第6巻【近世・近代・現代編】- 第6章:くらし
冨岡寅吉日記
四月一日 月曜 晴
起床:六時二十分
就寝:二十時五十分
登校:
下校:
くわ植え
今朝も起きるのがあまり早くなかった。朝食をして将軍沢に行って来た。子守りをして遊びに行って魚釣りに行くやくそくをして行って二匹きり釣らなかった。午後畠へ行った。くわ植へである。家へきて子守りをした。いろいろと
四月二日 火曜 曇
起床:六時三十分
就寝:二十一時
登校:
下校:
矢車草。さく切り
[欄外]矢車草が芽を出した。
「寅起きろ」おぢいさんの聲に飛び起きた。朝食をしまして支度ををして車を引いて守平と水車に行って大麦を持って来た。米も持って行った。そして子守りをした。午後昼を食ってすぐ菅谷に使に行って来てさくきりをした。夕方は家へ来てゆの下をむした。
四月三日 水曜 晴雨
起床:六時十分
就寝:二十一時二十分
登校:
下校:
神武天皇祭 お客
今日は四月三日なので車にお客に行く支度をした。そして兄弟四人で朝食を喰って出かけた。魚取りなどした。午後昼をたべて遊んだ。吉野君などの川の方へ遊びに行った。夕方はだんごなげなのでひろいに行った。夜は坂の下に寝た。
四月四日 木曜 晴
起床:六時三十分
就寝:二十時五十分
登校:
下校:
客から帰ってくると温床に芽が出た。
今朝はお客に行って居たので起きるのがずっと遅そかった。車の方で朝食して川で魚を取った。川につつぱいった*1。昼近くなって吉野君がちくおんきをかけて聞かした。昼を喰って家へ帰って来た温床を見ると貝細工(かいざいぐ)*2の芽が出て居た。斉藤君へ、冨岡君から手紙が来た。子守りなどした。
*1:川の中に落ちる。
*2:貝がら草。
四月五日 金曜 雨
起床:六時十分
就寝:二十時五十分
登校:
下校:
たのしい明日は入学式。使に行った。
[欄外]受信 斉藤三郎
今朝はふつうに起きた。そして車に使に行くので支度をした。いんきょの家にも行って来た。父がリヤカーで麦を引いて来たので後を押して行った。橋はになった*1。帰りには乗って来た。昼を喰って行く時には小雨がぽつぽつ降り出した。車につく頃はもう大雨となった。降りしょうぎを車でした。帰りにはリヤカーに乗て家へ来た。
*1:橋ではリヤカーを二人で持ち上げた。
四月六日 土曜 晴
起床:六時二十分
就寝:二十時五十分
登校:八時
下校:十二時十分
入学式、始業式をした。
[欄外]発信 斉藤三郎 寅吉
起きて見ると空は曇って居て昨日の雨も止んで居た。東の空は日の出る所で黄色くなって居た。皆が集まったので出かけた斉藤君に手紙を出した。学校に行ったらまだ早かった。一年生の者がたくさん来た。そして入学式、始業式をした。机をはこんだりそうじをしたりした。今年は杉山先生*1である。話を聞いて家へ来た。
*1:杉山敏行。1938年(昭和13)3月〜1947年(昭和22)3月勤務。
四月七日 日曜 晴
起床:六時十分
就寝:二十時四十分
登校:
下校:
はいしゃに行った。
今日は日曜日なので今日より少しおそかった。隆次を歯ゐしゃに行く事がきまった。庭をはいたり温床のふたを取ったりした。九時になったので自転車に乗って行った。見るとたくさん来て行た。昼すぎまでかゝった。家へ来て昼を喰って一夫さん*1の家へ行って来て子守りをした。明日は学校である。
*1:富岡一夫。
四月八日 月曜 晴
起床:六時二十分
就寝:二十時五十分
登校:八時十分
下校:十三時十分
級長せんきょ いろいろ
支度も出来た。そして温床に水をくれた。村田君も来た。山下君は少しおくれた。清水金治君は欠度*1した。四人だけで行った。一年生も皆元気よく行った。今朝は早かった。外に出て遊んだ。級長をせんきょした。大そうじをして家へ来て田へ行ってさくきりをした。思ったよりよくきれた。早くしまって家へ来た。
*1:欠席。
四月九日 火曜 晴
起床:六時
就寝:二十時五十分
登校:八時十分
下校:十四時十分
級長になった。
朝起きて少し経つと風が吹き出した。そして雨が降り出した。風はひどく雨も少しでにじが出た。傘は持たないで行った。日は出た。学校に行って一年生の教室に入って世話をして自分の室へ行った。一時間目はいろいろと話をした。二時は又話をしたりした。三時間目にそうじの組分をした。家へ来て田へさくきりに行った。夕方までした
四月十日 水曜 晴
起床:六時十分
就寝:二十時四十分
登校:八時
下校:十四時四十分
田に行って仕事。
起きて温床のふたをとった。今日は良い天気になりそうな模様であった。学校に行って機械体操もした。三(み)マースなどもした。第一時に算術平方の科をした。地理、地球の表面であった。三時にに好ききらいの学科を書いた。四時間して家へ来てふろつこみをかついで田に行って、仕事をした。温床にふたをした。
大蔵榛名講金井栄一他二名代参。
四月十一日 木曜 晴
起床:六時三十分
就寝:二十時三十分
登校:八時十分
下校:十七時二十分
農業当番であった。
今朝は少し朝寝をしてしまった。起きて支度をして温床のふたを取って水をくれて行った。いつもと同じ位であった。外に出て機械体操などした。朝礼の時、前に出て号令をかけた。第一時に読方をした。二時に国史をした。三時綴方「高等二年になって」で書いた。農業次に農業実習で穴堀りをした。当番もして家へ来た。夕方までかゝった。
四月十二日 金曜 晴
起床:六時
就寝:二十時四十分
登校:七時四十分
下校:十五時十分
体操の時遊びだった。その時東京人か手品をした。
朝起きると暖くとても春の有様をよくあらはして居た。野に山に木の芽かもえ始めた。温床のふたを取り用があるので自転車て行った。いづみ屋でサルマタを買ったら一円と十銭であった。今日は朝礼がなかった。一時に修身であった。四時は体操なのでかいかんの方へ遊びに行った。五時週番をきめた。家へ来て子守り
四月十三日 土曜 曇
起床:六時十分
就寝:二十時四十分
登校:八時十分
下校:十二時三十分
草つみをした。
朝起きて見ると本にあるやうに降るとも晴れるとも未だわからなかった。支度をして居る中に雨が降りたした。温床のふたをとって学校に向かった。植物、世間が春雨のためしめやかである。学校に行って馬飛びをした。機械体操などへも行った。今日は土曜なので三時て家へ来た。草つみに行って一っぱい。
四月十四日 日曜 曇
起床:六時二十分
就寝:二十時三十分
登校:
下校:
今日はかん祭。明日はかん学祭である。(菅谷の社。)
今日は日曜日てある。起きて見ると空は少し曇って居た。今日は十四日なので大蔵の神社の祭てんである。午前の中幾分か子守りをした。斉藤三郎さんがお客に来た。家へ来て赤子を下してもらい遊びに行った。午後も昼を喰って、又遊びに行った。油屋で本を見た。櫻の木に登った。夕方三郎さんが帰った。火の見の方て遊んだ。
大蔵神社春季祭典。
四月十五日 月曜 晴
起床:六時
就寝:二十時四十分
登校:
下校:
すゝはきをした
起きて支度をして朝食して神社参拝なので神社に行ったら皆が居た。今日はかん学祭なので尋常一年生と高等一年生の者は学校に行った。今日はすゝ取りをするよ定だったのだが風のためやめて居た。午後風がおさまったのですゝ取りを始めた。いろいろと出した。いろいろの物が出た。夕方は子守り。
四月十六日 火曜 晴
起床:五時十分
就寝:二十時五十分
登校:八時十分
下校:十四時十分
ついを作った。
朝起きて温床のふたをとって見るともう芽が大きくなって居た。日廻りはおそく出たが大きい。水をくれて学校に行った。朝礼の時級長を命ぜられた。第二時に算術き、先生は居なかった。第三時、国史をした。四時はしないでそうじをした。午後、今まで居た先生*1がお別れに来た。教室に入ってすとう先生に話を聞いた。十八日に宮様がおいでになるのでついを作った。山に取りに行った。
*1:簾藤惣次郎。岡本信吉。吉田久平。門倉トモ。松本キミ。
四月十七日 水曜 晴
起床:五時四十分
就寝:二十時五十分
登校:八時十分
下校:十五時二十分
道のごみひろい。
「寅起きろ」と呼ばわれた声がした。目をさまして居ると未だ戸はしまって居て外は少し暗かった。だが飛び起きた。温床のふたを取り水をくれて支度をして学校に行った。ついも持って行った。第一時に級長のしるしをくれた。宮様の御通りになる道のごみひろいをして嵐山に行った時に簾藤先生も来て居た。昼をたべて農業当番だったので仕事をした。
四月十八日 木曜 晴曇
起床:五時四十分
就寝:二十時三十分
登校:八時
下校:十五時十分
宮様のお通り。
夜が短くなった事が良くわかった。いつもは起きると六時がなって居るが、今は幾分が経ってなった。温床のふたを取って見るとどの区域の中にも芽が出て居た。学校に行って機械体操をした。一時間目の休みにけ上りが出来た。今日は読本をわすれた。二時間目に国史をした。四時間でそうじをしてていしゃばに行って宮様をおがんだ*1。家へ来て草つみ
*1:女子学習院三、四年生の遠足が小川から、小川製紙指導所〜小倉城址〜武蔵嵐山〜畠山重忠館址のコースであった。「久迩宮正子女王殿下朝子女王殿下女子学習院生徒トシテ本村地内ニ修学御旅行ノ御途次本校児童謹製ノ櫻樹御杖小川町製紙指導所ニ於テ献上ス」(菅谷小学校『学校沿革誌』より)
また次の資料がある。
拝啓愈々御健勝奉慶賀候
陳者先般本院学生見学の際は御多忙中にも不拘種々御配慮を辱うし以御蔭萬事好都合に相運び修学上多大の効果を収め候段感謝の至りに存候先は以て書中御禮申述如斯御座候 敬具
金井柳作殿
四月十九日 金曜 曇
起床:五時四十分
就寝:二十時二十分
登校:七時四十分
下校:十五時二十分
明日は朝当番である。
目をさまして見ると雨が降って居た。春雨なのであまりひどくなかった。傘をさして清水君の家へ行った。途中まで行くと雨も止んだ。学校に行ったらまだ幾人も居なかった。朝礼の時に校長先生が昨日の宮様の話をした。第一時に修身をした。四時間して昼を食って次に図画をした。六時に武道をした。家へ来て桑の木の穴に土をかけた。
四月二十日 土曜 晴
起床:五時二十分
就寝:二十時三十分
登校:七時十分
下校:十二時四十分
朝当番であった。
今日は朝当番なので早く起きて支度をして山下昭君の家へ行ったらすぐ来た。今度は山下和君の家へ行って学校に向った。野村君はもう来て居た。教室をそうじして外に出てボールをして遊んだ。朝礼はなかった。第一時に算術をした。二時読方を少ししたら校長先生が来た。唐子原の松持ちに行ったが支度かしてなかった。家へ来てけづりこみ、草つみなどをした。
七郷小学校校庭で故陸軍兵長田村福治村葬執行。
四月二十一日 日曜 雨
起床:五時四十分
就寝:二十時二十分
登校:
下校:
雨が降った。ぼたもち
朝起きて見ると雨がしとしとと降って居た。今日は日曜日なのである。馬小屋のこひ取りなので父と取った。終り頃になると雨が勢よく降って来た。終ってから桑のしばってあるのをほどした。けづりこみもした。昼前子守りを少しした。昼寝をして起きた。子守りをした。口と財布は閉ぢるに利あり。櫻をぬいた。
四月二十二日 月曜 晴
起床:五時二十分
就寝:二十時十分
登校:七時四十分
下校:十五時五十分
武道をした。
[欄外]受信 山岸良之助
昨日の大雨も今朝はすっかり止んで彼方此方に雲がさまよって居た。山下君と一しょに学校に向った。途中下駄が切れた。機械体操などした。朝礼をした。松の木が玄関の前あった。第一時算術、四時に理科の実験をした。一時から支那へ行って来た人から話を聞いた。ほうかご武道を一時間ばかしして家へ来た。明日は身体検査。
四月二十三日 火曜 曇
起床:五時十分
就寝:二十時四十分
登校:七時二十分
下校:十五時二十分
身体検査
[欄外]受信 斉藤三郎
朝起きて見ると空は曇って居た。支度をして皆と一しょに学校に向かった。今日は身体検査がある。機械体操をした。第一時より一年生より始めた。眼のしらべは高等二年から始めた。自分は左一・〇で右は一・二であった。身長は一米四三糎二米であった。そうじをして農業当番をしてほう科後武道をならって家へ来た。電球をとりかえに行った。
四月二十四日 水曜 晴
起床:五時四十分
就寝:二十時五十分
登校:七時五十分
下校:十五時二十分
松の木はこびをした
[欄外]発信 斉藤三郎
今日は晴れそうな天気模様てあった。学校に行きながら斉藤三郎さんにお便りを出した。行ってから機械体操をした。朝礼が後ってすぐ物置と整理をした。第三時をして居ると使いか来た。松の木はこびであった。とてもかるかった。武道をして菅谷で帽子の門を買って来た。将軍沢に使に行った。けとばしをした。以上
四月二十五日 木曜 晴雲
起床:五時二十分
就寝:二十時三十分
登校:七時三十分
下校:十一時五十分
さくきり
今日は靖国神社のりんじ大祭なので天皇陛下が御親拝になるので目とう*1に行くのである。支度をして皆一同と学校に行った。十時十五分も過ぎぜにをはらって家へ来た。菅谷に使に行って来て畠に行って止めざく切りをした。明日はたのしい遠足である。子守りをした。三マースなどした。遠足は鉢形
*1:黙祷。
靖国神社臨時大祭。
四月二十六日 金曜 曇
起床:五時十分
就寝:二十時三十分
登校:七時二十分
下校:十五時十分
たのしい遠足。
[欄外]受信 山下三三男
今日はたのしい遠足である。朝起きて見ると空は晴れ淡月が霞にかかって居た。七時半発なとで早く支度をして学校に向かった。校庭には二、三人しか居たかった。はかまをはいて七時半になって駅に行った。電車に乗って行った。鉢形で下りて鉢形城趾を見た。像が鼻*1に行った。玉淀に行った。正喜橋は釣橋だがすばらしい。かへりも電車で家へ来た。
*1:象ケ鼻。
四月二十七日 土曜 晴
起床:五時四十分
就寝:二十時三十分
登校:八時十分
下校:十三時二十分
夜になって雨が降った
今日は遠足のつかれもちっとも出なかった。支度をして学校に行った。機械体操もした。第一時に読方をした。比企郡でとくに読方に力を入れる話。二時算術宿題が出た。体操のわけだが河原に遊びに来た。家へ来てまきをつれてはいしゃに行って来た。手紙をかいた。草つみに行った。
大河原村葬執行。
四月二十八日 日曜 雨晴
起床:六時二十分
就寝:二十時四十分
登校:
下校:
子守り
[欄外]発信 簾藤先生。山下三三男
今日は日曜日てあった。寝床で目をさまして見ると雨の降る音がした。だからおそくまで寝て居た。起さると明るくなって居た。雨の降って居る中は家に居て藁すぐり。止んだのでみやを子守った。昼からも藁すぐり又は子守りをした。早くゆに入った。明日は天長節だが皇室のぶくで止めである*1。
*1:天長節祝日挙式差し控えについて。
前略
故竹田宮恒久王妃昌子内親王殿下斃去の為め宮中喪中に付来る四月廿九日天長節祝日挙式は差控ふるやう当局より通牒有之候條当日は挙式遠慮仕り候間右御承知可下度候 敬白
追而国旗は通常の通り掲揚差支なきに付申添候也(喪章を付せず)
昭和十五年四月廿四日 鎌形小学校長安斉善尭
金井村長殿
四月二十九日 月曜 晴
起床:六時二十分
就寝:二十時二十分
登校:
下校:
天長節 籠洗ひ。
朝起きて朝食をしてから守と鎌形の水車に行って来た。魚釣りに行って半分も釣らなかった。国旗を立てた。父と川に籠を洗ひに行って来た。今日は天長節たが皇室のぶくのため式はしないのである。午後父と田に行って止め作切りをした。昨日祖母のけづった所だけ終り。全部の田をしてしまって家へ来た。籠を運んだ。
四月三十日 火曜 晴
起床:五時四十分
就寝:二十時三十分
登校:七時二十分
下校:十四時二十分
靖国神社祭 出征兵士送り。明日は神社参拝
起きて見ると庭一面屋根などに晩霜か下りて居た*1。これでは大部桑などにきいたと思った。温床は大丈夫であった。[ここまではすじが引いてあり昨日の事としてある]学校に行って機械体操をした。朝礼の時出征兵士の出る話をした。一時算術をした。次に読方デンマークの所。三時国史をした。四時体操で身長のじゅんを定めた。一時二十三分の電車に乗って出征した兵士を見送くった。
*1:「晩霜四郡下を襲ふ 被害桑園四千五百町歩」(『埼玉読売』昭和15年4月30日)
「八十町歩程度 比企の桑園被害 比企郡の桑園被害は意外に僅少で全耕地三千八百町歩仲約二パーセントの八十町歩程度、被害の多いのは八和田、七郷、福田、菅谷、唐子、宮前、亀井、今宿方面の山間地、唐子村が最もひどい しかしいづれも発芽前後で今後の恢復もありき、掃立を一両日遅らせる程度で更に降霜さへなければ後□に影響はない」(『埼玉読売』昭和15年5月1日)