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第6巻【近世・近代・現代編】- 第6章:くらし

第3節:日記

冨岡寅吉日記

昭和15年(1940)6月


六月一日 土曜 曇
起床:五時二十分
就寝:二十一時四十分
登校:七時二十分
下校:十三時四十分
 居場がかはった。
今日は神社参拝てあるが掃除を少しして参拝して家へ来た。支度をして学校に行った。早かった。居場が皮って忍田君と並んだ。一時読方農村視察。二時算術P15
 三時体操。いろいろをして掃除をして家へ来た。午後少し休んでからぶらぶらして居た。桑の皮むき。麦を推切り*1で切った。

*1:押切。


六月二日 日曜 雨曇
起床:五時
就寝:二十二時十分
登校:
下校:
 水車を作くった。
今日は日曜日てある。早く起きて蚕に桑を呉れた。朝食をしてから雨が降って居たので家に居た。そして竹細工の水車を作くった。ためして見ると良く廻った。昼にならぬ中に雨は止んだ。家の者と畠に桑切りに行って車を引いて来た。さつまうゑ、桑の皮むき、をした。


六月三日 月曜 晴
起床:五時十分
就寝:二十二時二十分
登校:七時十分
下校:十三時二十分
 幼稚園について通知書くばり
支度をすると山下二、村田政二君が来た。皆は行った。山下昭君を待った。今日は灰を持って行くのである。支度をして来た。普通の通りに行くと山下和君が等が来た。学校に行き、機械体操をした。朝礼で週番の話を聞いた。一時修身、孝の所。二時算術P16。三時農業実習、小豆播きをした。家へ来て蚕の事。幼稚園かあるので紙くばり*1。うら取りの整理。

*1:六月十二日まで十日間大蔵向徳寺で農繁期保育所開設。


六月四日 火曜 曇
起床:四時五十分
就寝:二十二時二十分
登校:七時十分
下校:十五時四十分
 今日も幼稚園の事について支事をした。
 [欄外]受信 山岸良之助
早く起きて蚕に桑をくれた。支度は何時もよりずっと早く出来た。守平と二郎君は朝当番であった。学校に行くと次(じき)に自習が始まった。朝礼の時長島先生*1の話を聞いた。戦時の事。一時、算術P16。二時読方農村視察、三時国史。四時体操。石拾ひ、鉄棒をした。午后、平沢から出征する西義雄さんを見送った。幼稚園に使ふ道具をお寺に持って来た。桑くれ。皮むきをした。

*1:長島統司。1940年(昭和15)3月〜1942年(昭和17)3月勤務。


六月五日 水曜 晴雨
起床:五時十分
就寝:二十二時二十分
登校:
下校:
 桑切り 子守り
早く起きて庭をきれいにした。終ってから蚕に桑をくれた。朝食してから父と川へ木ノ目竹を洗に行った。桑の皮を大さんむいた。昼前に田(苗代)に行って水をかけぶんづうを取って来た。午后畠に桑切りに行き一回、二回目の終頃雨が降って来た。良い雨だった。止んでからみやをおぶって幼稚園*1に行って遊んで来た。夕方まで居たがなかなかった。

*1:「◇七郷村では小学校外七ケ所に五日より一週日農繁託児所を開設、菅谷村では向徳寺、玉川村では小学校で開いた」(『東京日日新聞』埼玉版 昭和15年6月6日)


六月六日 木曜 晴
起床:五時
就寝:二十二時十分
登校:
下校:
 麦刈り。松山に使に行く。
朝起きて草刈りに行かうと思ったか行かないで蚕に桑を呉れた。朝食してから松山に行きながら下田先生と一所に行った。砂唐*1はなく、にしん、こうなごを買って来た。桑切りの手伝いをした。麦刈りをした。午后麦刈りに行き、いくらか刈って来た。子守りをしながらお寺の幼稚園に行った。夕方まで子守って家へ来た。

*1:砂糖。


六月七日 金曜 曇
起床:五時
就寝:二十二時二十分
登校:
下校:
 砂唐買に行った。夕立で雨が降った。
蚕に桑を呉れるので早く起き、庭の台より呉れた。十幾束が呉れた。朝食してから松山に砂糖買に行って津乃国と野村屋で買って来た。又桑を呉れた。父、祖父はよその家へ蚕上げに行った。昼食をして桑の皮をむいた。桑を呉れた。休だりした。みやをおぶってお寺に行った。杉山先生が来た。鬼虫を取った。夕方夕立が出て雨が少し降った。


六月八日 土曜 晴
起床:五時十分
就寝:二十二時二十分
登校:
下校:
 菅谷に使に行った。
今朝も早く起きて蚕に桑を呉れた。しきり*1が幾匹が見える。桑をこしらへる手伝いをした。此の頃はとても忙しいのである。度々桑を呉れた。桑の皮むきをした。父は横町の家へ蚕の手伝に行った。昼を食ってからも桑をくれる前に田に行って来た。昼前も行った。夕方桑を多くこしらへた。桑くれをした。

*1:ひきり。熟蚕。


六月九日 日曜 霧雨
起床:四時五十分
就寝:二十二時十分
登校:
下校:
 蚕拾ひ、蚕拾ひ
今日は蚕上げである。早く起きて蚕に桑を呉れた。少し立つと菅谷の人が二人(一人は子供)来た。大蔵て六人来て呉れた。自分は菅谷に使に行った。砂唐?菓子を買って来た。蚕拾ひ。まぶし作りの相手をした。来た人(冨岡喜作 〃七之助 〃□ 斉藤とら 〃かね 冨澤はる 浜野よし。昼をたべてからも拾った。昼から一人へった。夕方になると全部拾ひ切った。夕立も出た。


六月十日 月曜 晴
起床:五時十分
就寝:二十二時
登校:
下校:
 夕方ホタル取り [欄外]受信 富岡二三郎
蚕が上ってしまったのでせいせいした。起きると新聞はもう来て居た。朝食してから苗代に水引きに行って一つぱいにかけた。草も刈った。家へ来て麦刈りなのでおばあさんと前の畠へ行った。暑かった。午后ふ呂に水をかいこんで又今度は祖父母と三人で前々畠に行った。休んでから皆刈り終した。子守りをしてお寺お方へ遊びに行った。ホタル取りに行った。


六月十一日 火曜 晴
起床:五時
就寝:二十二時二十分
登校:七時二十分
下校:十三時十分
 麦刈り。
もう蚕休みも終って今日から学校に行くのである。早く起きて支度をして皆の家へ行った。金井君等はオルガンを持って居った。機械体操をした。自習が始まり読方をした。朝礼で週番の先生の話があった。一時算術P18
 二時読方、蛙、三時国史。掃除をして家へ来て祖父母父四人と田へ麦刈りに行き皆刈り前畠の麦を皆家へ持って来た。今日は風が吹いたので涼しかった。


六月十二日 水曜 晴
起床:五時
就寝:二十一時四十分
登校:七時
下校:十二時五十分
 脱こく機で麦扱(むぎこ)き
家が未だ忙しいので今日も半日である。支度をして学校に向かった。行くと早かった。機械体操をして居ると自習が始まって先生が算術二次方程式を二題出して解いた。一時算術P18二次方程式。二時地理、湖沼、三時理科、大気。湿度。掃除をして家へ来た。明日麦刈で鎌を持参する。家の麦扱きなので伝次郎さんが来て呉れた。四時間と幾分かて扱き終った。


六月十三日 木曜 晴
起床:五時
就寝:二十二時二十分
登校:七時
下校:十七時四十分
 学校の麦刈り
今日は学校の麦刈りてある。鎌と一そう*1を持って学校に行った。機械体操をした。自習で読方をした。週番の話はなかった。一時なし
 麦刈りなのである。一、二、三組麦刈り 四、五組。脱穀 農業当番なので機械借りに行った。午后も続けてした。四、五、六。だけのこって後の整理をした。家へ来て大麦を唐箕であをった。六表*2あった。

*1:いっそ。稲藁の穂の先を少しよって結び、物を束ねるのに使用するもの。縄の代わりとする。
*2:俵。


六月十四日 金曜 晴
起床:四時三十分
就寝:二十二時十分
登校:六時二十分
下校:十六時二十分
 出征兵士送り
今日は朝当番である。早く起きて支度して行った。鎌形の出征兵士*1が出るので見送るのてある。七時二十三分の電車で出発した。杉山先生は居なかった。一時、校長先生が来て色々の話をした。二時又来て先の続き読方の練習。三時算術先生の問題。四時書方四頁。五時図画をした。家へ来て繭かきをした。十貫目かき麦を表に入れた。七表。

*1:鎌形中島正一近衛歩兵第三聯隊応召。


六月十五日 土曜 晴
起床:五時二十分
就寝:二十二時二十分
登校:七時二十分
下校:十六時三十分
 繭を売った。十一円三〇銭也
甘庶の苗を持って行くのではぎって二十五本切て持って行った。新聞を見るとパリ市に独軍が入城した。学校に行き機械体操をした。自習をした。二時先生が小松原小学校に行った話をした。感心した事が多い。一時菅谷神社に参拝した。(皇軍将士祈がん、雨の降るやうに*1)三時書取り 家へ来て繭かき、今日三十四貫

*1:雨乞い。


六月十六日 日曜 曇
起床:六時十分
就寝:二十二時
登校:
下校:
 繭を荷出しした。四六・八二〇匁。
日曜日なので起きるのがおそかった。新聞の懸賞はわからない。繭かきなので支度をしてのこって居たのを全部かいた。午後、籠が来たがどうが見に行った。昼をたべて車を引いて行き自動車の来るのをまち持って来た。繭貫数。麦が六表(十五表四十六貫八百二〇匁。だけを引間さん*1に売った。

*1:小川の繭買商人。


六月十七日 月曜 雨
起床:五時二十分
就寝:二十一時四十分
登校:七時二十分
下校:十四時三十分
 雨が降った
突然眠りがさめた。外ではざあざあと雨の降る音が聞えた。僕達が菅谷神社に願ったからであらう。起きてから支度をして山下君の家へ行った。学校へは出しで行った。あまり早くなかった。自習時間は良くしなかった。一時、修身、孝。二時算術、二〇頁、三時理科、湿度、気圧、四時理科、男子は授業は終って家へ来た。雨が降って居たので家に居た。とても良い雨である


六月十八日 火曜 晴
起床:五時
就寝:二十一時五十分
登校:七時二十分
下校:十八時三十分
 使に行った。
起きると川の流れる音が轟々と聞えた。朝飯を煮た。機械体操をした。昨日の雨もすっかり止んでさっぱりとした気持ちであった。校長先生、週番の話かあった。一時、算術、黒板に出て書いた。二時、読方、蛙。三時、国史島原の乱と鎖国。四時、小沢*1と二人で河原で砂はこび。(全員)五時、唱歌、山をした。農業当番であった。遠山水車に使に吉野君と一しょに行った。

*1:小澤長助。同級生。


六月十九日 水曜 晴
起床:五時十分
就寝:二十一時五十分
登校:七時二十分
下校:十四時二十分
 麦こき
起きてひまがあったので草花の移植をした。支度をして山下君の家へ行った。(橋に無駄書きがあった。)沼*1まで行くと金井君が来た。朝礼で明日の害虫駆除の話。一時、算術(二次方程式一般的解方)二時地理平野、三時理科天気、四時秩父の宮様の詔書をお悟しになったのをラヂヲで聞いた。(十一時三十七分)。授業は終って家へ来て麦はこびをして麦こきをした。面白かった。

*1:談)農士学校の沼。


六月二十日 木曜 晴
起床:五時十分
就寝:二十一時四十分
登校:
下校:
 害虫駆除(七百九十一匹)
今日は稲につく害虫駆除である。棒や入物を持って橋の方へ行った。時間があったので川で魚を取った。並んで居ると服部先生が来た。乾そう場の所からして行った。たんぼで昼食した。取始めて耕地は全部取り切り河原で数を調べて先生に言った。果子*1を分けた。害虫の数、七百九十一匹。家へ来て唐箕あほり、ねぎ植ゑをした。夕立がした。

*1:菓子。


六月二十一日 金曜 晴
起床:五時十分
就寝:二十一時五十分
登校:七時三十分
下校:十六時二十分
 明日はきんろう奉仕
学校に行くと昨日の害虫駆除の話などが出た。朝礼で週番の話かあった。一時先生は居ないで読方 二時、続き。三時唱歌室で村長さんより勤労奉仕の話。四時先生の話
 すぐ家へ来て兵隊の家を調べた。昼を喰って自転車で学校に行き、話を聞いて家へ来た。畠の麦を刈り取り、田へ行って半分位刈りこんだ。


六月二十二日 土曜 晴
起床:四時五十分
就寝:二十一時二十分
登校:
下校:
 勤労奉仕
今日は勤労奉仕*1であるので早く起きて支度をして鎌を持って行くと宮島先生*2はもう来て居た。二組の者は金井好吉さんの家へ行った。多勢なので刈るのもはかどった。終してから金井栄さんの家へ行った。麦は多かった。終ってから川へ行き家へ来て家の麦刈りをした。夕方早く田は皆刈り切った。

*1:第4章-第2節「1940 麦刈勤労奉仕状況報告書(尋常科五学年以上)」を参照。
*2:宮島孝正。1939年(昭和14)3月〜1941年(昭和16)3月勤務。


六月二十三日 日曜 晴
起床:五時
就寝:二十一時五十分
登校:
下校:
 麦こき。
日曜日である。麦こきなので朝食をして機械で父とこき始めた。ちょくちょく休んだ。麦こきを続けた。昼食してから又始めた。物置のは皆こき切った。明日、甘薯の苗を持って行くのである。


六月二十四日 月曜 曇
起床:五時
就寝:二十一時四十分
登校:七時二十分
下校:十七時五十分
 りん時実習
 [欄外]受信 富岡健治
起きてすぐ大沢さんの家へ使に行った。支度をして手工道具を持って行った。機械体操をした。自習もした。朝礼、週番の話(身体ヲ清潔ニスル。食事の作法)があった。一時修身、孝行。二時算術、P23、三時農業工芸作物。四時、理科、天気。五時、農業実習種播きをした。そして家へ来て車に使に行って麺を持って来て分配した。


六月二十五日 火曜 晴
起床:五時十分
就寝:二十一時五十分
登校:七時三十分
下校:十六時二十分
 中尉殿が来て話をした
 [欄外]発信 富岡健治
起きると空は曇って居た。新聞の天気予報を見ると朝の中晴れて後曇であった。だがその反対になるらしい。学校に行き算術をした。自習の時もした。朝礼でラヂオ体操第二をした。一時算術P23二時読方十一課をぬかした。国史島原の乱と鎖国四時体操、五時小川町の帰かん軍人吉田中尉殿より話を聞いた。家へ来て唐箕に麦を居入れた。二回した。六表。


六月二十六日 水曜 雨
起床:五時二十分
就寝:二十一時五十分
登校:七時二十分
下校:十四時十分
 書方「興亜の日本輝く健康」を書く
今日も昨日の様に曇って居た。鎌を持て行った。自習算術P23をした。一時算術P23二時書方。「興亜の日本輝く健康」を書いた。先生は居ない。三時地理、四時理科で地球儀を使った。授業は終って家へ来た。雨が降り出した。家へ来て甘藷植ゑをした。明日天気だら害虫駆除である。


六月二十七日 木曜 雨
起床:五時五十分
就寝:二十一時三十分
登校:六時五十分
下校:十八時三十分
 はな取りをした
今日は朝当番であるが忘れて居て起きるのがおそかった。いそいで支度をして行くと未だ誰も来て居なかった。窓をあけたりはいたりふいたりした。一時読方租税、二時国史。学問・交通の発達、三時読方、続き、四時農業蔬菜園の縮図を書いた二百分の一。五時続きをした。農業当番して家へ来て田に行き鼻取りをした。馬は良く働いた


六月二十八日 金曜 曇
起床:五時二十分
就寝:二十一時三十分
登校:
下校:
 害虫駆除*1(四百三十二匹)
起きると空は曇って居た。害虫駆除はどうであろう。漸次に空も晴れて来たが日は見えない。河原に行って居ると幾人か居た。先生はようゐに来なかった。魚を取った。先生が来てから取り始めた。二百四十三匹取った。帰って来てから昼を喰って田に行き鼻取りをした。馬は良くした。

*1:4章-02.小学校「1940 苗代害虫駆除状況報告書(尋常科三学年以上)」を参照。


六月二十九日 土曜 曇
起床:五時二十分
就寝:二十一時四十分
登校:七時二十分
下校:十三時十分
 田耕し
雨が降って居た。あまり大雨でなかった。傘をさしてはだして行った。雨も薄らいで止んだ。自習算術をした。一時読方阿トヂカ部をした二時算術二次方程式をした。三時書方「興亜の日本輝く健康」を書いた。家へ来て馬に乗って田に行き、鼻取りやおんがー取りをした。そして一反ばかりうなった。

「◇七郷村広野外十八農事実行組合では廿九日から一週間各組合毎に四十戸一組で共同作業、共同炊事を開始好成績」(『埼玉読売』六月三十日)


六月三十日 日曜 曇
起床:四時二十分
就寝:二十一時二十分
登校:
下校:
 草刈り
祖父が起きたのですぐ起きた。そして籠を背負って河原へ行って一籠刈って来た。魚を拾って来た。朝食して鎌形の水車に行った。前々畠のけづりこみほっかえしをした。午後魚取りに行って見た。庭や家の廻りの草むしりをした。きれいになった。明日から農業休業

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