めて早く終る様にした。夕方にならぬ中に雨は止み陽がさした。以上
六月七日 土曜 晴・台風
昨日の豆台風もおさまらず少し吹いて居た。父と耕地へ草刈りに行った。家へ来て蚕沙を片づけたり甘藷の苗を切った。馬小屋の肥取りをした。午后甘藷を植ゑた。麦刈りを始めた。とても刈りづらかった。(豆台風)半分位は刈ったであらう。以上
六月八日 日曜 晴・台風止
新聞配達だ。早く仕度をしたが持って来なかった。朝日二十九、日日九、合計三十八部だ。守と父は草刈りに行った。朝食して前の麦畠の麦刈りをした。午前に終って午后田に行った。何処も倒れて居て刈りにくい。田も半分以上刈った。雲雀の巣がある。以上
六月九日 月曜 晴
麦刈り
耕地へ草刈りに行った。草は今多くある。朝食して麦刈りにいった。陽は登った。とても暑い。田は刈り切った。束をまるって居るとお寺の鐘が「ボン」と鳴った。荷を付けて昼に上がった。午后前畠の麦上げをした。こぼれたのが多い。田の麦も半分以上上げた。以上 受信金井仲次郎
六月十日 火曜 晴
時の紀念日
草も大部ほきて*1来た。一人で刈って来た。朝食して田に行った。一連上げて支度をして遠山水車に行った。麺二〇本ト粉二〆を持って来た。酒の配給*2があった。(一円十〇銭)午后前畠の作入れをした。麦のほ拾いもした。以上
*1:のびる。成長する。
*2:昭和十六年六月六日 菅谷村長
区長殿
清酒特別配給ニ関スル件
今般農林業ニ従事スル者ノ季節的需要ニ対シ左記ニ依リ清酒特別配給致候ニ付貴区内隣組長ヲシテ配給券受領ノ為当役場ニ出頭相成様御取計願度此段及候頼申候也
記
一、配給券受領 六月九日午前八時ヨリ午后四時マデ
一、現品配給日 六月十日午前九時ヨリ午后四時マデ
一、配給場所 大字千手堂関根國太郎商店
一、受給資格 農林業ヲ営ム者全戸 但シ酒類販売業者ヲ除ク
一、配給数量 一戸ニ付五合
六月十一日 水曜 雨
繭かき
父と耕地へ行った。朝食して松山に行って隆次がくつといねが靴を買って来た。みやを子守った。今日は繭かきだ。菅谷から来て呉れた。午後も子守ったり繭かきをした。雨降りである。だいたい三十一貫かけた。以上
六月十二日 木曜 雨
繭かき
朝も雨だ。草刈りには行かれない。馬の湯をわかした。朝食して繭かきを始めた。みやを子守った。午后も子守った。寝た時は繭かきをした。学校が帰る迄子守りした。夕方かいて終った。父は役場に行った。僕の帽子を買って来た。(一円二〇銭)四十九貫あった。(繭) 発信金井仲次郎 受信富岡暉三
六月十三日 金曜 雨
繭
父と大蔵河原へ草刈りに行った。しとしとと雨が降って居た。朝食して繭の毛ば取りをした。自分はブランコをかけてみやを子守りした。遊びにも行った。午后は父の手伝ひをした。本繭は三十九貫、外約八貫。以上
菅谷神社で応召兵根岸三郎武運長久祈願祭。
六月十四日 土曜 曇
一人で中河原へ草刈りに行った。父と祖父は繭を持って植木山の荷受所へ行った。コノメをくづした。父は菅谷に行って馬料を持って来た。午后家の廻りを片づけた。父、祖母、三人で前の畠と本ジン畠のけづりこみをした。草がとても多い。
六月十五日 日曜 曇・小雨
耕地で草を買った。大部少くなった。朝食して苗代を見に行った。畠のけづりこみをした。雨がちらちらやって来た。午后サンノウ前に行った。祖父さんは繭の乾サウに行った。畠は後一枚である。以上
応召兵菅谷根岸三郎東部第七部隊九時二十二分出発。
六月十六日 月曜 雨
鎌がとても切れなくなった。耕地で一籠刈った。今日は麦こきである。八時頃、山下傳次郎さんが来た*1。今日はあまり雨も降らないらしい。約三時間と五〇分かゝって午后一時頃終った。それから村田さんの家へ行った。四時間二十五分、夕方早く終った。以上
*1:談)石油発動機を持って来た。
六月十七日 火曜 曇
草刈りは毎朝の仕事である。昨日の麦はたきの麦からをはこんだ。横町(よこまち)の山に皆積んだ。休んで前の畠のほつくりかえしをした。みやを子守りした。午后父は肥料を持ちに行った。祖父さんと道をなほしたりした。受信根岸直次、金井仲次郎
六月十八日 水曜 曇
今日は隠居の中*1の麦こきだ。朝作くりにほし物出しをした。朝食して喜作さんの家へ行った。五時間で終った。午后父と前々畠のほつかえしに行った。祖父さんも行った。夕方、雨降りになってしまった。以上 発信根岸、金井 受信芝辻十三
*1:隠居の家。富岡喜作方。
六月十九日 木曜 雨
朝の中は雨も降りそうもなかった。只曇って居た。少し雨模様となり霧の様な雨が降り出した。今日はほつかえしである。午前は体が少し変であった。午后祖父さんと三人でしたので忽一枚終り休みをしてから前畠をした。祖父さんは高坂へオンガー*1をなほしに行った。
*1:談)牛馬用のすき。
六月二十日 金曜 雨
籠(主)
草刈り時分は大雨であった。着物はびしょぬれとなった。朝食してみやを子守りした。しまだ作くりを始めて午前に一つ出来上がった。午后一つ出来上りわきの畠のけづりこみにほつかえしをした。
六月二十一日 土曜 曇
籠(主)
雨は降らないらしい。霧が一面にまいて居た。草を刈り家へ来て田に行った。父は馬方で肥運搬をした。それを田に散らかした。(大麦後)昼前に二ダン運んだ。馬が田に寝た。午後五ダン。車で四籠運んだ(大田)馬小屋の肥出しをした。以上
六月二十二日 日曜 曇
草は良くほきて居た。早く刈って来た。支度をしてオンガーをかついで田に行った。父は馬を引いて行き、自分は鼻取りをした。朝の中は涼しかったが昼近くなるにしたがい暑くなった。馬は良く仕事をした。午后麦刈りをした。(八十一タバ)〔畠小麦タバ(八十タバ)〕
六月二十三日 月曜 曇
父は根岸の土手に草刈りに行った。朝食して田に行った。昨日の続き耕かした。祖父さんは□がいを改しに行った。西原の小麦刈りをした。守は害虫駆除である。午后六人で刈ったので終った。前畠の麦刈りをした。(百十二タバ)以上 受信山下昭二
六月二十四日 火曜 曇
草は河原?良くほきて居た。鎌の先をかいた。朝食して前畠のカッパ抜きを始めた。国民学校生徒の勤労奉仕団が前の小麦を刈った。午后麦刈りだ。祖父さんは菅谷へ馬の鉄はりに行った*1。畠の小麦は刈り終った。畠(小麦タバ百三十五タバ)(計畠三百二十八タバ)
*1:談)菅谷に男衾村の大久保高則が月2回蹄鉄はりに来ていた。
六月二十五日 水曜 晴
曇勝ちの天候も晴天となった。
今日は昨日の朝よりも草が良くほきて居た。早く刈って来て朝食した。ほしもの出しをした。田麦刈りだ。源作さんの家の田は二枚終り大田を一行刈った。午后父と束運搬をした。大田*1を半分刈った。(百三十八タバ) 田〔小麦百三十八タバ〕
*1:談)木の宮(大蔵の字)にあった田。
六月二十六日 木曜 曇・小雨
昨日の天気も今日は一変して朝曇って居る。草を刈って居ると雨が少し降った。朝食後も雨だ。田があいたのでそこを耕ひに行った。午后陽はもれなかった。甘藷の切かけをして田に行き麦刈りをした。車の後押しした。(五二タバ) 田(小麦束五二タバ)
警防団紀念日。
六月二十七日 金曜 小雨
馬耕
何時もの所へ草刈りにいった。サイレンが鳴る頃はタテ下である。田が一枚あいたので今日も馬耕だ。今日は中から耕やした。馬は良くオンガーを引く。麦扱き(四十束) 受信野村修彦
菅谷村常会開催。
六月二十八日 土曜 雨
麦扱き
足が水むしの為草刈りは中止だ。朝食してみやを子守ったりした。午前中麦扱きの手伝ひをした。午后みやと遊びに行った。約一時間一ソ作りもした。夕方始めたが六十五束作くった。今日は八十一束麦を扱いた。二階に上げる。 発信野村修彦
六月二十九日 日曜 曇
麦刈
祖父さんと父は草刈りに行った。今朝は新聞配達だ。三十八部。朝模様は良好だった。麦ふるきをした。午後少し日の光かさした。父は金井廣吉さんに助に行った。昼食して田に麦刈りに行った。今日も六人である。(五十タバ)
六月三十日 月曜 晴後曇
根岸の土手の最下で草を刈った。良くほきてゐる。何時の様に曇って居るので麦は良くかわかない。麦刈りをした。馬に四ダン、車に一ダがけだった。(五十束)。午前十時から喜作様方の麦刈りの手伝。(祖父)父と母は本家。以上 畠田小麦束合計六四八束(残束五二八束)足踏み扱*1百二〇束
*1:足踏みの脱穀器。輪転器。ガーコンガーコンとも言った。